美しすぎる透明標本の世界。トップランナー・冨田伊織さんの原点は幼少期「夢中になって好きなことに没頭できた経験があったから」。

金沢21世紀美術館で4月26日(金)から5月26日(日)まで、「透明標本」作家である冨田伊織さんの個展が開催されます。透明標本とは、薬品や酵素を使い、骨格や筋肉の質感はそのままに、筋肉や内臓などを透明にして作るもの。冨田さんの作品を目の当たりにすると、生きもののその美しさに心を奪われること間違いなし。親子で楽しむことができる展覧会です。今回HugKumは、冨田さんの幼少期から今に至るまでや、作品に対する思いをお伺いしました。

透明標本作家の第一人者・冨田伊織さん

一度見たら忘れられない不思議な魅力に溢れた、魚や爬虫類など生きものの「透明標本」。これは、小さな生物の骨格を研究するための技法です。そんな「透明標本」の美しさに魅せられ、造形美の際立つアート作品として昇華させたのが、透明標本作家の冨田伊織さん。2008年に作家として活動を開始してからというもの、命や生きものにまつわる新しい世界観を提示し、見るものにさまざまなインパクトを与え、その道の第一人者として世界中からの注目を集めています。トップランナーとして活躍する冨田さんの幼少時代から現在に至るまでのお話をうかがいました。

美しすぎる「透明標本」との出会い

「透明標本」は、詳しい名称を「透明骨格標本」や「透明二重染色標本」といい、学術研究のための技法のひとつです。小さな生物の骨格がどうなっているのか知るため、さまざまな薬品や酵素を使って、姿形はそのままに、硬骨を赤紫色に、軟骨を青色に染めて、肉質を透明にしていきます。こうすることで、たとえばメダカなどの小さな魚でも、形や大きさを変えることなく、その骨格を観察することができるのです。骨をつなげて作る骨格標本と比べると、生まれてからまだ数十年という比較的新しい技法です。

「透明標本」との出会いは、大学2年生のとき。

僕は水産学部に進学をしたのですが、その研究室で初めて研究用の透明骨格標本を見ました。その時の標本は、研究用だったこともあり透明感もあまりなく、発色が鮮やかなわけでもありませんでしたが、それでも「これが生き物なのか!」「美しい!」と、めちゃくちゃ感動しました。そのときの衝撃は、今でも忘れられません。

とにかく、透明骨格標本に魅せられてしまった僕は、標本が欲しくて、欲しくて、たまらない。でも、元々は研究用の標本、手に入るものではありません。それならば自分で作るしかないと、独自で試行錯誤しながら、透明感があって発色の美しい自分が思う生き物の美しさを現した「透明標本」を作り始めました。

単純に、「自分の理想の透明標本を作りたい」という理由だけで作っていたので、まさかそれが作品になり、自分が作家として理化学分野を超えて、アートの分野でも活動をするなんて思ってもいませんでした。その当時の僕が今を知ったら、驚くでしょうね(笑)

釣りと生きものとゲーム大好き少年

生まれは埼玉県狭山市です。自然が豊かな地域だったので、物心ついたときから、釣り好きの父に川へ連れて行ってもらっていました。そして、当たり前のように、釣りや生きものが好きになりました。中学生になると、友達と一緒に釣りに行き、釣った魚の写真を撮って、どのようにして釣れたのかを記録していました。今でもそのアルバムが残っています。


勉強面では小学生のときから、好きな教科は理科と体育。そして細かな作業が好きだったので、図工や家庭科など。その割にアートは、あまり発想が浮かばなかったと言いますか、少し疎かったのかもしれません。

釣りや生きもの以外ではマンガやアニメやゲームも大好きでした。

さすがにそればかりしていると母に「勉強しなさい」と怒られましたね(笑)。でも同時に「やることはやる。でも好きなこともしっかり楽しんで」といつも言い聞かせてくれました。その言葉があったからこそ、今の自分があるのだと思います。


体格が小柄ではありましたが、運動も大好きでした。小中学生のときは、野球部に入っていたんですよ。 しかし、どうにも生きものの方が好きだったようで…ボールを拾いに行って、そのまま川で魚を探してコーチに怒られるようなことも 。そんな少年時代でしたが、今となっては良い思い出ですね(笑)

とにかく、好きなことやものがたくさんあって、夢中になってやらせてもらえる環境で育ったことが、今の自分のベースになったのだと思います。厳しいながら好きにさせてくれた両親には、本当に感謝しかありません。
 
それから、自分の好きな分野で活躍していた憧れの人の存在も、とても大きいと思っています。
たとえば、ムツゴロウさん(畑正憲)。「動物王国」のテレビ番組は欠かさず観ていました。それから、さかなクン。さかなクンとしてデビューする前に、『TV チャンピオン』の「魚通選手権」に出場していて、その姿に感銘を受けました。そして、釣りの世界では、プロフィッシングデモンストレーターの村田基さん。釣具店に行って記念撮影までしてもらいましたね。

一般企業を辞め、漁師から作家へと転身

釣りや魚が好きでしたので、岩手県の北里大学・水産学部(現・海洋生命科学部。相模原キャンパスに移転)に進学しました。卒業後の進路はというと、透明標本という偶然の出会いもありましたが、まずは企業に勤めるのが当たり前という感覚でした。生きものに関わる仕事に就けたらいいなという思いの元、東京のペット関連の企業に就職をしました。

大学の時に出会った「透明標本」や、子どもの頃から大好きだった釣りは、あくまでも趣味として続けようと思っていたのです。

しかし、就職して1年足らずで会社を退職。一度きりの人生ですし、やっぱり好きなことをやってみたい、と。退職後は、学生の時にお世話になった岩手県の漁師さんに頼み込み、見習いとして働かせてもらうことになりました。少ないサラリーマン時代ではありましたが、社会人としてのマナーや常識を身につけることができました。この経験は今でも大いに役立っています。

そして、漁師見習いをしながら、もう一つの目標でもある「透明標本への可能性」にも時間を費やすようになりました。その中で友人に誘われて、SNSのmixiで作品を少しずつ紹介し始めるようになりました。始める際にハンドルネームが必要だということで、自分がはじめて透明標本を見たときに感じた感情「こんな世界見たことない」をもとに命名したのが「新世界『透明標本』」です。この作品名は今でも使用している自分の世界観となっています。

「透明標本」が注目を浴びて

転機が訪れたのは、忘れもしない2008年の「デザインフェスタ」への出展です。mixiで出会った方々にこのイベントを紹介頂き、出展を決めました。

当時、透明標本を作品として作っているのは、自分の知る限り世界で僕だけ。「この美しい存在をたくさんの人に見てもらいたい」という思いと同時に、もとは生物の標本であるということも事実。見た方からどのような言葉が返ってくるのか、内心ではとても恐ろしくもありました。

そして迎えた初日。なんと、僕のブースには僕自身が入れないほどのたくさんの人達が! 自分の好きなことが、他の人の好きにもなる。感謝とともに、好きなことをやり続けていきたいという自信につながりました。

これがきっかけとなり、漁師さんにお暇を頂きまして、透明標本の活動のみを行う決心をしました。その後もしばらくは岩手県を拠点とした活動をし、作品作りをはじめ、SNSでの発信などさらに力を注ぎました。この頃から、いろいろなことが同時に流れ出したように思います。

初出展のデザインフェスタから半年ほど経ち、新たイベントに出展した時のこと。科学雑誌ニュートンの編集者の方が立ち寄ってくださり、特集掲載へのお誘いを頂きました。僕も子どもの頃から知っている雑誌でしたので、本当に驚きました! 企画もとても精力的に進めてくださり、2009年の春に掲載されることになりました。

過去展覧会の様子

時を同じくして、とある方から「作家として社会的に認められる確固たるものを作成した方が良い」とアドバイスを受けました。お話をしていくうちに「本を出版したらどうか」という流れに。

そのことを父に相談をしたところ、偶然父の知り合いに小学館の本のデザインをしている会社がありました。掲載されたニュートンと作品たちを持ってお伺いしたところ、色々なご縁もあり「写真集」としての出版が決まることに。その本のタイトルが、先ほどお話ししたmixiのハンドルネーム『新世界 透明標本』となったのです。偶然に偶然が重なるエピソードでしたが、出会った皆さんが作品を通じ、生きものの美しさを感じてくれたからこそのご縁だったと思います。


どうしてこんなに好きなのか? その理由を探し続けている

透明標本作品を作り始めると、化学反応が進み続けるため途中で止めることができません。小さなメダカのような魚も半年以上の月日が必要になるため、長い時間をかけて少しずつ完成を迎えます。

薬品や酵素を使い時間をかけて、骨格や筋肉の質感はそのままに、筋肉や内臓などを透明にしていきます。

またどんな生きものでも作れるかというと、植物や虫などの他、手のひらを超えるような大きな生きものは難しいようです。さらに時間以外にも作品として透明度や美しさを追求し、骨格がより鮮明に見えるよう鱗をすべて取り除いています。これにもかなりの手間がかかります。

学術研究のためであれば骨が観察できれば良いため、数日で作ることもできますが、僕は作品として澄み切った美しさを求めています。今も手探りで生き物ごとに時間や薬品の調合を調整したりしながら、試行錯誤をしています。やれば即座に答えが出るものではなく、じっくりと取り組まないと仕上がりません。ですがその甲斐があって美しい作品が完成を迎えた時は、とても報われた気持ちになりますね。

こうして完成を迎えた透明標本は、僕の作品というより、まさに生きものそのもの。
作成をするたびに命の奥深さ、生きものの素晴らしさ、美しさに感動をしてしまいます。

「生きものが好き」という純粋な気持ちからスタートして、生きものに対する憧れや好奇心を胸に、とにかく夢中で続けていたら、今までに見たことのない新しい世界を見せてくれました。

でも、そこで終わりではありません。これからも素材となる生き物に向き合い、納得のできるものを作っていきたいと思っています。

それは、やっぱり生きものが好きだから。どうして、こんなに好きなのかと、自分でも不思議に思うほどです(笑)。その理由を探しながら、これからも作品をたくさんの方に見てもらい、生きものの美しさを感じてもらえたら嬉しいです。

親子で行きたい! 冨田伊織 新世界『透明標本』展 開催

過去展覧会の様子

 

会期:2024年4月26日(金)〜5月26日(日)
10:00〜18:00 (入場は17:30 まで。会期中無休)
場所:金沢21 世紀美術館 

サイエンスか? アートか?
生き物か? 鉱物か? 作品か? 
見るものを幻想的で不思議な世界へと誘う、新世界。
多様な造形美と命の輝き 。
その美しい衝撃を、親子で体感できる展覧会です。

入場料:一般1000円 中高生800円 小学生600円

お問い合わせ
北國新聞社事業局
TEL:076-260-3581(平日午前10時~午後6時)

冨田さんのオリジナルグッズ

子どものころから好きだったことを仕事に

1983年、埼玉県生まれ。北里大学水産学部水産生物科学科卒業。大学在学中に研究用の透明骨格標本に魅せられ独自に制作を開始。卒業後上京、一般企業に就職するも岩手県に戻り、漁師見習いをしながら透明標本制作を続ける。2008年5月、新世界『透明標本』として活動開始。その独特の世界観で一躍脚光を集める。現在は各種展示会をはじめ、写真集出版、講演会と透明標本をテーマに活動の場を広げ、日本国内はもちろん、世界中で注目を集めている。著書に『新世界 透明標本』、『新世界 透明標本 II』(共に小学館)などがある。

 

作者/冨田伊織1870円(税込)
本書は、透明標本作家の冨田伊織さんが制作した魚類・甲殻類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類などの透明標本40点以上を、新規で撮り下ろした写真集です。 透明標本とは、生物の骨や器官の仕組みを理解するために、骨を染色し筋肉や内蔵を透明にしたものです。この標本の写真は美しく幻想的で、清涼感、浮遊感とともに見る人に迫ります。
作者/冨田伊織|1870円(税込)
第二弾となる本書のテーマは「魚の生態と造形美」。水中を自由に泳ぐ魚たちの姿と、内在する神秘的な造形を、透明標本作家・冨田伊織ならではの世界観で紹介します。

取材・文/神﨑典子
撮影/黒石あみ

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