【中村憲剛さん】第三子の出産時に「お子さんの命を諦めることも考えてください」と言われて…。妻・加奈子さんとどんなことも話し合える夫婦関係の秘訣

厳しいプロサッカーの世界で、18年間もピッチに立ち続けたサッカー元日本代表・中村憲剛さん。‘20年に引退した後は、コーチ、解説者として多角的に活動し、著書『中村憲剛の「こころ」の話 今日より明日を生きやすくする処方箋』(小学館クリエティブ)も好評です。後進の育成にも力を入れており、中学生を対象としたサッカースクール「KENGO Academy School」を主催。優れた指導者であり、プライベートでは3人の子どもの父でもある中村さんに、前編では教育方針について伺いました。「家庭において、妻が監督で僕はコーチです」と言う中村さんに、妻・加奈子さんとの関係、歩んできた人生について伺いました。

育児が最も大変な時期をワンオペで乗り切ってくれた

――妻・加奈子さんと出会ったとき、最初から「この人だ」というひらめきがあったのでしょうか。

中村いや、それが全然なくて(苦笑)。彼女とは僕が大学4年生の時に出会いました。前年、中央大学サッカー部が関東2部に降格し、中大創部史上初の2部リーグというどん底のときに、彼女はマネージャーとして入部し、部を支えてくれたのです。

活動を共にする中で、視野が広く、思考が深い彼女を尊敬するようになり、“この人と、ずっと一緒にいるんだろうな”と思った瞬間がありました。それからもう20年以上、僕の弱いところも情けないところも全てをさらけ出し、いいところも悪いところも、全部受け止めてくれている。いや、僕だけでなく3人の子どもたちも支えている、大切な存在です」

――中村さんは‘05年に加奈子さんと結婚。‘08年に長男が、’10年に長女が誕生。選手として活躍している時期に、子育ての最も多忙な時期が重なっています。

中村「そうなんですよ。僕が多忙だったので、妻は2歳差の子どもたちをワンオペで育てました。サッカー選手はキャンプもありますし、日本代表の活動が始まると、家を1か月以上、留守にすることもあります。その間、妻は休みなく子育てをしていました。

よく、妻は“私は母になってから強くなった”と言います。思い通りにならない子育てと格闘するうちに、人間的にも深く魅力的になっていった。僕も家にいるときに、おむつ替えやお風呂に入れるなどをやりましたが、ほんの一部を手伝ったに過ぎません」

第三子出産時に妻の真の強さを目の当たりに

――妻・加奈子さんの真の強さを感じたのは、第三子を妊娠時のことです。加奈子さんは第14週で破水、前置胎盤だとわかり、中村さんは医師から「奥さまの命が危険な状態になってしまう可能性があります。お子さんを諦めることも考えてください」と告げられます。

中村「医師から妻とこれから生まれる赤ちゃんの命、どちらを選ぶかと突きつけられ、頭が真っ白になりました。それを聞いた後、視界から色が消え、グレー一色になったんです。家で1いてました。とはいえ、当時は現役選手ですので、ンも佳境大事な試合が控えており、練習も休みなくあります。その中で入院している妻の代わりに、子どもたちに関わる全てをしなければならない。

妻に言えないまま数日間を過ごし、意を決して本人に伝えました。すると、“他にも選択肢はある。対応してくれる病院があるはずだ”と転院先を検索し始めたのです。自分も大変なときに、病院の手配をし始めたのです。

絶対に諦めずに可能性を探す妻の姿に、涙が出てきました。大げさではなく、“なんて強いんだ”と感動しました。僕はこの時、事実を受け入れられずにただ落ち込んでいただけ。一方、妻はお腹の赤ちゃんを絶対に諦めずに行動したのです。

転院した結果、条件付きで出産ができるという診断がされました。しかし、その条件は出産の日まで絶対安静するということ。妻は自宅で横になり、ほとんど動けないまま、出産の日を迎えることになったのです」

世の中のお父さんは、もっと感謝を伝えた方がいい

――この時の様子は、『中村憲剛の「こころ」の話 今日より明日を生きやすくする処方箋』(小学館クリエティブ)に詳述しています。

中村「妻がベットで安静にしなけれならないので、僕が家事や育児の全ていました。妻と僕の実家も助けてくれましたが、親でないと回らない部分は多々ありました。実際に子どもの世話や家事をやってみると、すべきことがたくさんあって追いつかない。

その時、妻がこれまで何もかもを引き受け、僕をサッカーに集中させてくれていたことがわかりました。アスリートだからとわがまま放題の僕を、好きなようにさせてくれていた。

僕は川崎フロンターレで司令塔として活動できましたが、それは妻という偉大な司令塔がいたからです。

この経験を経て、僕も含めた世のお父さんたちは、もっと日的に奥様に感謝すべきだと痛感しました。一時的にせよ、僕は料理をしながら子どもにご飯を食べさせて、服を着せて、自分の準備もするというマルチタスクしましたが、妻は日常的に何の見返りもなく家族のためにこれらのタスクをこなしてくれている。それ以降、「いつもありがとう」と妻に伝え続けています。

世のお父さんたちは、恥ずかしいとか照れくさいとかいう前に、妻にありがとうを伝えたほうがいいですよ。言葉にしないと伝わりませんから」

――絶望を乗り越え、‘16年、加奈子さんは第三子となる女の子を出産。

中村「絶対安静を守ったからとはいえ、危険な状態には変わりはなく、妻は命がけでの出産でした。無事に産まれ、妻と次女が一緒にいる姿を見て、なんと命は尊いのだと。さまざまな軌跡が重なって、命があるのだと、涙が止まりませんでした。

出産までの数か月間、妻は絶対安静で寝たきり状態を維持しなければならなかった苦しみや不安、協力してくれた家族、子どもたちの頑張りを思うと、感謝しかありません。

大切な人の命の危機に直面すると、あらゆることが小さく感じ、些細なことに一喜一憂しなくなるんです。試合でもピリピリしなくなりましたし、大らかに構えられるようになりました。視野が広くなったというか、人として何倍も大きくなったようにも感じています」

――困難を乗り越えた後、妻との心のつながりはさらに深くなります。

中村「一時的にせよ、子育ての中心となる経験ができたことは良かったと思います。妻には及びませんが、育児に深く関わることができました。以前と変わらず、妻とはよく話し合い、考えていることを伝え合っています。

こんなことを話していると、いつも高尚なことを話し合っているように受け取ってしまうかもしれませんけれど、実際は真逆ですからね。

今日も洗面所周りを散らかしたことを妻に叱られてきました(笑)。日常の些細なことを家族で話し合える関係が、一番安心しますし、僕たちらしい。根底に感謝と尊敬がありつつ、どんなことも話し合える夫婦関係が僕らには合っていると思います」

――夫婦関係に正解はなく、お互いに心地よいと思う関係性を維持したいもの。それにはある程度の摩擦や衝突は不可避です。今年の夏休みに夫婦で時間を持ち、お互いの望むことを話し合い、いい着地点を見つけるのもいいかもしれません。

3人のお子さんへの関わり方を伺った記事はこちら

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中村憲剛の「こころ」の話

中村憲剛×医師、異色コンビのメンタル本
「心って、一体なんだろう?」

そんな究極の問いを出発点に、サッカー元日本代表の中村憲剛さんが、人生における普遍的なテーマについて全力で考えました。それを1冊にまとめたら、みんなのメンタルを潤して、今日より明日がちょっと生きやすくなる人生の“処方箋”ができました。

サッカー選手×ドクター、異色のコンビが贈る新感覚のメンタル本です。

著/中村憲剛  監修/木村謙介  小学館クリエイティブ 1650円(税込)

プロフィール

中村憲剛|サッカー指導者・解説者
1980年東京都出身。中央大学卒業。‘03年に川崎フロンターレに加入し’20年に引退するまで所属。‘06年から5年連続でJリーグベストイレブン受賞。’06年に日本代表にも選出され、‘10年ワールドカップに出場。’16年にJ1史上最年長のMVPを獲得。‘17年’18年と川崎フロンターレを優勝へと導く。現在は指導者、解説者として活躍中。

 取材・文/前川亜紀 撮影/五十嵐美弥

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