「日本書紀」の特徴とは。誰がどんな目的で制作した? 書かれている内容は?「古事記」との違いも分かりやすく解説

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日本書紀という名前を知っていても、実際に読んだことがある人は少ないのではないでしょうか。日本書紀とはどのような書物なのか、いつ誰がどのような目的で制作したのか、またあらすじや内容、同時期に作られた古事記との違いについて分かりやすく解説します。
<上画像:9世紀の現存最古写本(応神天皇紀)・巻第十(田中本)奈良国立博物館蔵 国宝>

日本書紀とは、どんなもの?

ひと口に歴史書といっても、さまざまなジャンルがあります。まずは「日本書紀(にほんしょき」)のジャンルや書かれた年代、作者など基本情報をチェックしましょう。

日本初の正史(国編さんの歴史書)

日本書紀は、奈良時代初期の720(養老4)年に完成した日本最初の「正史(せいし)」です。正史とは、国が編さんした正式な歴史書を指します。全30巻で構成され、系図が1巻添えられていました。ただし系図は現存せず、写本もないため内容は分かっていません。

日本書紀の完成以降、平安時代初期にかけて続々と正史が編さんされます。「日本書紀」「続日本紀(しょくにほんぎ)」「日本後紀」「続日本後紀」「日本文徳(もんとく)天皇実録」「日本三代実録」をあわせて「六国史(りっこくし)」と呼ぶことも覚えておくとよいでしょう。

作者と内容

日本書紀の編さんには、さまざまな人物が関わっています。681(天武10)年、40代天武(てんむ)天皇が川島皇子(かわしまのみこ)ら12名に、「帝紀(ていき)」「上古(じょうこ)の諸事(旧辞とも)」の記定を命じたのが、日本書紀の始まりとされています。

帝紀は天皇家の系譜をまとめたもの、上古の諸事(旧辞)は神話や伝説を集めた書物です。その後、天武天皇第3皇子の舎人(とねり)親王が事業を受け継ぎ、720(養老4)年に、44代元正(げんしょう)天皇に奏上(そうじょう)しました。

全30巻のうち、1~2巻は神代(かみよ:神話の時代)について記したものです。3巻以降は初代天皇とされる神武(じんむ)天皇から、41代持統(じとう)天皇の代が終わるまでの出来事が、年代順に記録されています。

天岩戸神社「天安河原(あまのやすかわら)」(宮崎県高千穂町)。日本書紀の第1巻に登場する天照大御神(あまてらすおおみかみ)がお隠れになった洞窟をご神体として祀る。ここは、天地暗黒の際、八百万の神が相談した場所で、小石を積めば願いが叶うと伝わる。
天岩戸神社「天安河原(あまのやすかわら)」(宮崎県高千穂町)。日本書紀の第1巻に登場する天照大御神(あまてらすおおみかみ)がお隠れになった洞窟をご神体として祀る。ここは、天地暗黒の際、八百万の神が相談した場所で、小石を積めば願いが叶うと伝わる。

日本書紀の特徴

日本書紀の体裁や記載内容からは、歴史書らしい特徴が見て取れます。古事記との違いも含め、日本書紀の特徴を見ていきましょう。

慶長4年刊行の「日本書紀 慶長乙亥 季春新刊」神代 上

漢文・編年体で書かれている

日本の正史として編さんされた日本書紀ですが、実は和歌を除いてすべて「漢文」で書かれています。出来事を年代順に記述する「編年体」を採用しているのも特徴的です。

漢文は、当時、アジアの中心だった唐(とう、中国)の言語で、広く通じる国際語でもありました。現在の英語のようなものと考えてよいでしょう。

編年体も、中国の歴史書によく見られる形式です。そのことから、日本書紀は、国外に向けて日本という国をアピールする目的で作られたと考えられています。

幅広い資料を参考にしている

国内外の文献を幅広く参考にしているのも、日本書紀の特徴です。基本的な史料となったのは帝紀・上古の諸事(旧辞)の二つですが、ほかにも朝廷の記録・寺社の由緒(ゆいしょ)・中国や朝鮮の歴史書・個人の手記などが使われています。

多彩な文献をもとに編さんされた日本書紀には、日本の歴史だけでなく、天変地異から中国・百済(くだら:朝鮮半島南西部の国)の事件まで、さまざまな出来事が記録されているのです。

一つの出来事に対して「異なる説」を併記した箇所も多く、公平性や客観性を意識していたことがうかがえます。

能褒野(のぼの)神社(三重県亀山市)。日本書紀の第7巻に登場する「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を祀る神社。ここは日本武尊が没したとされる所で、4世紀末の築造と推定される「能褒野王塚古墳」があり、「能褒野墓」は日本武尊の墓として宮内庁が治定。
能褒野(のぼの)神社(三重県亀山市)。日本書紀の第7巻に登場する「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を祀る神社。ここは日本武尊が没したとされる所で、4世紀末の築造と推定される「能褒野王塚古墳」があり、「能褒野墓」は日本武尊の墓として宮内庁が治定。

古事記との違いもチェック

「古事記(こじき)」は、日本書紀より8年前の712(和銅5)年に完成した、日本最古の歴史書です。日本書紀と同じく、天武天皇の命で作られました。同じ人物により同年代に作られた日本書紀と古事記を、あわせて「記紀(きき)」と呼ぶこともあります。

古事記は、国内に向けて天皇家の歴史をアピールするためのものと考えられており、体裁や内容も下記の通り、日本書紀とは大きく異なります。

●日本独自の変体漢文を使い、物語調で書かれている
●全3巻中1巻を神話が占める
●33代推古(すいこ)天皇の時代までを収録

編さんに用いた史料は、帝紀と旧辞のみで、稗田阿礼(ひえだのあれ)と太安万侶(おおのやすまろ)により、約4カ月で完成しました。

履中(りちゅう)天皇「百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらみなみのみささぎ)」(大阪府堺市)。日本書紀の第12巻に登場する履中天皇の拝所。父・仁徳天皇陵に近く、前方後円墳・上石津ミサンザイ古墳に祀られ、日本書紀70歳、古事記では64歳で亡くなったとされる。
履中(りちゅう)天皇「百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらみなみのみささぎ)」(大阪府堺市)。日本書紀の第12巻に登場する履中天皇の拝所。父・仁徳天皇陵に近く、前方後円墳・上石津ミサンザイ古墳に祀られ、日本書紀70歳、古事記では64歳で亡くなったとされる。

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日本書紀の原文や現代語訳は読める?

日本書紀を読みたいときは、どうすればよいのでしょうか。現在、閲覧(えつらん)可能な原文や、現代語訳について紹介します。

原本は現存せず、写本のみが残る

日本書紀の原本は、残念ながら失われてしまいました。しかし、後世の人が書き写した「写本」はいくつか残っています。写本とはいえ、貴重であることに変わりはなく、なかには国宝に指定されているものもあります。

9世紀の現存最古写本(応神天皇紀)・巻第十(田中本)奈良国立博物館蔵 国宝

写本は、ほとんどが複製出版されているほか、ネット上に電子データとして公開されているものも少なくありません。下記のサイトでは、現存する最古の写本や、仮名(かな)・訓点などを書き加えたものなど、国宝指定の写本の画像が見られます。

e国宝  – 国立文化財機構所蔵 国宝・重要文化財

現代語訳のおすすめ

日本書紀の現代語訳を読むなら、小学館から出ている「日本書紀(日本の古典をよむ)」をおすすめします。「日本の古典をよむ」シリーズは、日本古典文学のベストセラーを、現代語訳と原文の両方で読めるように編集したものです。

日本書紀は上下2巻あり、下巻には地方の伝承を伝える「風土記(ふどき)」も収録されています。

小学館「日本書紀 上(日本の古典をよむ)」小島憲之 他

小学館「日本書紀 下(日本の古典をよむ)」小島憲之 他

貴重な資料として読み継がれてきた日本書紀

日本書紀は、奈良時代に、天武天皇の命で編さんされた日本初の正史です。国内外の文献を広く参照し、当時の国際語である漢文を用いて、客観的な視点でまとめられています。

完成以降、国の成り立ちや古代の出来事を知る貴重な手がかりとして重要視され、写本も多く残っています。現在まで大切に読み継がれてきた日本書紀をあらためて読んでみると、日本の歴史をもっと身近に感じられるかもしれません。

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構成・文/HugKum編集部

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