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「先生、大空小に入れてくれ」と、息子を連れて突然現れた父親
ふとした瞬間に、目の前にぶわっと立ちのぼってくるように思い出される親子がいます。これから話すのは、いまだに私の胸の中にずーっといる、そんな親子です。
この父ちゃんと息子との最初の出会いは、私が大空小学校に来る前の小学校にいたときでした。
突然の転入でしたから、よく覚えています。そのときは父ちゃん、母ちゃん、息子、そして妹の4人家族でしたが、子どもたちが2人とも学校に行きたくないということで、母ちゃんはとても苦しんでいました。
母ちゃんは飲食店を営んでいましたが、父ちゃんのほうはというと、定職につかないその日暮らし。ありとあらゆる“困り感”を全部抱えているような、そんな父ちゃんでした。
当然、子どもたちが家で安心して過ごせるような環境を整えるのが難しくて、母ちゃんはとても悩んでいました。けれど、必死になって子育てをしていたんです。
転入後、ほどなくしてまた引っ越してしまったのですが、私は母ちゃんのほうとは連絡を取り合っていて、何かと励ましていました。その後、夫婦は離婚。妹は母ちゃんが引き取り、息子は父ちゃんが引き取りました。父ちゃんとは音信不通だったので、息子がどうしているのか、くわしいことはわからないままでした。
私が大空小で校長になってから、その父ちゃんが息子を連れて、突然、姿を現したんです。
「父ちゃん、久しぶりやなあ」
職員室で挨拶してから、ようよう話を聞くと、息子は父ちゃんについて行ってから、ずっと学校に通っていないと言うのです。びっくりして、
「父ちゃんは好き勝手してかまへんけど、息子は学校で学ぶ権利があるねんで。その義務を果たせへんかったら、父ちゃんを警察に通報せなあかん」
と言うと、父ちゃんはきっぱりと言いました。
「だから、ここへ引っ越してきた。こいつはちゃんと勉強せなあかんから、先生、こいつのこと頼むわ」
こうして、息子は大空小に通うようになったのです。
「オタクの子がこたつ壊したで。修理代、出せ」
大空小に転校してきてから、息子は毎日、元気に学校に来るようになりました。ある冬の寒い日、仲良しの子を家に呼んで、こたつにあたりながらゲームをして遊んだ時のこと。友だちが帰った後、どういうわけかこたつが壊れてしまったそうです。
それを知った父ちゃんは、その子の親のところに「オタクの子が来て、こたつを壊したから、修理代を出せ」と連絡を入れてきたのです。
息子を大空小に通わせると決まった時、父ちゃんは私に「心を入れ替えて、やり直すから」と言っていました。とはいえ、今までまともに働いてきていないから、なかなか思うようにいかなかったんでしょうね。それで、息子の友だちの親からお金をとろうとしたようです。
お金を請求された親から「因縁つけられたくないし、怖かったからお金を払ってしまったけれど…先生、どうしたらいい? あんな親がいていいんですかね?」と相談を受けて、私はこのことを初めて知りました。
人を困らせる困った親を持っていたって、その子どもが不幸になってはならない
親同士の関係性がこじれることは、全国どこの小学校でもあることです。親の関係がいくらこじれても、子ども同士の関係性は変わってはなりません。このややこしくて難儀な父ちゃんの息子も、仲良しの友だちも、同じように安心して学ぶ権利があります。人を困らせる、困った親を持っていたって、その子どもが不幸になってはならないのです。
だから、私はお金を要求されて払ってしまった親御さんに言いました。
「お金のトラブルに関しては私がやれることをあの父ちゃんにする。だから、自分の子だけじゃなく、この父ちゃんの息子のほうもしっかり見守ってやってくれる?」
大空小はこんなふうに、困り感のある子どもに、学校のサポーターがみんなで「大丈夫?」「何に困ってる?」「何かできること、ある?」と関わっていた学校でした。教職員も一同でこの息子を守ろうとしていたし、地域の学校のサポーターたちにも、今回の事件を話して、できるだけこの息子とつながってもらいました。
そして、父ちゃんを校長室に呼びました。職員室のみんなは心配して聞き耳を立てていたそうです。
「何考えてんねん!」校長室で父ちゃんを一喝
私は「何考えてんねん!」と父ちゃんを一喝しました。
教員とか校長とか、そんな立場や肩書は吹き飛ばして、1人の生きている人間の先輩として、この父ちゃんを徹底的に説教したのです。
「息子がようやく、安心して大空小に通っているのに、あんたはそれを壊す気か? あんたがそんなことしてたら、この子の居場所がなくなってしまう。私はなんとしてでも子どものことを守るけど、あんたのことは守れへん! だから、あんたが出ていき! この子を守るためやったら、あんたを警察にでもどこでも、突き出すで!」
父ちゃんは反論はしませんでした。しおらしく聞いてましたよ。結局、あとで、お金も返したそうです。で、この一件以来、父ちゃんは劇的に変わりました。
「父ちゃんについていく」と決めた息子の優しさ
離婚するとき、息子はお母ちゃんについていくこともできたんですね。母ちゃんは自分で店を切り盛りしていたから、ちゃんと収入もあったし、暮らしも安定していました。一方で、父ちゃんのほうは定職もないような状態です。お母ちゃんについていったほうがはるかに安心して暮らせることは、幼心にもわかっていたはずです。でも、そうしなかった。
なぜかと言ったら、この子が優しかったから。「父ちゃん1人にしたら、死んでしまうんちゃうかな」そんなことまで考えていたのではないのかと思うのです。
父ちゃんが何か問題を起こすたびに、息子は校長室に来て「ねぇ、父ちゃんこんなことしたんだけど。どうしたらいい?」って相談していました。それは一度や二度ではありません。
「しょうもない父ちゃんやなぁ。ほんまに、どつきまわさなあかんな、もう」と言う私に、息子は「先生、ほどほどに頼むな」なんて言うのです。私は息子の前で平気で悪口を言いましたが、この子から父ちゃんの悪口は聞いたことは一度もなかった。子どもって、そんな生き物なんですよ。
その後の親子は…。後編はこちら
教えてくれたのは
何度でもやり直せばいい。子育ても、自分の人生も。お母さんを支える言葉は、人を支える言葉です。
取材・構成/渡辺のぞみ イラスト/本田 亮
*本記事は『お母さんを支える言葉』に所収のエピソードを元に、新たに取材・再構成したものです。