なぜイスラエルとイランは敵対しているのか?
昨年10月以降、イスラエルとパレスチナ・ガザ地区を実効支配するイスラム主義組織ハマスとの戦闘が続いていますが、ハマスだけでなく、レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派など、親イランのシーア派武装勢力などを支援するイランとイスラエルの間でも緊張が高まっています。
ヒズボラやフーシ派などはハマスとの共闘を宣言し、反イスラエル闘争をエスカレートさせていますが、イスラエルはそれらを支援するイランへの苛立ちを強めています。
たとえば、シリアの首都ダマスカスでは4月初頭、イラン大使館領事部の建物にイスラエル軍が発射したミサイルが着弾し、イラン革命防衛隊の司令官や軍事顧問ら13人が死亡しましたが、イランはその報復として初のイスラエルへの直接攻撃に踏み切り、ミサイルやドローンなどを発射しました。
また、イランの首都テヘランでは7月末、イランのライシ前大統領の事故死によって新たに選出されたペゼシュキアン新大統領の就任式へ出席するため、テヘランを訪問していたハマスの最高幹部イスマイル・ハニヤ氏が、イスラエルによる攻撃で殺害されました。イラン革命防衛隊によると、7キロほどの弾薬が付いた短距離飛翔体がハニヤ氏の宿泊する部屋に向かって打ち込まれ、イランは再びイスラエルへの報復措置を検討している状況です。
昨年秋以降の中東での紛争は、イスラエルVSパレスチナからイスラエルVSイランのように拡大していますが、ではなぜそもそも両国はこれほどまでに敵対しているのでしょうか。
1950年代~60年代は良好な関係
今でこそ犬猿の仲にある両国ですが、1950年代から60年代には国交があって良好な関係にあり、イスラエルとイランとの間では直行便も運航され、人々の往来も盛んでした。
当時イランでは米国と良好な関係にあったパーレビ国王が実権を握り、イスラエルとも良好な関係でした。イスラエルの対外情報機関モサドの元幹部も、イランで革命が起こるまでイランは中東で最も信頼できる国の1つだったと証言しています。
イスラム革命が契機に
しかし、その関係を真逆にさせたのが1979年のイランで発生したイスラム革命です。これによって親米だったパーレビ王政が民衆のデモによって打倒され、イスラム法を厳格に適用し、宗教による国家運営を目指す政教一致的な政権が生まれました。
これが今日のイランにも受け継がれていますが、イランの革命体制はイスラエルをイスラム教の聖地エルサレムを奪った敵とみなし、その存在も否定し、それまでの良好な関係は180度変わったものになってしまいました。
そしてイスラエルは、ハマスやヒズボラなど自らの近くに存在する敵を長年支援し続けるイランに対して強い不満と憤りを抱えており、両国の間では45年あまりにわたって政治的緊張が続いているのです。
この記事のPOINT
①イスラエルとイランは1950~60年代は、良好な関係だった。
②イランで起こったイスラム革命により、イスラム法を厳格に適用し宗教による国家運営を目指す政教一致的な政権が生まれた。
③イランの革命体制は、イスラエルをイスラム教の聖地エルサレムを奪った敵とみなすようになった。
④イスラエル側は、イスラエル周辺の敵であるハマスやヒズボラなどを支援し続けるイランに対して強い不満を抱えている。
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記事執筆/国際政治先生
国際政治学者として米中対立やグローバスサウスの研究に取り組む。大学で教鞭に立つ一方、民間シンクタンクの外部有識者、学術雑誌の査読委員、中央省庁向けの助言や講演などを行う。