北アイルランドの公立小学校で、10年前から行われている哲学の授業とは?映画『ぼくたちの哲学教室』から学ぶこと

北アイルランド、ベルファストにあるホーリークロス男子小学校(*)。北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの対立が長く続いたこの街では、今でも宗教的、政治的対立の記憶が残っている。そんな地域にある公立小学校では10年前から哲学の授業が行われている。そこではどんなことが行われているのだろうか。

【ストーリー】ケヴィン校長の教えが子どもたちに自分で判断するスキルを育てる

この小学校のケヴィン校長は、子どもたちに哲学を教え、「どんな意見にも価値がある」という。彼の教えのもと、子どもたちは異なる立場の意見に耳を傾けながら、自らの思考を整理し、言葉にしていく。

麻薬やアルコールで身を持ち崩し、若くして死んでいく若者が多いこの街では、子どもたちが、自らにある不安や怒り、衝動に気づき、コントロールすることが、身を守る何よりの武器となる。

哲学の授業では、4歳クラスでも行われている。小さい子には小さい子なりに身近な言葉で伝え、意見を言うように促す。

過去の出来事や現在の生活、未来について、子どもたちに徹底的に議論をさせ、どんなに些細なことでも質問するように教える。物事のすべてに疑問を持つように、自分なりの答えを導き出すよう励まし、手助けをする。

 

また、「暴力は暴力を生み、決して止まない」との考えから、学校で起こる子どもたちの暴力に正面から取り組む。あらゆる喧嘩や口論は、ケヴィン校長のオフィスの外にあるフィロソフィーボード(思索の壁)に書き出される

 

対話により問題解決を探る公立小学校での取り組みを全世界に知らしめたい

アイルランドで最も有名といわれるドキュメンタリー作家のナーサ・ニ・キアナンと、ベルファスト出身のデクラン・マッグラの二人がつくったこのドキュメンタリー映画には、対話により問題解決を探るケヴィン校長の哲学の授業や学校内のトラブルの解決場面が映し出される。

 

来日した、ケヴィン校長と監督のナーサ・ニ・キアナンさんにインタビュー

ケヴィン校長と監督のナーサ・ニ・キアナン。

左がこの映画の中心人物、ケヴィン・マカリーヴィー。柔術の黒帯を持つ。愉快で、子どもたちやその保護者からの信頼の厚い校長先生だ。

彼は、生徒たちに、人生において何が起きても対処できるよう感情をコントロールし、抵抗する力を身につけさせることを教育の目標としている。

右は、監督の一人ナーサ・ニ・キアナン。アイルランドの長編映画やテレビのプロジェクトに携わった後、2001年にドキュメンタリーに転向。2004年のケルティック映画祭で最優秀長編ドキュメンタリーを受賞した『Frank Ned & Busy Lizzie』は世界各地で販売された。その後撮った映画のどれもが高い評価を受けている。

今回は、母親でもあり、著名な映画作家であるナーサにインタビューを行った。とてもカジュアルでフレンドリーなナーサは、真剣な表情でこちらの質問に答えてくれた。

日本では、哲学を学ぶ人が増えているが、今の時代、哲学が必要とされているのはなぜですか?

今の世界はフェイクニュースがあふれていて、どこに真実があるのかを判断するのが難しいと思っています。真実を見極めるためには、批判的にものを考える、常に物事について本当かという問いかけをしていくことが重要です。

それができることによってはじめて、正しい判断ができます。これからは、物事を自分で見極めるスキルが必要です。そのスキルを培うためには哲学を学ぶことが近道です。そのスキルがないと、例えば選挙において、候補者の意見をうのみにし、他人の意見に惑わされることにもなります。

 

子どもを育てている親御さんにこの映画のどんなところを観てほしいか?

子どもたちが物事を自分で判断するためにも、自分の感情、例えば「怒り」が自分の中にあることを認識することが大切。そして、どういう風にその感情が起こるのかを考えさせることです。

また、ほかの人の意見を聞くということも重要です。他人の意見を聞いてそれが正しいと思ったときに、自分の意見を変えられることがとても大切ですね。

 

この学校には、フィロソフィーボードがあり、例えばけんかをしたとき、子どもたちは校長先生といっしょにフィロソフィーボードの前で対話し、考えるんです。なんでこういう感情が現れたのか、友だちを殴ったとしたら、何で殴ることになったのか、これからどうすればいいのか……。

考えている間に怒りが静まり、部屋を出る時には、お互い友だちに戻っている。自分たちで考えさせて結論を出させる、そのプロセスのすばらしさを見てほしいですね。

 

撮影で学校に入ったときの子どもたちの反応、変化は?

もちろん私とデクランがカメラとマイクをもって入ると子どもたちはそれに反応し、大騒ぎになることは予想していました。ケヴィンに頼んで待機室をつくってもらい、撮影の時以外は毎日そこにいました。

私たちは子どもたちにとって背景となることをめざしました。家具のように目立たず学校の一部になり、授業の邪魔にならないようにしました。私たちは学校でたくさんの時間を過ごし、子どもたちは私たちのことが珍しくなくなりました。

休み時間など、校庭にはスクールスタッフ、スーパーバイザーがいて子どもたちを見ています。よほど危険な状態でなければ私たちは子どもたちのトラブルには立ち入ることはありません。

トラブルが起こったときに、スタッフやケヴィンたち教員が子どもたちにどう対応するかを撮影したかったんです。どう子どもたちに接し、対処するかを撮影するのが重要なことでした。

 

授業で子どもたちがたくさん発言している。日本ではあんなに活発に意見が出ないイメージがあるが…

哲学の授業は10年前から行われていて、意見を話すことに慣れています。先生たちは、哲学の授業だけでなく、日々の生活で常に子どもに何が起こったのか、本人から聞く耳を持っています。時間を費やして子どもたちから話を聞くんです。

子どもたちは4歳という幼いときから、何を言っても間違いではない、恥ずかしいことはない、意見をいう権利があることを学んできました。

ホーリークロス小学校は経済的にも恵まれない地域にあり、貧困や親の失業、自殺率も高い。でも、自分の意見を表現するということができています。これは、ケヴィン先生の哲学の授業の成果でしょう。

 

親御さんが家庭の中で、そういった態度を示していけば、どんな意見も間違いではないという教育が行われていれば、ホーリークロスの子どものようになれる?

なれると思います。ケヴィンの授業のやり方を見てほしい。授業では、子どもたちを馬蹄形に座らせ、ケヴィン先生は途中そこからすっと出てしまいます。その後、子どもたちの意見交換になり、クラスメートの意見から学びます。大人が教えるよりパワフルです。

 

この映画をどんな人に見てもらいたいか?

先生など教育にかかわる人にはぜひ見てほしいですが、年齢を越えていろいろな方に見てもらいたいですね。この映画は人生においての大切なスキルを学ぶことにもなります。

哲学というと高尚なものだと思ってしまいがちですが、そんなことはなく、どんな年齢でも使えるパワフルなツールと思っています。

 

  • 小学校のあるベルファストの街には「平和の壁」と呼ばれる分離壁が存在する。1998年以降、大まかには平和が維持されているが、一部の武装化した組織が今なお存在している。
  • 北アイルランドはイギリス(連合王国)を構成する一地域でアイルランド島の北東部を占める。1920年代にアイルランドがイギリスから独立し、北アイルランドと分離された。それ以来、プロテスタントとカトリックとの間で宗教的、政治的対立が繰り返されてきた。そういった背景がある所だからこそ、この取り組みに意義があるのだろう。

 

  • *ホーリークロス男子小学校。ベルファスト市北部、アードイン地区の中心地に位置するカトリック系の小学校。4歳から11歳までの男子が通う。

 

取材・文/原佐知子

『ぼくたちの哲学教室』(https://youngplato.jp
5/27(土)よりユーロスペースにて公開ほか全国順次

監督:ナーサ・ニ・キアナン、デクラン・マッグラ
出演:ケヴィン・マカリーヴィーとホーリークロス男子小学校の子どもたち

2021/アイルランド・イギリス・ベルギー・フランス/英語/ 102分/カラー/ 169 5.1ch /ドキュメンタリー 原題:Young Plato

日本語字幕:吉田ひなこ 字幕監修:西山渓 後援:駐日アイルランド大使館/ブリティッシュ・カウンシル カトリック中央協議会 広報推薦 文部科学省 特別選定(少年・青年・成人・家庭向き)

配給:doodler 配給宣伝協力:エスパース・サロウ 宣伝:リガード

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