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ランドセルは日本独自の文化
みなさんが毎日当たり前のように背負っているランドセル。実はこれ、日本独自のとてもユニークな文化だということを知っていましたか?
世界中を見渡しても、小学生全員が同じような形の丈夫なカバンを背負って登校する国は、他にありません。では、なぜ日本ではこれほどまでにランドセルが広まったのでしょうか。その歴史を紐解くと、今から150年ほど昔までさかのぼることになります。
オランダの兵士たちが使っていた「ランセル」がルーツ
ランドセルのルーツは、実は江戸時代の終わり頃にやってきた軍隊のカバンにあります。当時の日本は、西洋の国々に負けないような強い国を作るために、オランダから新しい軍隊の仕組みを学んでいました。
その際、兵士たちが荷物を入れて背負う布製のカバンのことを教えてもらったのです。オランダ語で背負いカバンのことを「ランセル(Ransel)」と呼んでいたのですが、それが日本人の耳には「ランドセル」と聞こえたことが、この名前の始まりだと言われています。
両手が自由に使えて歩きやすいカバンとして採用
その後、明治時代になると、有名な学習院という学校ができました。ここは、皇族や華族といった、とても身分の高い人たちの子どもが通う学校でした。
最初は馬車や人力車で送り迎えをしてもらったり、使用人に荷物を持たせたりして登校する子どももいましたが、学校側は「学校ではみんな平等であるべきだ」と考えました。
そこで「自分の荷物は自分で持ち、自分の足で歩いて登校しなさい」というルールを作ったのです。その際、両手が自由に使えて歩きやすいカバンとして選ばれたのが、軍隊で使われていたあのランドセルでした。
伊藤博文総理大臣が、のちの大正天皇へ贈られた逸話も
さらに大きな転換点となったのは、1887年(明治20年)のことです。皇太子だった大正天皇が学習院へ入学される際、当時総理大臣だった伊藤博文が、お祝いとして特別なランドセルをプレゼントしたとされています。
このとき贈られたのが、布製ではなく、今のランドセルと同じような黒くて四角い革製のカバン。この形が「かっこいい!」「便利そうだ!」と評判になり、まずは都会のお金持ちの子どもたちの間で、憧れのカバンとして少しずつ広まっていきました。

しかし、当時のランドセルはすべて職人が手作りする大変高価なもので、今のお金に換算すると数10万円もするような贅沢品でした。
そのため、多くの一般家庭の子どもたちは、風呂敷に教科書を包んで通ったり、安い布製の肩掛けカバンを使ったりしていました。ランドセルが日本中のどこにいても見られるようになったのは、戦後の高度経済成長期、つまり日本がどんどん豊かになっていった昭和30年代あたりでした。

子どもたちには良いカバンを与えたいという親心で広まった
その後、日本が豊かになり、丈夫なカバンを大量に作れるようになると、親たちは「自分の子どもには、一番いいカバンで勉強させてあげたい」と願うようになりました。
ランドセルは、6年間使っても壊れないほど丈夫で、転倒したときにクッションになって頭を守ってくれたり、水に浮くため災害時に役立ったりと、子どもの安全を守る工夫が詰まっています。
こうした子どもへの愛情と道具としての優秀さが組み合わさったことで、ランドセルは日本全国に一気に広まり、今の「小学生といえばランドセル」という光景ができあがったのです。

今では、色もカラフルになり、重さも昔よりずっと軽くなっていますが、その形や仕組みの基本は100年以上前からほとんど変わっていません。
みなさんが今、背負っているランドセルには、日本の歴史や、子どもを大切に思う大人の願いがたくさん詰まっているのです。明日からランドセルを背負うときは、ちょっとだけ「昔の兵士や、昔の子どもたちも同じように背負っていたんだな」と思い出してみてください。
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記事執筆/国際政治先生
国際政治学者として米中対立やグローバルサウスの研究に取り組む。大学で教壇に立つ一方、民間シンクタンクの外部有識者、学術雑誌の査読委員、中央省庁向けの助言や講演などを行う。
