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勉強でも、遊びでもいい。子どもの本質は「夢中になること」
佐藤ねじさん・プランナー/クリエイティブディレクター
クリエイティブな子育てがSNSを中心に話題のクリエイティブディレクター・佐藤ねじさんは、子どもも大人も楽しめる自由な発想で子育てに関わってきました。ポケモンカード欲しさに家庭内でコーヒー屋を起業した「小1起業家」など数々の取り組みを通して、「子どもが夢中になれば結果的に学ぶ」ということを体感し、親ができることは、「夢中と出会える環境づくりをすること」「夢中を伸ばす手伝いをすること」と考えるようになります。
そんな彼の「夢中が子どもを伸ばす」という仮説と、それにまつわる当事者の親ならではの悩みをクリアにするべく手がけたのが、「こどもの夢中を推したい 小中学生の遊び・学び・未来を考える7つの対談集」(freee出版)です。HugKumでもおなじみの探究学舎・宝槻泰伸さんや哲学者・苫野一徳さん、tupera tuperaさんなど、教育や子育てにまつわる豪華な面々との対談で、佐藤さんなりの「子育ての本質」を可視化していく内容になっています。
佐藤ねじ(以下、ねじ):ぼくは子育てにおいて、子どもの本質は「何かに夢中になること」だと思っています。そのうえで、親はその夢中を推したり、夢中を見つけるきっかけづくりをすることが役割なのではないかと考えていて。
その一方で、子どもがゲームに夢中になって勉強をしないという状況になって、夢中を応援するといいながら「本当にこれでいいのかな」と思う現実もあったりしました。そういったぼくの子育てにおける仮説からモヤモヤした葛藤までを、教育や子どものプロにぶつけてみたんです。そうしたら、気づくことがたくさんありました。
僕にとって育児って、自分的に何の根拠もないけど「なんとなくこっちかな」みたいな勘で全部やってきたわけですけど、それは教育学的にはこういうことだったんだとか、こんな言葉があったんだとか、気づいたり繋がったりすることがめちゃくちゃたくさんあって。再現性を持つことができたというのが、すごく大きかったです。
自分が漠然と思っていたことを言語化されることで、ぼんやりしていた思考や方向性が可視化されるという瞬間が何度もありました。この感覚は実際の育児でもめちゃくちゃ役に立っています。
「夢中へのきっかけ」のハブは親がつくる
今回の対談を経て、佐藤さんにとくに印象深く残った言葉は表紙の文字に刻まれています。その中から、特に印象に残った言葉について教えてもらいました。
ねじ:いくつかあるんですが、最初に取材をした探究学舎の宝槻さんの、「子どものサードプレイス」っていう話は特に印象的でした。宝槻さんは、学校や勉強にとどまらない、驚きと感動の”種まき”をして探求心に火をつけるというコンセプトの「探究学舎」を設立されている、まさに“子どもの夢中”の先輩のような存在です。
宝槻 「サードプレイス」という言葉がありますよね。学校でも家庭でもない〝第3の場所〟です。たとえば不登校になったとき、家でお母さん、お父さん、きょうだい同士でいろんな機会を創出できるかというとなかなか難しい。本人がハマるところを一緒に見つけるチャレンジをしないといけない。そこにしか活路はないですよね。実際、「あの場所が人生を変えた」みたいな体験を持っている子は世の中にいっぱいいるじゃないですか。僕の周りにも何人もいます。だから、サードプレイスを見つけてくるというのは戦略的にありだと思います。で、そのサードプレイスも結局は試行錯誤の連続だと思うんですよ。すぐにうまく見つかるかどうかはわからないので。」
—『こどもの夢中を推したい 小中学生の遊び・学び・未来を考える7つの対談集 (freee出版)』佐藤 ねじ著
https://a.co/5DZTPzK
ねじ:僕が子どもの「夢中」のきっかけをつくるために差し出しているものについてぼんやりとは把握をしていたと思うんですけど、こうやって「サードプレイス」とはっきりと言語化されると、やっぱりそれに対する行動の精度が上がります。
また、「夢中につながるきっかけは親が与えたほうがいい」というところは同じ意見だったのですが、そのきっかけの与え方るコツとして「観察・アイテム選定・伝え方」の3つを挙げてくれたことにも大きな気づきがありました。
宝槻 きっかけを与えるのが上手い親と下手な親はいます。でも上手い下手の前に、「試行回数」が多い人と少ない人がいるんじゃないかと思うんです。つまり、自分の可処分時間をどれくらい子どものきっかけづくりに使えているか。—同
僕は子どもとどう接するかとか、子どもとどう向き合うかっていうことに関してはリソースを割いているほうだと思うんですけど、その子どもの「夢中を見つけるきっかけ」って何があって、どうやってそれを見つけるかという「サードプレイス探しの時間」に対してかける時間は少なかったんじゃないかなと思ったりしたんです。
こんなふうに、ひとつの概念が言葉として手に入ると、そこからすごいアクションが生まれたりしますよね。宝槻さんとの対談には、そういうきっかけや気づきがたくさんありました。
思春期のコミュニケーション、親に必要なのは「聞く力」
ねじ:この本を作っているとき、ぼくには「小5,6の思春期を迎えたこどもとどういうふうに接していいか」という課題感があって。今までと同じように接したら、前は面白がってくれたんだけど、そういう距離感でもなくなってきて、どうしようかな、というのがあったんですよね。それに対しても、こんな言葉がありました。
宝槻 思春期に親がどう関わるかはけっこう難しい質問ですね。これまでの話を踏まえるならば、コミュニケーションの仕方を変える一択だと思います。(中略)思春期になると、親が喜ぶことよりも自分が満足することにシフトしていきます。指示命令が無効になっていくのが思春期。だから、聞いてあげるとか逆提案してあげるコミュニケーションに切り替えないといけない。こっちから「ああしろ、こうしろ」と言うよりも、向こうが話したいことの聞き役に徹する。その上で、「だったらこうしてみたら、「だったら」こういうことができるぞ」と提案するという感じでしょうか。—同
思春期って、一番親のことが大好きでついて来てくれた状態から離れていく感じがあるので、傷つく人が多いと思うんです。僕も多分そうなんだと思います。だから、たとえば子どもに一度何かを提案して「NO」を言われると、けっこうそこでくじけちゃったりしていました。
でも、仕事の営業活動で相手がお客さんだと思えば、提案してダメならばまた別の案を出せばいい、と思えます。宝槻さんとの対談では、「一回出した提案でクビ、みたいにならなくていい」「コミュニケーションの仕方を変えるのも一択」みたいな話にも、「確かにな」と思うところがありました。
子どもが勉強しなくても、親が不安にならない方法
ねじ:僕だって「勉強がすべてじゃない」みたいなことを問題提起してるわけですけど、それを言ってる自分が実際勉強していない子どもに直面すると、やっぱりぶれそうになるんですよね。論理的な部分と感情的な部分が拮抗したりして。
そんななかで、教育者であり作家の鳥羽和久さんとの対談で「なんで親は子どもが勉強をしないと不安になるのか」という問いに対して出てきた、「可能性の担保」という言葉からの気づきも大きかったです。
鳥羽 可能性が欲しいということがベースにあると思います。(中略)勉強したほうがいいというのは、いまだに実効性がとても高い担保なのだと思います。
佐藤 確かに。では、勉強以外でも何らかの可能性が担保できれば、道は広がりますよね。
鳥羽 そうです。他の可能性があれば何も問題はなくて、親子で不健康な精神状態にもならないで済みますね。 —同
子どもが勉強して、ちゃんとできて、大学、大学院に行って…という「最低限そこをやっておくことで将来の子どもの可能性が担保できる気がする」ということが、大人には少なからず埋め込まれている。でも、僕の中にはないはずなんです。だから、ぼくは「勉強以外でも何らかの可能性が担保できれば、道が広がる」というところにたどり着きました。ちゃんと自分を知ると、強くなる、ぶれなくなると思うんですけど、そのうえで大事なことでした。
教育を「可能性の担保ゲーム」とボードゲームに例えたら、ゲームには色々な勝ちパターンがあって、勉強で勝つっていうのもひとつの手法です。でもそれは、王道の勝ちパターンに過ぎない。世界にはもっといろんな種類のカードがあって、自分の子どもがどんな手札を持っているか、どのカードと相性がいいかを知ることが大事。
その持ち札や場の状態を見ないで「とりあえずこのルートが一番王道だから」っていうふうにやると、ミスマッチが起こるんだろうなあっていうことを、冷静的に感じられました。
こういうふうに、理論があるかないかで、子どもと接するときのこちら側のメンタルがだいぶ違いますよね。
子どものパターンを知って、決めた道を応援する
この本での対談を通して、佐藤さんの実際の子育てにも、具体的な変化があったといいます。
ねじ:僕の子どもは小6になって「ゼルダ」の新作ゲームにハマったんです。それはもう、めちゃくちゃやりこんでいて。「ゲームにばっかり夢中になっても大丈夫ですか?」って、本のタイトルにしようかと言っていたくらい悩んだ時期もあったんですけど、結果的に「ゲームばかりやることは、間違っていることをしてるわけじゃない」ということで、タイトルにするのもやめました。
ゲームばかりやっている子どもを見て、「勉強は終わった?」と思ってしまう反応は、もう自分の中に埋め込まれていますよね。僕らもそうなっちゃうんですけど、でも世界中が今このゲームをプレイしている。人類の英知が詰め込まれた、本当に素晴らしいゲームなんです。だからもう、一切止めずにいます。僕も奥さんも一緒にハマって、結果的にそのゲームをインターフェースにして、子どもといろんな会話をしたりするようになっています。
これは本当に子ども次第だと思うので、中毒のようになってしまった場合には止めることもひとつだと思うんですが、うちは結果的に「ゲームやりすぎだから勉強しろ」的なふうにはまったくしませんでした。うちの場合は子どもが「このままではダメになる」って思ったみたいで、自分で制限時間を決めて、それ以上はロックがかかってできなくする、みたいなことをやっていました。その、「子ども自身が自分でそれを決めてやる」ことが大きいような気がしています。
思春期は、自分の子どもがどういうパターンかを知って、子どもが自分で決めた道を応援していくっていうふうに親も変わる時期なのかなと思っています。「反抗期」っていう言葉はもしかしたらミスリードなのかもしれないって、誰かが言ってたんですけど、自分の道を決めるようになっていくっていうことなんですよね。
それをぶれずにできているのも、この本の対談のおかげです。
「こどもの夢中を推したい」
「YouTubeにばっかり夢中でも大丈夫?」「中学受験する?しない?」「夢中になる子は、家でどんなことしたか?」「思春期の子と、どう接するか?」
「小1起業家」などの探究学習的な試みでも話題の著者が、子どもが小4になってぶち当たった教育の壁。正解がわからない時代に、いま親がすべきこととは?夢中と学びについて、7組の家族・先生・起業家・哲学者・アーティストと対談した子育てのヒント集。
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取材・文/五十嵐ミワ