【我が家の中学受験物語】小4で私立女子校に一目ぼれ!「行きたい」気持ちが勉強の原動力に。成績乱高下どう乗り越えた?

中学受験の勉強は約3年間の長丁場なので、勉強のやる気を継続するのは大変なこと。早期に子どもが「行きたい!」と思える学校を見つけられると、受験勉強のモチベーションになるといわれます。HugKumでは、中学受験に取り組んだ親子6組にインタビュー。本音の体験談をお届けします。
【第2回-前編】私立の中高一貫女子校に通うSさん(中1/女子/仮名)は早くから志望校との出会いがありました。中学受験を決めたきっかけや志望校が決まった経緯、そこからどう約3年間の受験勉強を乗り切ったのか、母(Mさん)にうかがいました。

小学校入学でわかった「東京は教育熱心」という思いこみ

教育現場を見て先入観とのギャップを感じた(photo/AC)

―まず、中学受験を決めたきっかけを教えてください。

   中学受験を意識したのは小14月です。入学直後の授業参観で、クラスの様子を見て驚きました。座っていられないお子さんやおしゃべりをしているお子さんが結構いて、まったく落ち着いていない環境だったんです。

私は地方出身で、勝手に「東京は教育熱心」というイメージをもっていたので、実際の教育現場を見てギャップを感じました。中学校も公立なら環境はそう変わらないでしょう。受験をしたほうがよいのかもと初めて思ったのがそのときです。

―その後、どう準備をしていったのですか。

 小2から「全国統一小学生テスト」を年に数回受けるようになり、会場が進学塾だったので、娘も自然に塾の存在を意識するようになりました。毎回テストのあとには無料で簡単な解説講座をしてくれたのですが、ちょうどその頃、学校の授業に物足りなさを感じていたこともあり、レベルの高い内容がおもしろかったようです。

そんな娘に「中学は受験して自分の好きな学校へ進学することもできるんだよ」ということを伝えると、「やってみたい」と言って。夫も「いいんじゃない?」という反応で、塾へ通い始めることになりました。

3から通塾開始!習い事との両立に苦戦も

私立受験も視野に入れた塾を選んだ(photo/AC)

―塾はどう決めたのですか?

 塾はいくつか検討しました。最初は漠然と「自宅から近い都立中学に行けたらいいかな」くらいに思っていたので、都立受験対策が充実している塾を検討していたのですが、状況次第で私立も候補に入るかもしれないと思い直して。周りに相談してみると、「私立中学の受験対策をしっかりやっておけば、公立はおそらく大丈夫」というママが多かったこともあり、最終的にノウハウが豊富な大手、かつ私立対策を高いレベルでやってくれる塾を選びました。

加えて女子なので安全性も考慮し、家から近く、入退室管理サービスがある塾にしました。当時、説明会に行くと、同じクラスのお子さんや近所のお子さんも何人かいて「準備している人はもう準備しているんだな」と思いましたね。

―塾にはいつから通いはじめましたか?

   小3の9月から予科クラスへ入り、3年生の2月から受験対策クラスがスタート。そのまま最後まで同じ塾です。先生は面倒見がよく何でも聞きやすい雰囲気で、仲の良い友だちもできて楽しそうに通っていました。

もちろん、約3年半の塾通いの途中では「眠い」「疲れた」「宿題が多い」なんていう日もありましたが「塾に行きたくない」といったことは一度もなかったですね。小3は週1回、小4は週2回、小5は平日週3回プラス週末に模試、小6になると週末の授業や模試が増え、週5日は塾に通っていました。

―習い事はどうされていましたか?

 習い事はピアノを4歳から、書道を小3から始めました。書道は小学校で毛筆が始まったら習いたいと言い出したんです。

どちらも週1ですが、ピアノは毎日の練習が必要なので、時間の確保に苦労しました。塾のある日は帰宅後に時間をとるなどして、なんとか120分くらいは練習をしていました。ただ、「練習したくない」ということも多く、「無理ならやめたら?」というと「やめたくない」と(笑)。塾よりも、ピアノを続けるかどうかで、もめたことのほうが多かった気がします。

書道は5年生の1月に書き初め大会が終わったタイミングで終了。ピアノは、5年生の12月にグレード試験を区切りにして一度お休みし、中学生になってまた再開しています。

最初の学校訪問で中高一貫女子校に一目ぼれ!

学校を訪れてみることの大切さを実感

本人が感じる雰囲気や居心地の良さが一番

―志望校はいつごろからどうやって決めていったのですか?

   娘が第一志望を決めたのは、小4のとき。コロナ禍前は小46月頃から学校訪問や説明会へ行き始めるのが一般的でした。最初に訪問したのが今通っている私立の中高一貫女子校で、娘はすっかり一目ぼれ。たしかに学校は広くてきれいで、厳しそうな感じもなく、生徒たちも楽しそうな雰囲気でした。

―ママの印象はいかがでしたか?

 学校によっては進学実績をものすごくアピールしてくるところもありますが、私自身はそれよりも中学校生活も楽しみつつ、かつ個人を尊重してくれるような学校がいいなと思っていました。今の学校はまさに自己実現を大事にしてくれる考え方で、印象はよかったです。

コロナ禍もあって、そこまで多くの学校を見比べたわけではありませんが、やはり学校のカラーはあります。翌週に、もともと候補に考えていた近所の都立中学を見に行ったのですが、娘も私もそこまでいいとは思えなかったんです。決して悪い学校ではないのですが、どうしても前週の学校と比較してしまい、本人も「やっぱり最初の学校に行きたい」という気持ちを強くしたようです。やはり通う本人が感じる雰囲気や居心地のよさが、一番大事だろうと思います。

−ふたつの学校のレベルは同じくらいだったのでしょうか?

 それが当初考えていた都立に比べると、偏差値は5つくらい上なので、かなりがんばらないといけなくなりました。

ただ、「行きたい」という気持ちが勉強のモチベーションになって、決してさぼろうとはしなかったですし、親が「勉強しなさい」と言わなくても自分でがんばっていました。振り返ると、4年生の早い段階で「この学校に行きたい」という明確な目標が見つかったのが良かったのだと思っています。

「これじゃ受からないぞ」成績が大きく下がって泣いたことも

6年で成績が大きく下がって辛い時期も(photo/AC)

―勉強の原動力があったことで、中学受験までの道のりは比較的順調だったのでしょうか?

 勉強の継続という面では、そうですね。ただ、実際の成績は結構乱高下がありまして……。成績が下がれば本人も落ち込むし、親も内心不安になります。

一喜一憂してはいけないことは頭ではわかっていました。でも、5年生くらいまでは「まだ先だし、次がんばればいい」と思える心の余裕があったけれど、6年生になると、模試の結果が入試に直結します。

6年生で成績が大きく下がったとき、めずらしく父親が「これじゃ受からないぞ」と怒ったようで、私が仕事から帰ると、娘がめそめそ泣きながら机に向かっていたことがあって。さすがにかわいそうな気もしたのですが、この成績では本人の志望校に行けないのも事実で。「本当に行きたいなら、これだと難しいよ」という話を、私もちょっと泣きながらしました。そんなことが6年生の前半で2回くらいあったと思います。

一方で、親としては、期待を押しつけすぎない、プレッシャーをかけすぎないことは意識していました。第1志望の学校は試験が2回あって、2回目のほうが偏差値は少し下がるので、2回目で受かってもいいことや、万が一第1志望がダメでもがんばったことはムダにならないということも話していました。ただそればかり伝えて、気が緩みすぎてもよくないので、伝え方は少し悩ましかったですね。

親子ゲンカもたびたび。腫れ物を扱うようにはしない

―親子で衝突することはありましたか?

 ありました(笑)。というのも娘は結構ケアレスミスをするんです。計算時に「6」と書いているのに、解答欄に「0」って書くとか。もちろん小学生なので、仕方がない部分もあると思うのですが、もったいないじゃないですか。でもいろいろ言うと、「わかってるけど、やっちゃうの!」と反発してくる。些細なことで言い合うことは結構ありました。

―衝突したあとはどう仲直りしましたか?

 とくに意識してしていないです(笑)。そのうちすぐ、次のテストがやってくる感じ。そもそも我が家は娘が2歳くらいからずっと反抗期というか、割と親に対して気にいらないことを何でも言ってくるので、ちょっとした衝突は日常茶飯事。受験生だからといって、腫れ物を扱うような感じはまったくなかったです。

パパも積極的!ただ関わり方には不満も……

ママよりパパの方が不安が強かった?

―パパはどのように関わったのでしょう?

 パパも関心はあって、模試の結果はすぐにネットで確認していました。ただ、私より厳しくて、ケアレスミスにも「どうしてこんなミスをするんだ?」と怒ったり、課題が終わって少しのんびりしているだけなのに「今勉強しなくていいのか」と言ったり、さらには模試の成績が悪いと「第一志望を変更したら?」と無神経な発言をしたり。

本人にはもっと自信をもってほしかったので、パパに対しては「そういう余計なことをいわないで」と伝えていました。おそらく、パパのほうが不安は強かったのかなと思いますね。

  • −パパに力を発揮してもらったのはどんな点ですか?

 実質的な手続きやそのほか含めて、関わり度合いは、955くらいで私が多めです。それでもパパも得意な社会を教えてあげたり、塾へ弁当を届けてくれたり、できる協力はしてくれていました。家族で乗り切った受験だと思います。娘自身の「第一志望に行きたい」という強い思いがあったので、そこへ向けて家族で走っていった感じです。

 

山あり谷ありの約3年半。そうしてついに迎えた受験本番は……?後編では具体的な受験勉強やドラマチックな受験前後の話をうかがいます。

後編へ続く

文・構成/古屋江美子

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