弘前城とは
「弘前城(ひろさきじょう)」及び弘前公園は、青森県弘前市にある江戸時代の城跡です。全国的に珍しい「現存天守」がある城跡としても知られています。まずは、弘前城の由来と歴史を振り返ってみましょう。
1611年に落成した津軽氏の居城
弘前城は、弘前藩主・津軽(つがる)氏の居城として江戸時代に建てられました。津軽氏の初代は、戦国時代の武将「大浦為信(おおうらためのぶ)」です。
為信は、1590(天正18)年に津軽地方の統一に成功し、当時の権力者・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から同地の支配を認められます。以来、津軽氏を名乗るようになった為信は、1600(慶長5)年の「関ヶ原の戦い」で東軍に味方して手柄を上げ、弘前藩主となりました。
為信は、藩主の住まいにふさわしい新しい城の工事を始めますが、完成を見ることなく亡くなります。工事は、2代藩主の信枚(のぶひら)に引き継がれ、1611(慶長16)年に落成しました。
東北地方で唯一、天守が残存している
現在残っている弘前城の天守は、1810(文化7)年着工、翌年に竣工したものです。江戸時代の天守が、今も残る城は全国に12カ所ありますが、東北地方では弘前城だけです。
実は、津軽信枚が建てた最初の天守は、1627(寛永4)年に落雷による火災で失われています。当時は、城の増改築を幕府が厳しく制限していたため、弘前城も天守を再建できませんでした。
焼失から約180年後、9代藩主の津軽寧親(やすちか)が蝦夷地(えぞち)警備の功績を認められた際、天守櫓(てんしゅやぐら)の移築という理由を付けて、ようやく幕府から建築許可を得たのです。
なお、焼失前の天守は五層五階構造でしたが、新しい天守は「御三階櫓(ごさんかいやぐら)」と呼ばれる三層三階構造となっています。元の天守が残っていたら、どのような姿だったのかを想像してみるのも面白いでしょう。
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弘前城・弘前公園内の見どころ
弘前城及び弘前公園には、現存天守をはじめ、見どころがたくさんあります。観光の際に立ち寄りたい、おすすめスポットを紹介します。
外せない弘前城天守
城跡観光において、シンボルともいえる天守の見学は外せません。特に、弘前城の場合は貴重な現存天守ですから、時間をかけて見学できるようにスケジュールを調整しましょう。
弘前城天守は現在、石垣の修理工事に伴って、本来の場所から約70m離れた本丸エリアに移転しています。内部には移転工事に関する資料が展示されており、自由に見学できます。
ただし、本丸エリアへの入場料(大人320円・子ども100円)が必要ですので、用意しておきましょう。
櫓・城門など重要文化財
弘前公園内には、天守のほかにも、櫓や門などの昔の建物が現存しています。櫓は3棟、城門は5棟が残っており、すべて国の重要文化財に指定されています。
公園の正面玄関でもある「追手門(おおてもん)」は、戦国時代の雰囲気を身近に感じられる貴重な建築物です。簡素な素木造り(しらきづくり)で、侵入者を狙う銃眼(じゅうがん)や出格子窓(でごうしまど)などが設けられています。
三つの櫓は、それぞれ天守から見た方角で名付けられています。南東の辰巳櫓 (たつみやぐら)は、歴代藩主が弘前八幡宮の山車(だし)行列を観覧したと伝わる建物です。
南西の未申櫓 (ひつじさるやぐら)は敵の侵入に備えるためのもので、防弾効果に優れた土蔵造りが特徴です。北東の丑寅櫓 (うしとらやぐら)には、内側から敵を狙撃するための鉄砲狭間(てっぽうはざま)が見られます。
弘前公園の桜と植物園で自然を堪能
弘前公園は、日本有数の桜の名所としても有名です。桜の季節には「弘前さくらまつり」が開催され、約2,600本の桜と城のコラボレーションを楽しめます。
特に、桜の花びらが城の濠(ほり)を埋め尽くす「花筏(はないかだ)」や、2本の枝が重なってハート形に見える「ハートマークの桜」は必見です。
園内には、敷地面積7万6,500平方mを誇る広大な植物園もあります。春から秋にかけてさまざまな花を観賞でき、秋には美しい紅葉を楽しめます。広場や無料休憩所も完備されており、ファミリーでも十分楽しめるでしょう。
動く弘前城! 石垣の修理工事
先述の通り、弘前城の天守は現在(2023年1月時点)、本丸エリアの仮天守台で石垣修理の終了を待っている状態です。建物を解体することなく、そのままの状態で仮天守台へ運ばれたことから「動く城」と話題になりました。
石垣修理と天守の移動について、詳しく見ていきましょう。
修理が必要な理由
2000(平成12)年と2003(平成15)年に実施した調査により、弘前城の石垣に、外側に向かってふくらむ「はらみ」が見られることが分かりました。はらみを放置すると地震などで崩落するおそれがあるため、弘前市は、石垣の修理と耐震補強工事の実施を決定します。
天守が載っている石垣も修理範囲に含まれていたため、まずは天守を移動させる工事が行われました。天守の移動は2015(平成27)年7月に始まり、約3カ月かけて現在の仮天守台へ到着しています。
今しか見られない風景をチェック
弘前城天守の移動には、曳屋(ひきや)と呼ばれる方法が用いられています。曳屋とは、建物を基礎部分から切り離して移動させる工法のことです。解体に比べて費用が安く、工期も短くて済むほか、歴史的建造物をそのまま維持できるメリットがあります。
なお、石垣の修理工事に伴う天守の曳屋は、明治時代にも行われています。1897(明治30)年に始まった工事は、1915(大正4)年まで続きました。
100年ぶりに動いた天守は、2025(令和7)年には元の場所に戻ってくる予定です。仮天守台に鎮座する天守の姿も、天守がない石垣のようすも、工事が終われば見られなくなります。今だけの風景を、しっかりと目に焼き付けておきましょう。
貴重な現存天守を間近で堪能しよう
弘前城は、貴重な建築物や自然の風景を存分に楽しめる名所です。櫓や門には築城当時の面影が残り、歴史の流れも感じさせてくれます。
全国でも珍しい「動く現存天守」を持つ弘前城を、子どもと一緒に間近で堪能(たんのう)しましょう。
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構成・文/HugKum編集部