松江城に足を運ぶなら? 知 っておきたい歴史や見どころをチェック

松江城を訪れるにあたり、あらかじめ特徴や周辺の人気スポットを知っておきたいと考える人は多いのではないでしょうか。より充実したお出かけにするためのヒントとして、松江城の歴史や魅力・周辺の見どころをチェックしていきましょう。

松江城はどのような城?

名城の誉れ高い「松江城(まつえじょう)」ですが、実際のところ、どのような城なのでしょうか? その詳細を確認していきましょう。

島根県松江市にある国宝指定の名城

島根県松江市にある「松江城」は、別名「千鳥(ちどり)城」と呼ばれる四重五階(外観は四重・内部五階)・地下一階構造の名城です。

松江城は、全国にわずか12城のみ残された現存天守(江戸時代以前に築城され、現在まで残っている天守)の一つとして、国宝にも指定されています。

貴重な天守はもちろんのこと、松江城は周辺に点在する歴史的な建造物や、毎年たくさんの人で賑わう「国宝松江城マラソン」でも知られる、島根県随一の観光スポットです。

松江城「天守」(島根県松江市)。松江城は現存天守12城のうち、広さは第二位、高さは第三位と、見た目の派手さはないが、けっこう凄い。姫路城や彦根城のような白壁は少なく、大部分が黒く厚い雨覆板になっていて、染料は湿気防止の柿渋や煤、漆を混ぜている。

国宝 松江城ホームページ

松江城の歴史

松江城へ足を運ぶなら、ぜひ知っておきたいのが歴史です。築城主や主な城主など、松江城の基本的な歴史を紹介します。

松江藩初代藩主・堀尾忠氏が築城を計画

松江城築城を計画したのは、松江藩初代藩主「堀尾忠氏(ほりおただうじ)」です。1600(慶長5)年の「関ヶ原の戦い」で武功を挙げた忠氏は、信濃から出雲(いずも)・隠岐(おき)へ加増転封(かぞうてんぽう、石高が増える領主の配置換え)され、松江藩初代藩主となりました。

父「堀尾吉晴(よしはる)」とともに、かつて尼子(あまご)氏の居城だった月山富田(がっさんとだ)城に入城した忠氏ですが、地理的に難が多い山城(やまじろ)で交通の便が悪く、また城下町の造営も困難だったことから城地移転を計画するに至ります。

1604(慶長9)年に計画段階で忠氏が急逝すると、忠氏の息子「堀尾忠晴(ただはる)」が藩主となります。しかし、忠晴は、この時まだ6歳と幼かったため、祖父・吉晴が後見人として築城の志を継ぎます。

その後、1607(慶長12)年に築城を開始した松江城は1611(慶長16)年に完成し、忠晴が初代城主となりますが、まるで城の完成を見届けるかのように、同年、吉晴はその生涯を閉じたといわれています。

京極氏・松平氏の転封入城

1633(寛永10)年に跡継ぎのないまま忠晴が死去すると、堀尾氏は改易(かいえき、身分や家禄・領地を幕府が没収すること)となりました。

1634年、若狭国(福井県)小浜(おばま)藩主「京極忠高(きょうごくただたか)」が転封(幕府の命による領地替え・国替え)となり、松江藩藩主(松江城城主)となります。徳川家に縁のある人物だった忠高は、24万石に加えて石見銀山(いわみぎんざん)の監督権も与えられました。

氾濫(はんらん)を繰り返していた斐伊川(ひいかわ)の治水を行うなど、優れた手腕を振るった忠高ですが、1637(寛永14)年に跡取りのないまま死去し、京極氏は改易となります。

続いて1638年、信濃国松本藩から徳川家康の孫「松平直政(なおまさ)」が転封・入城します。以後、1871(明治4)年の廃藩置県まで、10代約230年にわたり松平家が松江藩藩主(松江城城主)となったのです。

廃藩置県と廃城令

1871年に廃藩置県が行われ、松江藩は松江県となりました。同時に、松江城は廃城が決定し、陸軍省広島鎮台(ちんだい)の管轄下に置かれることになります。

その際、天守は民間への払い下げが予定されていましたが、旧藩士「高城権八(たかぎごんぱち)」や豪農「勝部本右衛門(かつべもとうえもん)」らの働きかけによって落札が阻止されました。

1890(明治23)年になると、松平家が陸軍省から松江城一帯を払い受けます。その後、1894(明治27)年に大規模な修復を経た松江城は、1927(昭和2)年に松江市に無償寄付されて現在に至ります。

国宝に指定

1935(昭和10)年、松江城は国宝に指定されます。しかし1950(昭和25)年に国宝の指定基準にまつわる法律が改正され、国宝から重要文化財へと変更されました。

時を置いて2012(平成24)年、城内の松江神社から「慶長16年(1611年)」と記された祈祷札が発見されます。これにより天守の完成時期が明らかになったこと、また天守の構造が調査・研究によって解明され、優れた技巧を持つ建造物であることが再確認されました。

価値を再確認された松江城は、2015(平成27)年に再び国宝に指定されることになったのです。

松江城の魅力

城と一口にいっても、年代や建築技法によるタイプは、さまざまな種類があります。より松江城を楽しむためのヒントとして、松江城ならではの魅力をチェックしていきましょう。

遠くまで見通せる「望楼型天守」

城の天守の形は「望楼(ぼうろう)型」「層塔(そうとう)型」の大きく2種類に分かれます。

「望楼型」は古いタイプの天守で、1〜2階建ての入母屋造(いりもやづくり)の建物の最上部に物見櫓(ものみやぐら)の「望楼」を載せた構造をしています。主な望楼型天守には、現存する最古の天守「犬山城」や「姫路城」があります。

対する「層塔型」は比較的新しく、「関ヶ原の戦い」以後に登場した天守です。同じ形の建物を積み上げた構造で、望楼部はありません。「松本城」や「名古屋城」がこのタイプの天守にあたります。

松江城は望楼型天守の城です。物見櫓にあたる天守最上階には壁がなく、360°周囲を見渡せます。城主たちが見ていた景色に思いをはせられる、とっておきのスポットといえるでしょう。

曲線が美しい「入母屋破風」

松江城の魅力の一つに、なだらかな三角形の曲線が美しい「入母屋破風(はふ)」があります。

入母屋破風は、望楼型天守ならではのもので、天守の実質的な屋根にあたる部分です。入母屋破風があるかないかは、望楼型天守と層塔型天守を見分ける大きなポイントとなっています。

松江城は別名「千鳥城」と呼ばれますが、近年の研究により、かつての松江城には装飾の役割を持つ「千鳥破風」が設けられていた可能性が高まっています。

現在の松江城の姿を眺めながら、かつての姿に思いを巡らせてみるのも一つの楽しみ方といえそうです。

松江城周辺の見どころ

松江城の周辺には、松江城と併せて足を運んでおきたい多くの見どころが点在しています。なかでも特に人気のスポットを紹介します。

小泉八雲が愛した「城山稲荷神社」

城山稲荷(しろやまいなり)神社は、松江城城郭の最奥部に位置する神社です。境内のいたるところに居並ぶ石狐(いしきつね)で知られる神社で、石狐の数はおよそ1,000体といわれています。かつてはさらに多く、2,000体もしくはそれ以上との説もあるほどです。

松江城の近くに家を構えていた明治時代の作家「小泉八雲(こいずみやくも)」もこの神社がお気に入りで、たびたび訪れたとの逸話も残っています。

なお、境内には1体のみ手に玉を持った石狐がいて、見つけることができたら願いが叶うとされています。松江城へ足を運んだ際は、ぜひ挑戦してみてはいかがでしょうか。

城山稲荷神社の「石狐」(島根県松江市)。作家・小泉八雲が愛してやまなかった特別なスポットが、通勤途中によく立ち寄った城山稲荷神社。ずらっと並んだ石狐たちの中でも、耳の欠けた狐がお気に入りだったとか。また、大手門跡近くの石垣にハート型の石もある。

和と洋の融合「興雲閣」

興雲閣(こううんかく)は、明治天皇の巡幸(じゅんこう)に伴う宿泊所として、1903(明治36)年に建てられた洋館です。日露戦争の勃発(ぼっぱつ)により、残念ながら明治天皇の巡幸は実現しなかったものの、1907(明治40)年に嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)が訪れています。

細やかな装飾が美しい白い外観が特徴で、館内は床一面の赤い絨毯(じゅうたん)が敷かれており、インパクト抜群です。写真スポットとしてもおすすめの建物です。

和と洋が融合した独特の構造で、内装には畳や和紙も使用されています。松江城の城郭内にあるため、気軽に立ち寄れるのもうれしいポイントです。

興雲閣(島根県松江市)。もともと松江市が、松江市工芸品陳列所として建てたもの。1907年、皇太子・嘉仁親王が山陰道行啓の際、5月22日から25日までの御旅館となり、その迎賓館としての役割を果たしている。現在はカフェも設置され、入館料無料、年中無休、です。

島根県指定有形文化財 興雲閣

親子で手作り体験「カラコロ工房」

カラコロ工房は、松江城から徒歩約10分の場所にある、ショッピングや物作り体験ができる工房です。1938(昭和13)年に建てられた旧日本銀行松江支店に改築・増築を加えた建物は、国の登録有形文化財にも指定され、レトロモダンな外観が訪れる人の目を楽しませてくれます。

館内のショップは、パワーストーン・シルバーアクセサリー・知育玩具・そば屋など多種多様です。クリスタルや天然石を使ったオリジナルアクセサリー作り・和菓子作りなど、親子で一緒に楽しめる体験プランも豊富で、家族の思い出作りにもぴったりのスポットです。

カラコロ工房

泊まりで訪れるなら「玉造温泉」

遠方から松江城を訪れる場合、宿泊場所について調べる人も多いのではないでしょうか。そのような時の候補に加えておきたいのが、松江市内にある「玉造(たまつくり)温泉」です。

玉造温泉は、733(天平5)年編纂(へんさん)の「出雲国風土記(ふどき)」や清少納言(せいしょうなごん)が記した「枕草子(まくらのそうし)」にも登場する名湯です。「出雲国風土記」にて、すでにその賑わいに触れられていることから、日本最古の温泉の一つとしても知られています。

玉造温泉街。「湯はななくり湯、玉造の湯、有馬の湯」と『枕草子』にある。城崎温泉、皆生温泉、三朝温泉とあわせて山陰を代表する温泉地。

温泉に浸かって疲れを癒やすことができるので、松江城へのお出かけをより充実させられるでしょう。温泉街の外れには、願いが叶う「願い石」で有名な「玉作湯(たまつくりゆ)神社」もあります。

玉造温泉公式サイト・たまなび【松江観光協会玉造温泉支部/玉造温泉旅館協同組合】

静寂が心地よい「明々庵」

「明々庵(めいめいあん)」は、1779(安永8)年に松江藩10代藩主であり、かつ高名な茶人でもあった「松平治郷(はるさと)」によって造られた建物です。

治郷は別名「松平不眛(ふまい)」としても知られていますが、それは、治郷が隠居後に名乗った号が「不眛」だったことによるものです。治郷が興した茶道の流派「不昧流」は、現代まで伝承されています。

明々庵は、もともと松江藩家老だった有澤家の本邸に造られたものです。東京や出雲と各地へ移築された後、現在の場所に移されました。簡素な構造ながら、厚い茅葺(かやぶ)きの入母屋が印象的な数寄屋(すきや)造りの建物です。

明々庵のご紹介|明々庵

江戸時代へタイムスリップ「武家屋敷」

松江城の築城と並行して造営された城下町の一角にある、江戸時代当時の面影をそのまま残す屋敷です。何人もの武士が屋敷替えに伴って移り住んだ場所で、一時期居住していた「塩見小兵衛」の名にちなみ、屋敷前の通りが「塩見縄手(しおみなわて)」と呼ばれるようになりました。

塩見縄手(松江市北堀町)。縄手とは平地などに細く延びる一本道のこと。現在は大型バスも交差する舗装道路となっている。

焼失や再建・増改築を経て、2016(平成28)年には3年もの年月をかけた保存修理工事が行われています。入り口の長屋門(ながやもん)をはじめ、江戸時代の武家屋敷の特徴や武士の暮らしをリアルに感じられるスポットです。

松江市指定文化財 武家屋敷

松江城を訪れて歴史の息吹を感じてみよう

松江城は、1611年に築城された国宝指定の城です。はるか遠くまで見通せる「望楼型天守」や曲線が美しい「入母屋破風」が特徴で、連日多くの人が足を運んでいます。名城松江城を訪れて、今に残る歴史の息吹を感じてみてはいかがでしょうか。

また、松江城周辺には、城郭内外にたくさんの魅力的なスポットが点在しています。歴史を感じられる建造物や、親子で楽しめる体験スポットなどもプランに組み込むことで、松江城へのお出かけをより充実させられるでしょう。

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構成・文/HugKum編集部

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