藤原道長は生まれながらの幸運児?
藤原道長は平安時代中期の公卿です。966年(康保3年)に、藤原北家の藤原兼家の息子として生まれました。
幼少期の道長のエピソードとして、正しいものは次のどれでしょうか。
①道長より先に生まれた兄姉たちは幼少期のうちに亡くなったので、不幸が続くことを恐れた両親は、生まれてすぐの道長を寺の養子に出し仏道修業をさせた。
②父・兼家と母・時姫の間にはそれまで女児しか生まれず、待望の男子として生まれた道長は幼少期から帝王教育を受け、元服する頃にはその早熟さで周囲を驚かせた。
③道長は、父・兼家と母・時姫の間の三男として生まれた。ほかにも母親の違う兄が二人いるため、男きょうだいの順番でいえば五男の末っ子であり、父の権力を継ぐ立場ではなかった。
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それでは正解について見ていきましょう。以下は『小学館版 学習まんが人物館 藤原道長』から。幼い道長が、母・時姫にやさしく諭される場面です。
まんが/田中顕 シナリオ/大野智史 監修/倉本一宏
『小学館版 学習まんが人物館 藤原道長』より
問題の答え:正しいのは③
道長は、父・兼家と母・時姫の間の三男として生まれた。ほかにも母親の違う兄が二人いるため、男きょうだいの順番でいえば五男の末っ子であり、生まれた時点では父の権力を継ぐ立場ではなかった。
末っ子の道長に何が起きたのか
道長は摂政・藤原兼家の子として生まれましたが、同じ母から生まれた兄が二人、さらに母親のちがう兄が二人いて、兼家の子どもとしては五男。嫡男ではなかったので、本来であれば父親の権力を受け継ぐ立場ではありませんでした。
ところが995年(長徳元年)に疫病が流行し、長兄の道隆が亡くなり(持病の糖尿病が死因だったという説も)、続いて次兄の道兼も亡くなります。兄だけでなく、道長の上位にあった一族の男性たちもほぼ全員亡くなってしまいます。次の権力の座に就くと思われていた甥の伊周(これちか)も、「長徳の変」というスキャンダルが原因で失脚し、道長の人生は思わぬ方向へと開けていきます。
その後の藤原道長を知りたい人のために
『小学館版 学習まんが人物館 藤原道長』
今回のまんがは伝記まんがの決定版「学習まんが人物館」シリーズからの抜粋です。藤原道長の人物像を追う巻は、大河ドラマ『光る君へ』の時代考証を担当した倉本一宏先生が監修。平安貴族の日記研究の第一人者である倉本先生の著書などを参考に、できるだけ史実に忠実に道長の生涯を再現しています。
巻頭・巻末には、写真や図説で同時代の文化や関連人物との相関がていねいに解説され、歴史背景をしっかり把握しながらまんがのストーリーを追うことができます。知られざる藤原道長の真実の姿を、子どもだけでなく大人もいっしょにたどってみませんか。
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構成・文/HugKum編集部