「自分には勉強しかない」通信制高校から東大に合格! 8年間の不登校、発達障害で支援級に在籍した過去から大逆転、入学後に見えた景色は「意外と普通だった」

幼少期から集団行動が苦手、小2から8年間不登校だった田中秋徳さん(詳細は前編)。そんな自分を「一発逆転」したくて、東大受験という大チャレンジをしました。通信制の高校に通いながらの猛勉強、自宅での浪人、そして勝ち得た合格。その先に見えたものは何だったでしょうか。現在東京大学文学部3年生の田中さんが「現在地」を語ります。

【前編】8年間の不登校のお話はこちら

【8年間不登校から東大合格】小2から学校に行かず、中学では特別支援級に在籍。「勉強に劣等感があった」人生に起こった転機とは
先生の指示が聞けない。だからいやになって学校に行きたくない ――田中さんは小2から不登校だったそうですね。 田中さん 小さい頃...

「東大なんて入れるわけない」と言われたけれど……

――田中さんは「最低限の勉強しかしてこなかった」小学校時代を経て、中学で「東大に行きたい」と思ったのですよね。中学から塾に行き、勉強がだいぶわかるようになり、中1の最後の期末試験で学年2位をとったのは見事ですが、親御さんの反響はどうでしたか?

田中さん 当然ではありますけれど、「東大なんて入れるわけないだろう」と思われていましたね。「入れないだろうけど、まあ頑張ってみたら」というような反応でした。そりゃあそういう反応なのはわかるけれど、自分にはこれしかないわけです。どうしても自分の可能性を信じたいと思って受験を決めました。塾の先生は「2位、カッコいいな」って気持ちをのせてくれました。うれしかったですね。

以降、中2からはけっこう勉強しました。中学2年から浪人まではコンスタントで5~10時間くらいやっていました。ずっとSNSやゲームしかしていなかったから、中2までの分を取り戻すのが本当に大変でした。

通信制は行事や集団協働がないから効率よく受験勉強ができる!

――高校は通信制ですよね? どのように勉強を?

田中さん 小6から通っていた塾は中3でやめて、塾の先生が昼間に教えに来てくれる通信制高校があってそこに通い始めました。通信制高校から東大を受けるなんて、と思うかもしれませんが、むしろ僕にとっては有利でした。学校行事とかもないし、やろうと思えば勉強に全フリできます

田中秋徳さん

田中さん ただ、僕は発達障害(ADHD・注意欠陥多動症)があるので、極端に苦手な勉強の分野がありました。僕の受験時から共通テストにアクティブラーニング的な問題が出るようになったんです。マークシートだけでなく記述式が出てきて、これがすごく苦手でした。複数の資料が提示されて、それを読み解きながら答えを出すのですが、僕みたいな特性があると不利だな、と感じました。

自分には「勉強」しかなかった

田中さん 教科ごとの得手不得手もあって、文系の社会科と国語と英語はできたけれど、理科と数学は全然できなかったです。手計算とか、いくつもの条件を考慮しながら答えを出すようなものが苦手で、特に数字で説明されると拒否反応を起こしました。

でも、当時の僕にはほかに何もなかった。勉強で「成り上がってやる」って思っていたから、勉強するしかないんです。勉強で人生を逆転しないと、運動もできないしコミュニケーションも苦手です。一方、勉強はひとりでできるし、お金もそうかからない。

僕は文科三類を受けようと決めましたが、東大は1次も2次も理数系の科目があります。小学生の分を挽回し、苦手な教科を何とかするには時間がたくさん必要で、ほかのことに時間を取られない通信制の高校に行っていたのは、本当によかったんです。

長時間勉強するには体力も必要。筋トレもやった

――そんなに長時間勉強ができるなんて、それは才能ではないでしょうか。

田中さん あのときの塾の先生に感謝です。注意散漫なのをうまいこと整えてくれて、長い時間勉強できるように訓練してくれた。そして、「やらされなければできる」こともわかりました。そういう感覚をつかむことができたのはものすごい収穫でした。この感覚を使えば、ほかでも何かきわめようとしたらできるかもしれないと思えるようになりました。

当時の田中さん(本人提供)

田中さん ただ、模試とかはすごい苦手で。共通テストのあとの東大の二次試験って5教科(当時)あって2日間でやるんですよね。模試だとそれを1日でやるので、朝から夜まで会場に缶詰状態で、すごくつらかった。ずっとすわってばかりで体力もないから、腰が痛くなって。勉強って体力が必要だなと思いました。筋肉を鍛えるしかないと思って筋トレをしました。

現役では東大は不合格。浪人中に数学はあきらめてほかの科目に集中

――現役のときは残念ながら不合格だったのですね。

田中さん 現役のときは模試がE判定でしたし、受かったらラッキーくらいに思っていました。実際、合計で100点足りなかったです。

ショックとか、そういうのではないです。最初から折れてましたからね。マイナスからゼロに行く感じだったので。落ちたからといっていまさら就職もできないし、勉強しかしてこなくて、これしかなかったから、浪人してまた頑張ろうと普通に思いました。

中学校の卒業式(本人提供)

田中さん 勉強方法も見直しました。数学がすごく苦手で、数学の勉強に時間をかけていたんですが、どれだけ勉強しても点数は期待するほど上がりませんでした。現役のときの東大の二次試験は満点が80点(文系)で平均は30点くらいでしたが、僕の点は5点です。数字が苦手という特性もあるから、数学に勉強時間を割くのはもうやめて、ほかの科目に振り分けました。入試直前の模試ではB判定だったので、それでいいんじゃないかなと思っていました。

実際、2年目の受験でも共通テストの数学は200満点中90点。二次試験の数学も平均より30点近く低かったけれど、国語が平均より25点くらい高くて、ほかの科目もまあまあだったので受かったんです。その年は理系科目の平均点が低かったのも、理系科目が苦手な僕にはラッキーでした。

東大は、入学してみたら「ふつうの大学」?

――2年越しで東大受験を熱望し、見事「一発逆転」を果たしました。入学後は期待どおりでしたか?

田中さん 正直、「ふつうの大学」だと思いました。クラス分けされて集まってみると、まあそこは「学校」ですし、不登校時代にいやだった部分もそこにはあって。しかも、もっとショックだったのは、「東大に行くような人は深く勉強したんだろう」と思っていたのが全然で、「テストの点数を取るのがすごく上手だ」という印象でした。文科三類なのに哲学とか文学とかをやっていそうな人がいない感じで。

正直、大学を辞めようかと思いました。親にもそう言った覚えがあります。だけど、東大を辞めたら自分に何が残るのかと、ひとまず居場所を見つけないとけないなって思って、入れそうなサークルを探しました。それで出版サークルに入りました。自分と感覚が似ている人もいて、友達もいっぱいできました。

東大の前で(本人提供)

田中さん 出版サークル以外にも点字サークルとか学生自治会のサークルにも入りました。サークルはすごく楽しいですよ。そして、入学して半年くらいで、自分でもサークルを作りました。「Disability Studies Tokyo(略称:Dia)」という名前です。発達障害や精神的な困難を抱える学生を含む、多様な「生きづらさ」を持つ人々の居場所づくりをめざして活動しています。自分も含め、東大生って意外とそういう人が多くて。絶対必要かなと思ったんです。

ここでは、片付けられなくてゴミ屋敷みたいになっている学生の部屋を何とかキレイにするとか、いろいろやりました。自分たちの障害に関することを書いて文集にしたり、雑談する会を作ったり。学内のエレベーターのない建物に車椅子の人が行けないからエレベーターをつけてくださいと学校に掛け合ったり。今は50人くらい在籍していると思います。

学内、学外でさまざまな活動をして友達が増え、人生が変わった!

――いろいろな活動をしているのですね。人付き合いが苦手というご幼少時代とはだいぶ変わりましたか?

田中さん 今も人付き合いが苦手なんですが、「このままじゃダメかな」という強迫観念があって、それが裏返って社交的になっているといいますか。学外活動では、自主的な学術的フィールドワークのつもりで路上生活をしている人と話をしたり、自分も路上生活を経験して、それを出版サークルに持ち帰って書いてみたり。

この半年くらいで言っても、浅草で人力車のアルバイトをしたり、毎日新聞で学生記者したり、とにかくアルバイトは建設労働者も通訳もスーパーマーケットの覆面調査員もいろいろやりました。その都度友達ができるのも楽しいです。

――今は何年生ですか?

田中さん 3年生です。1年生の後半で体調が悪くなって留年しているので大学に入ってからは4年目ですね。4年生で修了したら大学院に進学しようと思っています。勉強が好きなので研究したい、何かのかたちで社会貢献したいなと思っています。だから自分の体験も包み隠さず人に話しています。

東大に入って選択肢が広がった

――東大に入ってよかったですか?

田中さん 入学当初はガッカリしたこともあったけれど、ひとつ言えるのは、大学に入って以降はすごく選択肢が広がったということです。大学だと自分が思ったことを行動に移せるし、それで成長ができます。人からやらされる感覚は非常に少ないです。目標があるからできるし目標があるからつらいというのもあるけれど、自分が心地よいと感じるやり方を探して頑張るといいかなと思います。

――ちょっと難しいところのある子を持つ保護者の方々にメッセージを。

田中さん 僕が言えることはあんまりないですが、難しい子どもを相手にするのは大変です、自分のことを振り返っても。保護者の方がお子さんによくないな、と思うことをしてしまうのも、仕方がないと思います。気にはしたほうがいいかもしれないけれど、みなさん真面目にやっていると思うから。真面目にやっていたら、いつか子どもも成長するんじゃないですか。

ーー東大に入ったから「すごろくが上がり」ではない、と教えてくれた田中さん。でも、劣等感に浸っていた不登校時代から大きく一歩を踏み出して、自由に人生を模索しています。崖っぷちで頑張ったからこそ「人生の選択肢が広がった」ときっぱりと言えるのですね!

不登校だった子ども時代、発達障害の診断を受けたときのことなど前編から読む

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先生の指示が聞けない。だからいやになって学校に行きたくない ――田中さんは小2から不登校だったそうですね。 田中さん 小さい頃...

お話を聞いたのは

田中 秋徳さん 東京大学3年生

小学校2年から中3まで不登校。通信制高校に通いながら受験部強をし、一浪して東京大学文科三類に合格。東京大学文学部倫理学専修に在籍し、同大学情報学環教育部のプログラムにも参加。

X:@Seren_kjerke923
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取材・文/三輪泉

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