目次
長女が周期的に発熱する病気にかかり、不登校にも
――優作さんと奥様・春香さんは同じ国立大学教育学部の先輩・後輩で2歳違いなのですね。ご結婚されて何年目ですか。
優作さん 2013年に結婚したので、13年目ですね。

――長女のこはるさんは4歳のときに原因不明の「PFAPA(周期性発熱)症候群」になったのだそうですね。これはどんな病気なのですか?
優作さん 自己炎症性疾患で、何かしら体のシステムが過剰に働いて、周期的に発熱するという病気です。個人差はあるようですが、うちの子の場合は4歳から始まり、以後月に1回、1週間くらい38~40℃の熱が続きます。
メンタルにも影響があるようで、熱が出る2日くらい前から精神的に不安定になり、パニックになったり、妹たちにきつくあたったり。発熱すると何も食べられなくなり、熱が下がっても1週間くらい体調が戻りにくくて。月の半分くらいは病気によって自由に動けないんです。

10歳くらいまでには周期があいて軽くなっていくと言われているのですが、8月で11歳になるのにまだキッチリ熱が出るんですよね……。
――月の半分お子さんが不調となると大変ですね。
春香さん 熱だけならまだいいんです。保育園時代は、熱が出ている1週間は公務員のさまざまな制度を使って、ふたりで交互に休んでなんとかしていました。でも、小学校になると、こはるが不登校になってしまって。実家も遠くて頼れず、学校に行かない子を置いて仕事に行くわけにいかないから、休暇も足りなくなってきました。
母子分離が苦手な繊細な子。教室外の廊下で泣き叫ぶ長女に母も涙…
――不登校の原因は?
春香さん 病気の影響も多少あると思います。休みの後に学校に行くと友人との会話がかみあわず、学習もすすんでいて、疎外感、居場所のなさは少なからずあっただろうなって。でも、いじめにあったとか友達や先生がいやで、というのではないんです。友達も先生も好き。学校に行きたい思いはあるけれど、どうしても苦しくて行けない。1年生の2学期ごろから登校班の行きしぶりが始まって、朝、親が小学校まで送って行くのですが離れられず、離そうとするとパニックになるのです。何度もそうしたことが繰り返されるので、かかりつけ医のところで発達について相談することにしました。
医師が言うには「母子分離不安」だと。HSC(Highly Sensitive Child=人一倍、敏感な子ども)の傾向があるとのことでした。そういえば小さい頃から繊細で、親の背中のうしろに隠れるような子でした。小学校がスタートして1学期は大丈夫だったのですが、不安がたまりにたまって2学期に限界を迎えたのでしょう。学校に行きたいのか行きたくないのか、言葉で意思表示することもままならず、おなかが痛くなるなど、体の不調でSOSを出していました。

――おふたりとも学校の先生で、なかなか休めないお仕事ですよね。
春香さん それが一番の困りごとでした。担任の先生に「お願いします」って言っていやがる長女を渡すと、パニックになる。「イヤだー、ママぁ!」と泣いているのを振り切って出勤するんです。なんのために働いているんだろうって車の中で私もよく泣いていました。
ふたりとも教師、休めない…不登校の長女を夫の職場・高校の教室に座らせた日々も
春香さん そんなことを1年ちょっと続けていて、両立が難しくなって、私と主人、それぞれの校長先生に相談しました。そうしたら「職場につれておいで」と言ってくださって。私は特別支援学級も長く持たせていただいていたので、職場の特別支援学級に入れていただいて。主人は高校教師なので、高校生の中にまぜてもらって、というのを1年くらいやっていました。
仕事をしながらもいつも長女のことが頭の片隅にありました。会議が長引いて帰りが遅くなることもありますし、娘は帰りの車の中で気疲れで爆睡するんです。そしてまた熱が出て……。あの頃は本当にしんどかったですね。
――こはるちゃんのケアだけでなく、双子のそらちゃん、ななちゃんもいるわけですよね。どうやって子育てされていたのか……。
春香さん 毎日ヘトヘトでしたね。そんな中で、「何を大事にしたらいいんだろう」と悩みました。とにかくこのまま共働きをするのは無理だろうとは思っていたんです。そんな矢先、4人目のすずを妊娠。それを機に、ふたりで長く育休を取ることにしました。主人は1年間、私は実は今も育休中で、2027年の1月から復帰予定です。

優作さん 春香が4女を出産してからは、春香が生まれた子の面倒をみて、僕が3人をみるようになりました。そうしたら、ようやく長女も落ち着いてきました。そんな折、市で委託運営しているフリースクールがちょうど開設することになったので、長女を見学に連れて行ったんです。すると、「ここに通いたい」と、はじめて自分で意思表示したんです。最初は親から離れられなかったけれど、今は「ここが居場所」と、楽しんで通っています。
長女に続いて次女も学校に行き渋る…
――しかし、今度は双子のお姉さんのそらちゃんが不登校になったのですよね。
春香さん そうなんです。三女はぜんぜん平気でほぼ休みなしで登校するんですが、次女は1年の2学期後半から行ったり行かなかったりになって。お友達にも恵まれて家にも遊びにきてくれて、よい友達関係はできているのですが、ぽろっとこんなことを言ったんですよね。「学校では、自分がやりたくないのにチャイムが鳴ったらすわってやらなきゃいけないのがしんどいねん」って。
――ふたり不登校になるのも、ご夫婦ともつらいですね。
優作さん でも、長女のときに失敗してきたこと、葛藤してきたことの経験がありましたから。もう無理やり通わせるのはやめました。次女は長女がフリースクールに楽しそうに通っているのを見ていますから、自分から「フリースクールもいいな」、と思ったようです。
彼女はフリースクールも視野に入れて、行ける日は小学校に登校するという状況ですね。
不登校に対して落ち着いて対応できるようになった、でも…
――家族としての不登校への向き合い方も以前と変化し、
優作さん 僕は、最初の10年は絵に描いたような「熱血教師」でした。勤務時間関係なく生徒たちに全力で接し、サッカー部の顧問でチームを県のベスト8に導く。自分の仕事に誇りを持ち、打ち込みました。
少し変わったのは、妻が双子を妊娠してからです。リスクもあるため3カ月入院、無事出産後長女と双子の3人の育児を一緒に担ううち、「自分も家庭に軸足を置かないと回っていかないな」という意識が芽生え始めたんです。

その頃、勤務10年を過ぎ、仕事にも慣れて、なんとなく一区切りがついたような思いがありました。わからないこと、結果が出ないことが多かったときは悩みながら解決策を見い出してがむしゃらに行動していたのですが、たくさんの経験をして、30代前半ではあったものの、落ち着いてやれることが多くなったというか。
「教師として言うこと」と「人として言うこと」との間に差があるなんて
優作さん そう思い始めた頃にコロナ禍になり、学校教育にも大きな変化が起きました。オンライン授業が始まって、学校に来なくても教育が受けられるようになり、世間一般でも、これまでの学校教育を見直す機運が出てきましたよね。でも、落ち着いてくるとまた以前と変わりのない環境になります。
校則にしても、ずっと以前の感覚のままだと思うこともあります。高校だと髪型の規定が、「ツーブロックはダメ」とか。理由を生徒に聞かれても「高校生らしくない」「今までもそうだから」。それでは、生徒たちも納得できないです。僕も生徒指導という立場だと、校則違反を指摘しなければなりませんが、生徒たちの納得のいく説明ができていただろうか……。本来自分が人間として思っていることと役割として言わなきゃならないことの乖離に悩むことが増えました。
進路指導にしても、効率よく点を取らせて大学に押し込むことに、どの高校も必死です。僕は英語教員なので、公教育の英語にも疑問があります。小学校からやっているのに、高校生が外国人に道を聞かれてもウッとなって答えられない。もっと生きた英語を学んだほうがいいけれど、現状では難しい。先生の教え方とかそういう問題よりも前に、教育のシステムそのものをもっとガラッと変えないと、と思います。
――意欲に燃えて公立高校の「熱血教師」になったのに、自身の想いと現実との間で葛藤するようになるなんて……。先生たちは矛盾の中、いかに頑張っていて苦しんでいるか分かります。そんなモヤモヤの中、優作さんが取った勇気ある行動とは?後編でお伝えします。
後編はこちら
お話を聞いたのは
広島大学教育学部を卒業し、優作さんは高校教諭に、春香さんは小学校教諭に就任。2013年に結婚し、現在5年生のこはるちゃん、2年生の双子のそらちゃん・ななちゃん、2歳のすずちゃんの4人姉妹の親に。春香さんは現在育休中。こはるちゃん、そらちゃんの不登校を経て悩んだ末、優作さんは18年続けた高校教諭を2026年春に退職。2025年から準備してきた親子6人の「旅育」を2026年4月から12月までの予定で継続中。優作さんは一般社団法人Future for Kidsを2023年に設立。不登校の子や保護者を支援したり、子育て・教育の講演をしたりするなど新たな教育の道を歩み始めている。
旅の様子はInstagram
この記事を書いたのは
インタビューを中心に教育、子育て、医療、介護、食などのテーマで WEB・雑誌・書籍などの記事を執筆。お話を伺う方にたくさんの学びをいただいています。社会福祉士、法定成年後見人、中学校・高等学校教諭一種免許状、生涯学習2級インストラクター(栄養と料理)