ダウン症の弟を持つ19歳が語る「家族」は育児のヒントの宝庫

イタリアで話題!ダウン症の弟を持つ19歳が「家族」について語る本

大ヒットした著書や映画、テレビドラマ、音楽には、それぞれにユニークな誕生秘話がありますよね。最近はインターネットのブログ、SNSで大いに話題になったエピソードが書籍化されたり、インターネットに投稿された動画がドラマ化されたりといった動きも目立ちます。

関口英子訳『弟は僕のヒーロー』(小学館)も同じ。18歳のイタリア人高校生が動画投稿サイトに投稿した「ザ・シンプル・インタビュー」というショートムービーが、イタリアの大手出版社の編集者の目に留まり、イタリアで書籍化されたというユニークな背景を持ちます。

2015年3月21日の世界ダウン症の日に公開された上述のショートムービーは、イタリア国内のみならず世界で話題になり、程なくイタリアで書籍化され、日本でも出版されるほど一大ムーブメントとなりました。「まだ読んでいない」という人は要チェックの一冊。生まれながらにして、あるいは後天的に、わが子に障がいがあるという親御さんにとっては必読書になります。

ダウン症とはどんな病気?

著者ジャコモ・マッツァリオールが19歳のときにイタリアで出版した原著『Mio fratello rincorre i dinosauri. Storia mia e di Giovanni che ha un cromosoma in più』の日本語訳版が、『弟は僕のヒーロー』(小学館)になります。

残念ながらイタリア語と言えば「ボンジョルノ コメ スタ(こんにちは、元気ですか)」だとか、「ソノ ディ トウキョウ(東京出身です)」だとか、初歩的な定型文を数えるほどしか知らない筆者(私)。著者ジャコモ・マッツァリオールの文章が持つ魅力を原文で味わう力などありません。

ただ、訳者である関口英子さんの翻訳を通して伝わってくる著者の文才は特筆すべきで、村上春樹を思わせるユニークな比喩(ひゆ)の連続と、ユーモアに満ちた著者の視点が、扱うテーマの重たさを幾分か、というよりほとんど忘れさせてくれます。

「ヒーロー」である著者ジャコモ・マッツァリオールの弟ジョヴァンニは、21番染色体に、

<一本過剰な染色体が存在>(『家庭医学館』(小学館)より引用)

するダウン症候群をもつ男の子。染色体とは、人間の細胞1つ1つに入る線状の物体でした。誰もが22種+性別を決める1種の23種類を持っています。

それぞれが2個ずつセットになっていて、合計で46本の染色体を「普通の人」は細胞の中に持っているのですが、ある特定の染色体が2本ではなく3本、合計で47本の染色体を持っていると、ジョヴァンニのようにダウン症候群になります。

ダウン症候群の症状は?

ダウン症の症状としては、

<目と目の間隔が開き、目じりがつりあがった特徴の顔貌(顔つき)をしており、短い頭、幅広く扁平な鼻根、低い鼻すじ、長い舌、変形した耳介、太く短いくび、幅の広い手、太く短い指>(『家庭医学館』(小学館)より引用)

といった身体的特徴が共通して見られるといいます。見た目の問題以外にも、心臓など内臓に異常が見られる場合もあり、精神発達の遅滞も多くの場合で出てくるのだとか。

家族に障がいがあれば普通なら深刻になり、場合によっては気持ちが折れそうになってしまうはず。しかし、

<結局のところ、それがなんだというのだろう>(『弟は僕のヒーロー』(小学館)より引用)

というスタンスを、成長の過程で獲得した19歳の著者です。彼の語る言葉の響きは、障がい者を家族に持つ読者を大いに励まし、支えて、優しく背中を押してくれるはず。

著者からすれば、弟の障がいは生活や学業に差し障る「害」などではなく、弟をタイトルの通り「スーパーヒーロー」として突き動かしてくれる才能の源泉にしか見えないのですね。

 

誰もが最初から障がいを「個性」だと受け止められるわけではない

もちろん、著者のジャコモ・マッツァリオールも、最初から達観した境地にたどり着いたわけではないと書籍を読むと分かります。

 

他の赤ちゃんに比べると、歩けるようになるまでにものすごく時間が掛かる。

首が弱くてでんぐり返しができない。

行動が型破りすぎる……。

こうした個性を持つ弟との生活が始まると、時とともに歓迎ムードに変化が生まれ、弟の成長に戸惑いといらだちを抱いたと言います。

最初に生まれると聞いて、

<地面に膝をついて拳を握りしめ、オーバーヘッドでゴールを決めたばかりのサッカー選手みたいにガッツポーズ>(『弟は僕のヒーロー』より引用)

をしてしまうくらいうれしかった弟に、

<我慢ができなく>(『弟は僕のヒーロー』より引用)

なってきてしまったのですね。中学校では弟の存在を友達に隠し、いじめっ子が弟に絡んできても見て見ぬふりをして、いら立ちを隠せず弟を突き飛ばす……。そんな自分に嫌悪しては涙を流したと言います。

<僕のやり方を押し付けようとすればするほど、ジョヴァンニは混乱して間違える>

<それを見て僕がいらいらすると、弟もいらいらしはじめる。しまいには僕が、勝手にしやがれと、すべて投げ出してしまう>

<あの頃の僕は、自分が正しくて弟が間違っているのだと一方的に思いこんでいた>

(全て『弟は僕のヒーロー』(小学館)から引用)

筆者(私)には障がい者認定を受ける兄弟も姉妹も、親も子どもも居ません。その意味ではストレートに思い当たる対象が居ないのですが、上述の引用文を最初に見たとき、なぜか自分の子育てを思い浮かべてドキッとしてしまいました。

「僕」を親に、「ジョバンニ」や「弟」をわが子に置き換えると、ある種の育児論にもなります。自分の思い通りに子どもが動かずイライラしてしまう親御さんにとっても、ヒントになる言葉が同著には記されているような気がします。

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