目次
大学時代から挫折の繰り返し……。辿り着いたやきもの世界
僕は化学が得意で薬科大に進学したのですが、心の病にかかり、7年在籍したのちに中退。就職しようと思っていたらリーマンショックで、求人がほとんどない状況に陥りました。
そんな中、カフェやイタリア料理のレストランでバイトをしているうちに、料理人になろうかと思うようになりました。幼いころから母が料理教室を開いていたので、その影響もあったと思います。そこで福岡へ修行に行ったのですが、僕は体もメンタルも強くないタイプ。すぐに耐えられなくなって、料理人の道はあきらめて、コールセンターでバイトを始めました。その職場は、厳しい上下関係もないし、残業もない。そのうえある程度、稼ぐこともできて、なんとなくダラダラ過ごしていました。ただ、どこかで「このままではいかん」と自分の中で思っていたんですよね。
有田の窯業大学でドイツ人の妻と出会い、2人で長崎県の波佐見の窯元に就職
そのような僕の姿を見かねたのでしょう。母が佐賀県有田にある窯業大学校へ行くことを勧めてくれたのです。目的は、最終学歴を〝中退ではなく卒業〟にすることでした。
母の窯業大学校進学の提案は、父が趣味で陶芸をしていたこともあったのかもしれません。抵抗はあったものの母の提案を受け入れることにしました。その当時は人生を諦めかけていて、とりあえず学校へ行って、もし合わなかったらふるさとの熊本へ帰って、ひっそり生きていけばいいというぐらいの気持ちだったんです(笑)。
いざ入学してみると、やきものづくりを学ぶことは、僕にとっては意外と楽しいものでした。努力をすれば技術が少しずつ上達していくし、焼きあがった作品を見て、さらに上を目指したいと思う。そんなことの繰り返しがおもしろくて、2年間のコースを無事に修了することができ、波佐見の窯元に就職しました。
ドイツで高校時代から焼き物と日本語しか勉強してこなかった妻
妻のミリアムとは、窯業大学校時代に友人を介して知り合って、就職後、結婚しました。彼女は高校時代からやきものに興味を持ち、大学時代に窯業大学校の交換留学生として初めて来日。日本のやきものが大好きになって、その後もさらに学ぶため、大学卒業後、ドイツの国費を使って窯業大学校へ再度留学し、波佐見の窯元に就職をしたひとです。やきものに対する情熱は、僕とは比較にならないくらい持っている人でした。そんなふうに対照的なふたりが、結婚することになったとはふしぎなものだと思います。
対等な関係の夫婦でいるために、工房を共同経営することを決意
窯元に就職したものの、その仕事内容は窯業大学校時代に描いていたものとは、イメージが異なりました。波佐見焼は、昔から時代のニーズやファッションをその都度取り入れて、それを咀嚼して生産して続いてきたやきものの里。外に開かれたイメージがあって、僕のように外部から来た者も馴染みやすい土壌がある気がしました。だから就職したんですよね。
その考えは間違っていなくて、波佐見は確かに風通しが良かったのですが、大量生産品を作るため、工房は分業制で、造形から、色づけ、絵付けや仕上げまでを一貫して手がけることができなかったのです。でも、僕はそのすべてを自分の手でしたかった。それで妻とふたりで独立をすることを決めました。
結婚のときに決めた「互いに対等な立場でいる」こと
独立を考えた背景には、じつはもうひとつ理由があって、結婚をして、これから子育てをするうえで不安を感じたことも大きかったです。僕たちは結婚するときに〝互いに対等な立場でいよう〟という約束をしていたのですが、それが工房従業員という立場ではなかなかうまくいかないと思ったのです。
〝対等〟というのは、仕事も家事も育児もすべてふたりで平等にしながら生きていくということです。ドイツ人の妻にとってはしごく当たり前のことでしたし、僕もそれにはまったく異議がありませんでした。しかし、僕らふたりが務めていた職場では、有休や育休を取ることがなかなか難しく、当時は賃金や福利厚生も含めて満足のいく待遇ではなかったのです。それで、独立してふたり独自の働き方や暮らし方をしようと思ったんです。
とはいえ、独立したからといって収入も仕事内容も安定するわけではありませんでしたから、一種のギャンブルみたいなものでしたが……(笑)。
波佐見町の「空き工房バンク制度」を使って「スタジオワニ」を設立
そうして、2017年に設立したのが、現在の「スタジオワニ」(WA2)です。工房名は綿島(ワタジマ)が2人だから「ワニ」。単純な理由で命名しました。結婚したばかりで、ふたりともちょっとウカレていたんですよね(笑)。
工房は、ゼロから作る資金はなかったので、波佐見町ならではの移住制度「空き工房バンク」で探して、それをリノベーションしてスタートしました。後継者不足などの影響で、波佐見には廃業した工房の空き家が複数あって、そうした空き家を、自治体が移住者でなにがしかの事業をしたい人に向けて斡旋して貸し出しているだけでなく、所有者の意向によっては、その物件を買い取ることもできるのです。しかも、その家を町内の業者にリノベーションを委託した場合は、マックスで50万円の支援金も受給できるのです。
「スタジオワニ」の工房としての理念は、〝職人でありながらデザイナーでもあり、良いやきものを作る〟というもの。当初、ふたりで描いたイメージのままで、「ろくろ」、「削り」、「絵付け」、「釉かけ」、「窯焚き」までを一貫して手がけることを基本としています。
夫婦と3人のスタッフで工房を運営。昨年は、SNSがきっかけで「恐竜の染付け」シリーズが大ブレーク
創業から5年が経ちますが、おかげさまである程度満足のいく生活が送れるようになりました。工房を立ち上げてすぐ長女が生まれ、現在は、僕ら夫婦に加えて3人の女性スタッフを雇うこともでき、昨年は自宅も新築しました。今後は、自宅の隣に工房を作ることを計画中です。今年1月には次女も生まれて、仕事と育児に忙しい日々を送っています。
昨年、SNSで妻のデザインした恐竜をモチーフにした藍染めの器が人気が出て注文が殺到しました。現在は、人手がないので作ることを断念しているので、それも是非再開したいですね。
家事の経験がほとんどなかった僕。母の言葉が後押ししてくれた
ドイツ人の妻から学んだ生活スキル。今では、妻よりこだわるように
結婚をするとき決めたように、仕事も育児、家事も当初から妻と役割分担を決めて、なるべく対等に行なっています。
とはいえ、仕事と育児、家事の両立は大変でした。時代もあるとは思いますが、育った環境は、男が家事をすることは考えられないような風潮があり、僕は、家事はほとんどしたことがない人間でした。義実家で苦労したであろう母から、結婚する際に「悪い流れは、アンタでやめなければいけないよ」と言われたぐらいです(笑)。
ひとり暮らしをしていたので、料理はある程度できたのですが、洗濯や掃除はまるでダメ……。でも、妻から教えてもらうことで、現在ではなんとかできるようになりました。
ドイツ人は質素堅実で、きちんとした生活をするスキルを身につけているんですよね。例えば、買い物をする際に使用するエコバッグも、妻はかなり前から使っていて、以前は会計のときにスーパーのレジ係の人に「ビニール袋が要らない」と言うと、ちょっと異質な目で観られていました。
でも、いまでは、僕のほうが妻より家事に関してはこだわりが強いぐらいです(笑)。
ただ、長女が生まれたときは、初めての育児でパニックになりそうでした。僕は妻が入院しているときから育児に対して神経質になって食事もとれませんでしたし、妻の両親がドイツから来日して、育児を手伝ってくれたのですが、それも僕にとってはある種ストレスで、本当にしんどかったです。
仕事と育児を毎日とにかくやりきることを目標にして、過ごしているうちにいつの間にか時間が経ち、のりきれた感じです。よく頑張れたと、いまでも思います。
毎晩、長女にはドイツ語の絵本を読み聞かせています
長女は、いま地元の保育園に通っていて楽しそうに通園しています。このまま小学校に行っても楽しく通えるといいなと願っています。バイリンガルにしたいと強く願っているわけではないのですが、長女との会話は、妻とはドイツ語で、僕とは日本語。YouTubeと絵本はドイツ語のものを与えています。絵本はドイツから妻の両親が、定期的に大量に送ってきてくれて、僕が、毎晩ドイツ語の絵本を読み聞かせています。
その成果がやっと出てきたのでしょうか、会話では、まだ「はい」とか「いいえ」などの簡単な言葉しか出てきませんが、先日はひとりで絵本の物語を文字を辿りながらドイツ語で読んでいるようなそぶりを見せました。妻の両親ともインターネットで話をするのですが、おじいちゃんやおばあちゃんが何を話しているのかは理解しているようです。そのうち文章となった言葉が出てくるといいなと思いますね。
次女が生まれて、日々忙しい毎日。長女の子育ては主に僕が担当しています
親子3人での暮らしにやっと慣れたと思ったのですが、今年1月に次女が生まれたので、いまは再び日々忙しいターンに入っています。
次女が生まれる前から、長女には「お母さんがいなくてもお父さんがいるから安心できる」と思ってもらえるように、そして、「おっぱいを上げるなど、赤ちゃんのお世話は、お母さんにしかできないことがある」ということをわかってもらえるように準備していました。でも、以前のようにお母さんに甘えられない寂しさを感じている長女の気持ちがわかるので、できるだけそれに応えるようにしています。
保育園の送り迎えは僕が担当。寝かせつけのときの絵本の読み聞かせは長女が寝るまでずっとしていますし、抱っこをせがまれたら必ずちょっとだけでも抱っこしてあげるようにしています。
できる限り相手を受容して、できたらほめる。子育てと仕事は一緒
妻は、毎日作陶をしたいタイプなので、育児で仕事がなかなかできないのは精神的に辛いようで、できるだけ思いやっているつもりなのですが、僕も仕事と家庭の両立で追い詰められている毎日で、苦悩しています。相手のことを考えずに、つい言いたいことを妻や工房のスタッフに言ってしまうんですよね(笑)。
相手を動かすためには正論をふりかざすだけじゃダメで、どういう言い方をしたら相手に動いてもらえるかを学ばなくてはと、日々精進しています。子育てと一緒で、できる限り相手を受容して、できたらほめるのが大事、とわかってはいるのですが、それがなかなかできないんですよね。
でも、あきらめず頑張ることが重要で、そうすることで生活というのは続いていくのだと思っています。
波佐見に移り住んで7年が経ちました
田舎暮らしというのもそれと同様に、自分の要望ばかり一方的に通そうとしていては暮らしていけません。
できる範囲で自治体活動にも参加しています。自分ができることを頑張ってしていると、隣人からおいしい野菜をいただいたり、イベントで地元の人たちとおしゃべりをして楽しかったりして、居心地のよさを感じることも。仕事と家庭で忙しかったせいもありますが、気がついたらいつの間にか、波佐見で暮らし始めてから7年の月日が経っていました。
綿島健一郎さんとミリアムさんの工房スタジオワニ
長崎県波佐見町とは……
長崎県波佐見町は、県のほぼ中央部に位置する人口約1万5千人の小さな町です。長崎県内で海に面していない唯一の町で、周囲は山々に囲まれていて、町は盆地になっています。九州の要所である福岡市への交通の便がよく、近年は若い世代の移住者が多く移り住むエリアとして注目されています。
付近には日本棚田百選にも認定されている「鬼木棚田」をはじめとする景勝地も多数あって、自然が豊か。豊富な湯量と、高温かつ良質な温泉の「波佐見温泉」も人気です。この温泉は、近年、波佐見町が国の補助金を使って掘り当てた温泉で、町民のいこいの場になっています。
また、コロナ禍前は、陶器まつりをはじめ数多くのイベントが行われていて、年間100万人の観光客が訪れていました。昔からさまざまな外来の人を受け入れているため、地元住民はおおらかな気質で、移住者を温かく受け入れる態勢があります。
移住者に関しては、「空き家バンク」のほかに、他市町村では珍しい「空き工房バンク」(波佐見空き工房バンク (hasami-akikobo.com)の制度も設置。「空き家等改修事業補助金」制度もあって、事業を新たに始めたい人にとっても注目されています。
今年のゴールデンウイークには、コロナ禍で途絶えていた「第64回波佐見陶器まつり」(4月29日~5月5日に開催(【公式】波佐見陶器まつり 2022年 (hasamitoukimatsuri.com))が3年ぶりに開催されます! ご興味のある方は、この機会に足を運んでみてはいかがでしょう!!
●波佐見町への移住・定住について
https://www.town.hasami.lg.jp/machi/soshiki/kikakuzaisei/1/1/2/2/813.html
あなたにはこの記事もおすすめ
取材・構成/山津京子