<お話を伺った人>
目次
YouTubeばかり見ていた自分を変えたかった
――山海留学に行こうと思ったきっかけは?
もともと不登校だったんです。小3から小5までフィリピンのマニラ日本人学校に行っていて、小6のときに日本に帰って来ました。はじめは学校に行ったんですが、すでに友達はグループができていましたし、集団のペースに合わせるのが苦手で、学校のシステムにも合わなくて、すぐに行かなくなりました。部屋にこもってYouTubeばかり見ていて、自分でもよくないな、何か変えたいなという気持ちもあったんです。
山海留学について教えてもらったときは、自然がいっぱいの学校に通うのは楽しそうだなと思いました。
――留学先は、どんなふうに決めていったんですか?
最初は、ネットで全国の山海留学ができる学校を探しました。あまり金額が高くなくて、少人数のところを探していて、海の近くでフィリピンの雰囲気に似ているところが気に入りました。里親か寮のどちらかで生活することになるので、なるべく留学している子が複数いる寮のあるところを探しました。里親は親同様の役割になるので、合わないと嫌だなと思ったんです。
申し込んだらすぐに決まるわけではなくて、申し込み後に一度、現地に下見にいかないといけませんでした。そこで本人が納得したら学校と面談します。実は山海留学は、やってみたらうまくいかなかったというケースがけっこう多いので、開始までの手続きが多いんです。
少人数だったので勉強の遅れを取り戻せた
――実際に学校はどうでしたか?
普通の公立の学校なので、学校自体はいままでと変わったところはありません。でも、教室に1人か2人しかいないので、先生との距離が近かったですね。集団からはずれないようにしなくていいので、素の自分でいられました。
よかったのは、私の学年が私1人しかいなかったので、すべて私に合わせて勉強を進めてくれたことです。不登校で遅れていた分を、そこで取り戻すことができました。また寮でも「みんなが勉強する時間」が決まっていたので、勉強ははかどりましたね。
不安になるのは初日までで生活には慣れた
――親元と離れて生活することは、辛くなかったですか?
自分のことは自分でやらないといけないし、寮の集団生活になじめるのか、不安はありました。最初はしんどかったですね。部屋にこもってはいけないというきまりがあって、部屋でipadで絵を描いていたら、没収されたこともありました。洗い物も洗濯もして、家とは全然生活が違って。ただ、すぐ慣れてそれが当たり前になるので、なんとかなったなという感じでした。
一番不安になるのは、行く前と初日じゃないでしょうか。ジェットコースターと同じで、乗るときと落ちる前が怖い(笑)。
――楽しかったことはどんなことですか?
いろんな体験ができたことですね。海が近いので、寮でもみんなで釣りに行ったり、シュノーケリングをしたり、いろんなことが新鮮でした。学校でも、海で水泳の授業がありました。
職場体験の校外学習もとても楽しかったです。ただ島なので、その体験に行くのに、フェリーで11時間もかかるところに行かなくちゃいけないんですよ。しかも、天候が悪くなって36時間もかかりました。大きい行事も他の学校と合同でやることが多かったですね。
結局自分には合わないと感じて断念。でも行ってよかった
――大変だったことはどんなことですか?
自分の時間がないことですね。寮であまりプライベートな時間がなく、嫌でもなじまないと生活できないんです。最初に歓迎会を開いてくれたのは嬉しかったし、一緒に寮にいた子も優しかったんですが、人によってはこの生活は合わないかもしれないですね。ちゃんと下見をして、自分に合ったところかを見極めた方がいいと思います。
私がいた寮は特別厳しかったんです。でもそこにいると、その厳しさが当たり前で何も感じなくなっていました。夏休みになって親元に帰ってきたときに、なんて過ごしやすいんだろうと思って、ああ合わなかったんだなと感じて留学を中止しました。
――留学を3カ月で辞めて帰ってきて、いまはどう感じていますか?
私は途中で帰ってきても、行ったことはプラスだったなと思っています。実は山海留学は、夏休みまでで辞めてしまう子がたくさんいます。私は1年は頑張ろうと思っていましたが、自分に合わないことを、それが正解なんだって思い込んでいることに気づきました。夏休みに帰省したとき、また留学先に戻るかどうか悩んで戻りませんでした。あそこで1年間頑張るよりも、家で好きなことに没頭したり、別の山海留学に挑戦してみるということにしました。いま山海留学は人気で、定員を上回る募集があるので、改めて応募したところは書類選考で落ちちゃったんですが、また別のところを探してみたいなと思っています。
親ができることは選択肢を広げて応援すること
はなちゃんの親御さんは、お子さんの山海留学について、どんなサポートをしていったのでしょうか?お父さんの西山絢さんにお話を伺いました。
――はなちゃんを山海留学に送り出すにあたって、どんなことをしましたか?
情報を調べられるのは親だけなので、ネットで山海留学のことを調べて、娘自身に選んでもらいました。山村留学の制度は全国にあるものの、申込みの日にちも手続きの流れも、地方自治体ごとに全然違うんです。書類で落ちることもありますし、申込みの前に下見に行かなければならないところもあります。
学校の規模や行事、寮制度、金額など、条件は人それぞれだと思いますが、一番大切なことは、子どもが留学に前向きであることだと思っています。子どもにやる気がないと結局うまくいかず、苦労したり、帰ってきてしまうことが多いです。
私は普段不登校の子どもたちに向けて、オンラインのフリースクールを運営しているのですが、選択肢のひとつとして山海留学を教えたところ、抵抗感を示す子は少なくありませんでした。でも少人数で手厚く世話をしてくれるので、集団生活が苦手な子など、フィットすれば楽になる子もいるのではと思っています。
いま不登校で小4の息子も、親元を離れることに抵抗があるというので、山海留学には行っていません。ただ、不登校向けのキャンプなどで、親元を離れてみるという経験をしていって、将来的に選択肢のひとつに考えられるならいいかなと思っています。
――生活面で、親元から離すことに心配はありませんでしたか?
私自身はありませんでした。自分自身大学から寮に入っていて抵抗がありませんでしたし、手厚く見てくれる大人がいると思っていたからです。でも妻はさみしがって、お見送りに行ったときも泣いて抱きしめていましたね。ただ、定期的に写真も送ってくれますし、行かせてしまえば安心感があったようです。元気でやっている姿を見ると、頑張っているなあと感じましたね。最初はこちらからはあえて連絡しませんでした。
子どもが一歩を踏み出すとき親は戻れる場所に
――3カ月で帰ってきたことについて、親御さんはどんなふうに捉えているのですか?
合わなかったらいつでも辞められる、引き返せるというのは、不安を抱えて挑戦する子どもたちにとってはメリットだと思っています。1年間行くという前提ではあるけれど、戻ってくることは当然できると伝え、「夏休みまでは行ってみて」と送り出しました。
大人が柔軟でいることは、子どもが一歩を踏み出すときに大事なことなんじゃないかと思います。学校に行くことや、場になじむことにこだわって、ただ辛い1年になってしまうのは、誰にとってもよくないと思っています。
――山海留学でよかったなと思ったことはどんなことですか?
本人が一番手ごたえを感じて、行ってよかったと言っていることです。いまは高校版の地域特性留学「地域未来留学」を軸に、進路についても考えられるようになりました。
普段不登校の子と接していると、地元の学校以外の選択肢が少ないと感じています。家以外の接点がないので、親元を離れることで自信を持つケースもありますし、何かを成し遂げる方法として「山海留学」というカードもあるのだと教えてあげたいです。
貴重な体験談を、ありがとうございました!
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取材・文/日下淳子