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今は教師だけど、子どもの頃は忘れ物がひどくて宿題もやらない
――井本先生の小学校時代は、どんなお子さんでしたか?
おおげさでなく、本当に大変な子どもだったと思います。やっちゃいけないっていうことをするんですよ。
遠足では「行ってはいけない」というところに勝手に行くし。ガラスはどれだけ割ったかわからない。放送部でもないのに放送してみたくて、放送室に忍び込んでマイクつかんで、「そこのうんていしてるヤツ帰れー!」みたいに先生のマネしてふざけたりね。
時間通りに来ないし、忘れ物もひどくて、宿題もやらない。
でも、悪気はないんです。好奇心とサービス精神。クラスの中に静かな子っているじゃないですか。そういう子が思わず笑っちゃうようなことができたら最高だと思ってました。
いつも僕が言っていますが、人を「プルッとさせる」っていうことをしたい。それだけでしたよ。盛り上げて楽しませて感激させたいんです。
だから、まったく折れない。忘れ物をすると「忘れ物表」のマスを塗りつぶすんだけれど、僕のだけものすごく長く塗りつぶすから、僕のせいで表の長さが伸びました、イェイ!みたいな(笑)。
無茶がすぎて母親と近所にあやまりに行くのが日常
――学校は好きでしたか? 怒られてばかりで不登校になるようなことはありませんでしたか?
学校が好きかどうかは考えたことはなかったけれど……、ということは、いやじゃなかったんですかね。不登校ではまったくなかった。
いわゆるガキ大将です。無茶ばかりするので、友達と遊んでいる途中、その子の母親が「陽久ちゃんと遊んじゃいけないって言ったでしょ!」って、その子を連れて帰ることもありました。
イチバン無茶していたのは、小学校3,4年生の頃かな。当時の担任が4年の最後の保護者面談で、「(お子さんに対して)学校にいろんな苦情が来ましたけれど、みんな学校が止めておきました」って、うちの母親に言ったそうです(笑)。でも、昔はクラスごとに電話連絡網があって、電話が公開されていましたから、うちにも苦情の電話はたくさんかかってくるんですよ。だから、母親としょっちゅうあやまりに行っていました。
僕が大人になってから、母が当時を振り返って、「この間まで仲良くしていたお母さんに急に無視されるようになるそのたびに、『ああ、また陽久がなにかやったのね』って思っていた」と、言っていました。
おおらかで子どもを肯定する母と自由人の父に育てられた
――お母様は、そういうとき、井本先生を叱りましたか? お父様はどうでしたか?
母親はおおらかでしたね。専業主婦でしたが、兄貴が障害児だっていうのがあるからか、そもそもおおらかで肝っ玉太い上にさらに、って感じで。謝りには行くけれど、叱られなかったし、やりたいことは存分にやらせてくれた。
100%子どものことを肯定する人でした。
一方、父親はきげんに左右される人で。きげんが悪いとめちゃめちゃ怒られるので、ちょっと煙たくて。酔って帰ってきて機嫌が悪いと、もう寝たふりしていました。でも、あまり世間体など気にしないで、自由にふるまう人でもあって。ふつうやらないこともやるんで、そういうのは似てるかもしれない。だれもやらないことをやってワクワクするっていう部分は、親父に影響を受けているかもしれませんね。
こういう親のもとで育ち、とにかくやんちゃ。エネルギーがはみ出して止められない子でした。いわゆる「多動」ですね。授業中でも毎回、通信簿には「立ち歩きが多い」って書かれていました。もちろん、「気にしてないよ、イェイ!」でした(笑)。
ただ、「多動」は成長するとだんだん落ち着いてくると言われていまして。僕の場合は5年生の頃に一番仲良くしていた友達が塾に行ったのがきっかけで塾に行くようになって、行って勉強してみたらおもしろそうだ、ってなって。それまで勉強なんか一切していなかったし、宿題もしないわけです。でも、塾で勉強を始めた途端に、エネルギーがそっちに行ったんですね。問題行動がフッと減ったんです。
問題行動が激減して勉強力がついたのは、問題行動のおかげ!?
――それはもともと、井本先生は勉強ができたからでは? 小学生時代、成績はよかったのですか?
たいしてよくないですよ。学校の通信簿で言うと、AとBが半々。行動所見はCCC(笑)。
でも、当時の自分を客観的に見たら、僕、頭よかったんですよね、おそらく。その「頭いい」って何かといったら、小さい頃から自由にさせてもらっていたじゃないですか。その自由の中で頭を使う。興味を持ったことを実現したくて、自由に力を発揮して、自分が納得できるまで試行錯誤する。それはみんなオリジナルです。自分で全部決めている。ドリルを「基本」だとか言うけれども、そんなんじゃなくて、「自分のやり方で思うようにやる」経験こそが、すべての学びの土台です。
――小さい頃から自由にやれる環境があったからこそ勉強で自己実現できたし、不登校にもならなかった、ということかもしれませんね。
僕がもし、親父のようなずうずうしい自由さを持っていなかったら、苦しかったかもしれない。そして、どんなことをしても子どもを100%肯定してくれる母親がいなかったらつらかったと思います。
僕は宿題なんかやったことがなかったし、平気でやらなくてもいい環境に育った。もし、やらないとダメなんだと学校からダメ出しされて、親もそれに従いなさいって言われていたら、つらかったはずです。
不登校なのに「いもいも」には来られる子がたくさんいる
僕の教室の「いもいも」に来ている子には、不登校の子がたくさんいる。「いもいも」ではすごくのびのびしていて、不登校だなんて、考えられないくらい、教室では楽しそうにしています。でも、学校に行くとかたまってしまって、1時間もいられない、おかあさんから離れられない子もいます。学校では存在を消している子もいる。
「いもいも」には、小学校3年生のすごく聡明な子がいます。その子も不登校なのですが、「どうして学校に行きたくないの?」って聞いたら、「やりなさいって言われたこと以外やっちゃいけないから」と言ってました。
なぜ、不登校になるのか、わかってきますよね。
インタビューは続きます。次の記事では「いもいも」で大切にしている「自分のやり方でやる」「自分の考え方で考える」こと、教室に来る不登校の子どもたちやその親御さんについて、お話しいただきます。
※1 文部科学省「令和元年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要」
井本陽久(いもと・はるひさ)/ 栄光学園数学教師。花まる学習会にて『いもいも教室』を主宰。栄光学園中学高等学校、東京大学工学部卒業。長年、生徒と共に児童養護施設で学習ボランティアを続ける他、福島県飯舘村の飯舘中学校特別講座を定期的に開催。東京都西多摩郡檜原村では森や川で過ごし自ら考える力を育む「森の教室」も「いもいも」として主宰。その生き方と活動は、『いま、ここで輝く。』(おおたとしまさ著)、NHK総合『プロフェッショナル 仕事の流儀』(2020年1月放映)で詳しく紹介されている。
取材・文/三輪 泉 撮影/五十嵐美弥(インタビューカット)