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『VIVANT』の“ドラム”はオーディションでの福澤監督との出会いがきっかけ
ドラム、大反響でしたね!富栄さんが今回『VIVANT(ヴィヴァン)』に出演することになった経緯を教えてください。
きっかけはバルカ警察のエキストラオーディションでした。モンゴル人もいて、モンゴル語のセリフをいうオーディションだったんですけど、その時に僕を見た福澤監督が、ドラム役にぴったりだと思ってくれたらしくて。
監督から「役者としてやっていく覚悟があるなら、お前にもっとぴったりな役がある」といわれ、「覚悟はあります」と答えたら、そこから話がどんどん進んでいきました。そのオーディション自体は落ちたんじゃないかって不安だったので、全然違う役をもらえてすごくうれしかったです。
“ドラム”は言葉が話せず翻訳アプリを使って人とコミュニケーションをする役所でしたが、大変だったことや難しかったことはありましたか。また撮影時で思い出に残っているエピソードを教えてください。
そもそも台本を覚えることをやったことがなかったので、いきなりの実践に備えての心構えが大変でした。難しかったのは、モンゴル語での掛け合いの中で、自分が翻訳アプリで音声を流している時や、相手のセリフを聞いている時の表情ですね。でもとにかく全部が初めてだったので何をするにも不安でしたが、気持ちで乗り切った感じです。
撮影の時に思い出に残っているのは、共演者の方と四股(相撲の動作のひとつで、両足を開いて構え、片足を高くあげ強く地を踏む所作)を踏んだことです。四股は下半身を鍛える運動としても知られていますが「走って息切れする」というシーン撮影の時に「四股をふむと息切れしやすくていいい」といっていたのも印象に残っています。
『VIVANT』で演じた“ドラム”を芸名にされたということですが、理由を教えていただけますか?
姓名判断で本名より運気がよかったのもあるんですが、福澤監督が『VIVANT』の役名の“ドラム”という名前を考えた時にドラム缶をイメージしていたらしくって。僕も体型がドラム缶みたいだし、「富栄ドラム」という漢字とカタカナの並びがすごく目に入りやすいと思いました。
でも何より『VIVANT』の“ドラム”が、僕のちゃんとした役者としてのスタート地点なので、これを芸名にすることによって、「いつでも初心に戻って、あの時を思い出せる」っていう意味でも“ドラム”がいいなと思って芸名にしました。
実力主義の“相撲界”で、何があっても「3年後の稽古や」と頑張り続けた
相撲界で力士「富栄」として頑張っていらっしゃいましたが、相撲界に入ったきっかけは?
僕は小さい頃にアメリカのプロレス団体“WWE”のプロレスラーになりたいという夢がありました。中学生のときは部活で柔道をしていたんですが、進路を決める時、柔道推薦で高校に行くか、自衛隊に入るか、純粋に勉強をした方がいいのか…とかいろいろ悩んでいたんです。そんな時に相撲部屋に遊びに行く機会がありました。力士は体が大きくて目立つし、何よりちょんまげがかっこいいなって思って、相撲に惹かれていきました。
1番響いたのは、「実力さえあればどんどん位が上がる」という実力主義のところです。勉強よりは運動神経に自信があったので、どちらかといえば体で稼ぎたいと思っていたんですよね。家が裕福じゃなかったので、家族のために頑張りたいっていう気持ちもありました。でもちょっとミスったのは、相撲経験がなかったことと、僕は体が小さいのに相撲は無差別級だったことです(苦笑)。
相撲界で頑張っていた13年間は、ご自身にとってはどんな存在ですか。
もうとにかく「修行」って感じでした。目標は“十両”という位に昇進することでしたけど、その夢のために、どれだけ勝とうが負けようが、何があっても「3年後の稽古や」と思ってやっていました。忍耐力から礼儀まで、何から何まで鍛えていただいた場所です。
「3年後の稽古」とおっしゃっていましたが、1年後でも2年後でもなく、「3年後」だったのはなぜですか。
やっぱりすぐ結果は出ないじゃないですか。本音を言うと、最初は取り組みで負ける度に「辞めたい」って思ってしまっていたんですけど、それだと持たないと気づいたんです。月単位でも1年後でもなく、もっと長く「3年後」を見据えて、日々稽古に励むことで続けられていたっていうのはあります。
富栄さんが思う相撲の魅力を教えてください。
やはり日本の伝統を守っている歴史的なスポーツというところと、苦しくて厳しい稽古で精進していく世界なので、その目には見えない迫力も魅力だと思います。
相撲界で抱いていた夢を「やり方」を変えて叶える
力士として現役を引退されることになって、次の人生を歩むにあたり、芸能の道に進もうと思ったきっかけは何ですか。
僕は「相撲で出世して人気のある力士になりたい」という夢があったのですが、それは「横綱に昇進したい」というよりも、「メディアでも活躍して芸能活動もする力士になりたい」という思いがあったんです。それに未経験で力士になったので、相撲は「仕事」という気持ちが大きかったのもありました。
小さい頃からドラマを見ていたら「こういう作品に自分が出たい」って思っていたし、「学校で1番おもしろい」っていわれたくてお笑いの研究もしていたし、歌って踊るグループがいる事務所に応募しようかなぁ〜って思ったこともあるほど芸能界に興味がありました。
力士を引退する時、相撲界で自分が抱いていた夢が破れるのか…って思ったんですけど、「だったら方法を変えて自分の夢を叶えよう」「好きなことを仕事にしよう」と思い、一歩踏み出しました。だから、ただやり方を変えたっていう感覚ですね。
相撲界で活動していた経験は、今、芸能の道を進むにあたり糧になっていることはありますか。
今思い返すと「あれ以上しんどいことはない」って感じています。ちょっと忙しい時にしんどくなることもあるんですけど、力士をやっていた時に比べたら「全然まだまだいける」って考えることができています。
今歩み始めたばかりの芸能の道でまだまだ先は見えないけど、「3年後を見据えて頑張る」という心構えは力士の頃と同じですね。あと相撲界は、礼儀だったり上下関係が厳しかったりするので、芸能の世界でもそれは役立っていると感じています。
力士仲間からの「希望になっている」の言葉がうれしい
力士「富栄」から役者「富栄ドラム」としてスタートを切られ、ご家族や力士仲間からはどんなリアクションがありましたか。
親も力士仲間もみんなすごい喜んでくれています。嬉しかったのは、力士仲間が「辞めたあとにそういう道があるんだっていうのを示してくれたおかげで、みんなの希望になっている」と言ってくれたことです。あと、それまで親戚付き合いがあまりなかったけど、急に親戚が増えました(笑)。
今、ドラマや映画、ミュージックビデオや冠番組『ドラム馬JOB大冒険』など様々なお仕事をされていますが、今後やってみたいお仕事、役柄、ジャンルなどを教えてください。
もう本当に自分では「これ」とは決めずに、目の前に来たものを全力でやるだけです。ひとついうなら、もともとの夢だった“WWE”のプロレスにゲストで呼ばれるとか、何かしら関われる仕事ができる機会があるとうれしいなと思っています。
そして今は、現場の本番が一番楽しいです。準備する時はたまにしんどく感じますが、本番に入ると「このために俺はやっているんだ」って思える。自分の強みは運動神経と忍耐力、行動力とこのフォルム。いろいろな世界を見てきたこれまでの経験を、今後の役者人生に活かしていきたいと思っています。
後編では、富栄ドラムさんの子どものころのお話やご家族とのエピソード、子どもたちへのメッセージをお届けします。
お話を伺ったのは
カメラマン/タナカヨシトモ 取材・文/綱島深雪