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3歳で出合ったミヤマクワガタが、全ての始まり
――牧田さんが昆虫に興味を持ったきっかけを教えてください。
牧田 習さん(以下、牧田さん):3歳くらいのときに、祖父がミヤマクワガタを持ってきてくれたんです。大きい個体だと7cmくらいある、とても立派なクワガタでした。
それを見たとき、「なぜ動くんだろう」「普段はどこにいるんだろう」「何を食べているんだろう」と、次々と疑問が湧いてきたんです。子どもながらにすごく不思議で、それに形もかっこよくて!
「自分でも見付けたい」「捕まえてみたい」と思ったのが、昆虫に夢中になるきっかけでした。

――昆虫のどんなところに魅力を感じていたのでしょうか?
牧田さん:草むらに行くと、いろいろな形のバッタがいたり、同じカブトムシでも角が長いものもいれば短いものもいたりして、本当に一匹一匹個性があるんです。
人間と同じように、それぞれ違っていて、その多様性が自然の中にあふれている。それを見たとき、「すごいな」とときめきました。

昆虫は、一人でも楽しめる最高の相棒だった
――動物園や水族館にも様々な生き物がいますが、その中でも昆虫にひかれたのはなぜですか?
牧田さん:イルカやライオンは見ることはできても、子どもが気軽に触れることはなかなかできません。その点、昆虫はベランダや公園などどこにでもいるので、自分の手で捕まえて、じっくり観察したりできる。それがすごく面白かったんです。
――身近な存在だったんですね。
牧田さん:僕は小さい頃から、みんなと何か一緒にするのが得意ではありませんでした。遠足に行っても、うまく輪の中に入れないことが多かったんです。
そんなとき、ふと足元を見るとアリが歩いていたり、見上げればチョウが飛んでいたりする。子どもの頃の僕にとって、昆虫は一人でも夢中になれる、最高の相棒だったんだと思います。

北海道での出合いが、人生の目標を決めた
――将来や進学先について、好きな昆虫を中心に考えるようになったきっかけはあったのですか?
牧田さん:「昆虫博士になりたい」という気持ちは、なんとなくずっとありました。中学生になると、標本を作ったり、いろいろな昆虫を見たりするうちに、「昆虫ってこういう生き物なんだ」ということが少しずつ見えてくるようになってきて…。
そんななかで、大きな転機になったのが、中学3年生の修学旅行で訪れた北海道でした。珍しいコガネムシの仲間を見付けて、一気に北海道という土地に魅了されました。

――修学旅行でのひとこまがきっかけになったのですね!
牧田さん:そうなんです。翌年の高校1年生の夏に、「今度はちゃんと虫採りをしてみたい」と思い、紹介していただいた昆虫学者の先生を訪ねて、10日ほど北海道に滞在しました。
そこで、図鑑の中でしか見たことのなかった昆虫たちに次々と出会い、さらに感動してしまって。「研究したい」というより、「ここに住んでみたい」という気持ちになりました。

――住むとなると、北海道の学校を考えなければいけませんよね。
牧田さん:親に相談したら、「北海道大学にだったら進学してもいいよ」と言われて。「じゃあ北海道大学に行こう」と、その瞬間に目標が決まりました!
――超難関の国立大学ですね。進学先は、北海道大学一択だったのでしょうか?
牧田さん:はい、北海道大学一択でした。九州大学など昆虫研究で有名な大学もあると聞いていたんですが、周りの方から「北海道大学の先生や環境の方が、きっと合うと思う」と言ってもらったんです。
だから、「ここなら自分らしく過ごせるかな」と思って。全然、成績は足りていなかったんですが…絶対に北海道大学に行こうと決めて頑張りました。
大学での挫折とニュージーランドへのワーキングホリデー
――念願が叶って北海道大学に合格。充実した学生生活だったのではないですか?
牧田さん:いや、それが全然うまくいかなかったんです(笑)。それまで中高一貫の男子校だったので、ほぼずっと同じメンバーで過ごしてきていたのですが、大学では一気に知らない人ばかりの環境になって。女性もいるし、人も多いし、なんというか、急に「一般社会」に放り込まれたような感じがしてしまって……。
もちろん、虫採りばかりしていて僕が大学にあまり行かなかったというのもあるんですが、うまくなじめなくて。気づいたら、大学1年の8月くらいには留年確定です。
――前期のうちに留年が決まってしまったんですか?
牧田さん:たしか8単位くらいしか取れていなかったと思います。1時間じっと座って話を聞いたり、みんなでレポートを作ったりすることが、小学生の頃から苦手だったのですが、大学生になってもやっぱり難しくて……。
「大学は来年から頑張ろう」と思い、ニュージーランドへワーキングホリデーに行くことにしました。
――大学をお休みしてワーキングホリデーとはすごいですね! ニュージーランドでは、どのような生活をしていたのですか?
牧田さん:安い宿を転々としながら、その辺でずっと虫を探していたんです。すると、そんな僕を見たアメリカ人の昆虫学者の先生に、「大学を留年してまで? 研究でも仕事でもなく、ただ好きだからここまで来るなんて!」と驚かれました(笑)。

牧田さん:でも「面白いから、ちゃんと研究してみたらいい」と声をかけてくださって、現地の研究所に出入りさせてもらえることになったんです。そこで新種を見付けて発表したり、論文を書いたりして、本格的な研究の経験を積みました。
日本食レストランでアルバイトをして生活費を稼ぎながら、虫を追いかけて研究をする。今思えば、本当に夢のような時間でした。

――19歳で海外へ飛び出すことに、不安はなかったですか?
牧田さん:当時の僕にとっては、ニュージーランドに行くことより、そのまま日本にいて苦しい状態が続くことのほうが不安でした。自分の人生に意味を見いだせないまま、ずっとしんどい気持ちで過ごすほうが怖かったんですよね。
――その経験が、大きな転機になったんですね。
牧田さん:そうですね。年度が替わる3月頃には、だいぶ気持ちも回復していました。
ニュージーランドのよさが分かった一方で、日本のよさも感じられるようになり、一度戻ってみようかなと。“嫌になったら、そのときにまた考えればいい”…そんな気持ちで、日本に戻りました。
「好き」を突き詰めて、自分らしい仕事を
――日本に戻られてからは、どのような生活を?
牧田さん:今度は大学にきちんと通いながらも、時間を見付けて海外に行っては虫採りする日々でした(笑)。そんな生活を続けてるうちに、あっという間に大学3年生。まわりが就職活動を始めたんです。
「自分はどうしようかな」と考えながらテレビを見ていたとき、ふと「昆虫や虫採りのことを、もっとたくさんの人に伝える仕事ができたら面白いかもしれない」と思って。それが、タレントという仕事に興味を持つきっかけになりました。
ただ、大学院には進もうと思っていたので、今後の仕事のことも考えてまずは東京にある大学院を検討しました。北海道大学が東京にあったら、そのまま北大に行っていたと思いますが、東大が東京にあったので、「じゃあ東大に行こうかな」という感じです(笑)。

――でも、タレントの仕事は、よりたくさんの人と関わるイメージがありますが、そこは大丈夫でしたか?
牧田さん:これは僕の持論なんですが、世の中には「人と関わっているように見えて、実はあまり関わっていない仕事」と、「一人でやっているように見えて、実はものすごく人と関わる仕事」があると思うんです。
研究者は後者。一人で黙々と研究しているように見えても、実際には多くの人と協力しながら進めていかなければなりません。僕にとっては、そちらのほうがむしろ大変でした。
その点、タレントの仕事は、人と関わるように見えて、意外と個々に進められる部分が多いと感じています。もちろんたくさんの方と仕事をしますが、それぞれが違う分野のプロとして、お互いにリスペクトしながら取り組める。そういう関係の中で働けるのは、とてもありがたいですね。
――幼少期に抱いた「虫が好き」という気持ちをここまで長く持ち続け、さらに仕事につなげられるまでになった理由は何だと思いますか?
牧田さん:僕、めちゃくちゃ負けず嫌いなんですよ(笑)。
「これが必要だ」と思ったら、とりあえずやる! 大学受験も、大学院受験も、博士論文も、決して楽ではありませんでしたが、「誰かにできたことなら、自分にもできるはずだ」と思って乗り越えてきました。
子どもの頃は、ただの虫好きでよかった。でも、それを仕事にするには、大学に進み、大学院で学び、博士論文を書くというように、一段ずつ階段を上っていく必要がありました。とはいえ、その積み重ね自体は、それほど苦ではなかったんです。やっぱり、好きなことのためなら頑張れちゃうんですよね。
気づけば、昆虫を追いかけて26年。今もこうして、大好きな昆虫を追いかけ続けられていることが、本当に幸せです。

――昆虫への「好き」を真っすぐ追い続け、自分らしい仕事へとつなげてきた牧田さん。では、子どもの「好き」はどのように育まれていくのでしょうか。後編では、親がどこまで手を貸すべきか、「好き」がまだ見付かっていない子への向き合い方についても伺います。
後編はこちらから
この記事を書いたのは
法学部卒業後、通信教育などを手がける教育業界の企業に勤務し、その後ライターとして、女性誌や複数のWeb媒体で、暮らしや子育てを中心としたライフスタイル分野で取材・執筆を行っている。2児の母で、子どもはすでに成人しており、中学受験や大学受験を経験。実体験をもとに、同世代の女性に寄り添えるような記事を心がけている。