浄土真宗とは
仏教にはさまざまな宗派があり、それぞれに開祖が存在します。まずは「浄土真宗(じょうどしんしゅう)」の開祖や、教義の特徴を見ていきましょう。
親鸞聖人が開祖の仏教の一派
浄土真宗の開祖は、鎌倉時代初期の僧侶「親鸞(しんらん)」です。浄土宗の開祖「法然(ほうねん)」の弟子として布教活動に励み、法然の教えをさらに高めた結果、浄土真宗が生まれました。
浄土真宗は、阿弥陀如来(あみだにょらい)を信仰し、念仏を唱えるだけで誰でも成仏できるとする、分かりやすい教えが特徴です。このため庶民に広く支持され、室町時代には全国的に普及していたといわれています。
古くは「一向宗(いっこうしゅう)」と呼ばれており、戦国時代には門徒(浄土真宗の信者)が「一向一揆」を起こしたことでも有名です。
浄土真宗の歴史
親鸞の教えは、弟子たちによって一気に広まり、一時は、有力な大名をしのぐほどの勢いを持つ教団として、歴史に名をとどろかせました。
親鸞の活動開始から、勢力拡大までの歴史を見ていきましょう。
鎌倉時代に開かれた浄土真宗
親鸞が、法然の弟子として浄土宗を布教していた時期は、今から約800年以上前の鎌倉時代初期です。当時の日本では、仏教は上流階級の人だけが学べる教義であり、庶民には手の届かないものでした。
そもそも一般庶民が、難しいお経を読んだり、厳しい戒律を守って暮らしたりできるはずがありません。しかし、法然が開いた浄土宗の教えは、「念仏(ねんぶつ)を唱えるだけで誰でも救われる」とする点で画期的でした。
法然に共感した親鸞は、弟子入りして諸国を巡り、布教に尽力します。自らも多くの弟子を育て、浄土宗の発展に貢献しました。
親鸞が亡くなると、子孫や弟子が彼を開祖とする「浄土真宗」を成立させ、さらに門徒を増やしていきます。
親鸞聖人の死後は、二つの流派に
親鸞の死後、彼の教えは二つの流派に受け継がれます。一つは「血脈(けちみゃく)」と呼ばれる親鸞の身内です。親鸞には妻子がおり、末娘の覚信尼(かくしんに)が京都東山(ひがしやま)に親鸞の遺骨を納める「大谷廟堂(おおたにびょうどう)」を建てました。
覚信尼は、自ら弟子たちに代わって、廟堂を管理する「留守職(るすしき)」となります。以降、留守職は、覚信尼の子孫が世襲で務めました。後に建立される浄土真宗の本山「本願寺」の門主(もんしゅ)にも、留守職が就任しています。
二つ目の流派は、主に関東で活動していた親鸞の高弟を中心とする集団で、血脈に対して「法脈(ほうみゃく)」と呼ばれています。
浄土真宗の勢力拡大と分裂
室町時代の後期に、本願寺8代目門主となった蓮如(れんにょ)は、浄土真宗を本格的に広めた「中興の祖」として有名です。家庭に仏壇を置く習慣は、蓮如によって広まったといわれています。
蓮如の活躍で、浄土真宗は大流行し、門徒が団結して大きな社会的勢力となります。守護や大名の圧政に苦しむ民衆が、同じ教義の基に立ち上がることで、一揆も頻発(ひんぱつ)しました。
蓮如が大坂に建立した「石山本願寺」では、11代目門主の顕如(けんにょ)が、天下統一を目指す織田信長と10年に及ぶ戦いを繰り広げます。石山本願寺は、信長との和睦(わぼく)後に焼け落ちてしまいますが、後に豊臣秀吉の援助で京都に再建されました(1591)。
このとき、顕如は、和睦に反対した長男・教如(きょうにょ)ではなく、賛成した三男・准如(じゅんにょ)に跡を継がせた(1593)ため、教如は不満を募らせます。
やがて、徳川家康が関ケ原の戦いで勝利すると、教如を庇護して新たな寺を建てさせました(1602)。家康のこの行動は、浄土真宗の勢いを削ぐための策略です。
こうして本願寺は東西二つに分裂し、現在に至っています。
浄土真宗の特徴
親鸞が提唱した浄土真宗の教えとは、どのようなものなのでしょうか。特徴や東西本願寺の違いについて解説します。
浄土真宗の教えとは
浄土真宗の大きな特徴は「絶対他力(ぜったいたりき)」を掲げていることです。他力は、阿弥陀如来の力を指しており、阿弥陀如来を信じる心さえあれば救われると説いています。
苦しい修行や厳しい戒律がある他の宗派と異なり、シンプルで分かりやすいため、読み書きのできない庶民にも受け入れられました。
誰もが平等に信仰できるように、規律のハードルを下げているのもポイントです。例えば、浄土真宗の僧侶には、仏教が禁じている「肉食妻帯(にくじきさいたい)」が許されています。
親鸞自身も、結婚して7人の子どもをもうけ、普通に肉を食べていました。
本願寺派と大谷派の違い
織田信長との戦いがきっかけで教如・准如兄弟が仲違(なかたが)いして以来、浄土真宗は「本願寺派」と「大谷派」に分かれています。
豊臣秀吉の命(めい)で顕如が再建し、准如が継いだ方が「本願寺派」で、本山は「西本願寺」です。大谷派の本山は、徳川家康の命で教如が建立した「東本願寺」です。
二つの本願寺はそれぞれ、「お西さん」「お東さん」と呼ばれることもあります。
どちらも基本的な教義は変わりませんが、親鸞の命日法要の日や、仏具の仕様、葬儀の段取りなど、細かい部分に違いが見られます。例えば、本願寺派の仏壇は柱が「金色」ですが、大谷派は「黒」です。
浄土真宗の経典
浄土真宗には次の三つの経典(きょうてん)があり、「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」と呼ばれています。
・大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)
・阿弥陀経(あみだきょう)
・観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)
「大無量寿経」は、7,000巻以上ある経典の中で、親鸞が唯一「お釈迦様(しゃかさま)の本心が書かれている」と語った経典です。浄土真宗の根幹を成すとして、最も重要視されています。
「阿弥陀経」は、浄土真宗の本尊・阿弥陀如来や極楽浄土の様子について書かれたものです。「観無量寿経」には、初めて阿弥陀如来に救われたとされる人物が登場します。
浄土真宗の有名な寺院
浄土真宗の寺院としては、京都の「東・西本願寺」のほか、東京の「築地本願寺」も知られています。有名な3寺院について、概要を見ていきましょう。
西本願寺
西本願寺の正式名称は「龍谷山(りゅうこくざん)本願寺」です。境内には、国宝に指定された建造物が多く、なかでも「飛雲閣(ひうんかく)」は、「金閣」や「銀閣」とともに京都三名閣の一つに数えられています。
ほかにも、見ていると日が暮れるのを忘れてしまうほど美しいために「日暮門(ひぐらしもん)」と呼ばれている「唐門(からもん)」や、日本最古の「能舞台」など、見どころがたくさんあります。
和睦の際に、織田信長が顕如に贈ったと伝わる「一文字(いちもんじ)茶碗」も見学可能です。
東本願寺
東本願寺の「御影堂(ごえいどう)」は、世界最大級の木造建築物として知られています。2019(令和元)年には、国の重要文化財に指定されました。927枚もの畳が敷かれた広大な建物には、親鸞や蓮如の御真影(肖像)が置かれています。
境内から東へ少し歩くと見えてくる「渉成園(しょうせいえん)」は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の寄進で造られた庭園です。広大な敷地には回遊式の池もあり、四季折々の美しい風景が楽しめます。
なお、西本願寺と東本願寺は意外に近く、違いを比べながら拝観できます。
築地本願寺
築地本願寺は、本願寺派が関東布教の本拠地として、1617(元和3)年に浅草浜町に直轄(ちょっかつ)寺院を建てたのが始まりです。1657(明暦3)年に起きた「明暦(めいれき)の大火」で焼失したため、築地に移転しました。
本堂は、1923(大正12)年の関東大震災で焼失後、現在の姿に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。仏教発祥の地・インドの寺院を思わせる、エキゾチックな外観が印象的です。
本堂の内部にはパイプオルガンがあり、コンサートも開かれます。浄土真宗にかかわりのない人でも親しみやすく、気軽に足を運べるお寺として人気です。
参考:築地本願寺
浄土真宗の葬式について
葬式は、宗教・宗派によって流れや作法が異なります。浄土真宗にも、他の宗派とは異なる慣習があるため、葬儀に参列する際は注意が必要です。
葬式の基本の慣習
葬儀は基本的に、故人を供養し成仏(じょうぶつ)を願う儀式です。しかし、浄土真宗の教えでは、人は亡くなるとすぐ仏になり、阿弥陀如来が極楽浄土へ連れていくことになっています。
わざわざ葬儀で願わなくても成仏できるため、葬儀は故人ではなく、阿弥陀如来に向けた「勤行(ごんぎょう)」と位置付けられています。
また、浄土真宗には戒律がないため、戒名(かいみょう)がありません。故人に付ける死後の名前は「法名」と呼ばれ、男性は「釈〇〇」、女性は「釈尼〇〇」と表されます。
葬式の流れ
浄土真宗の葬儀の流れは、本願寺派と大谷派で異なります。本願寺派の一般的な流れは、以下の通りです。
1.三奉請(さんぶしょう):最初の読経
2.表白(ひょうびゃく):阿弥陀如来の徳を賛嘆し、法要の趣旨を述べる
3.正信偈(しょうしんげ):読経
4.焼香(しょうこう):僧侶に続き、遺族や参列者が焼香
5.出棺式
6.火葬・拾骨後の読経、念仏
読経や焼香を経て出棺の流れは、他の宗派とあまり変わらない印象です。一方、大谷派の葬儀は「葬儀式第一」と「葬儀式第二」の2部構成になっています。
「葬儀式第一」は、さらに「棺前勤行」と「葬場勤行」の二つに分けられています。いずれの場合も、葬儀を行う場所や地域によって多少内容が変わるため、あらかじめ寺院に確認してから参列するとよいでしょう。
葬式の作法やマナー
葬儀に参列する際に、最も気になるのが香典や焼香のマナーです。
浄土真宗の葬儀では、香典の表書きに「ご霊前」を使ってはいけません。亡くなった人は、すでに仏になっているため、「霊」は存在しないのです。「御仏前」または「御香典」を使いましょう。
遺族にかけるお悔やみの言葉にも注意が必要です。よく使われる「ご冥福(めいふく)をお祈りいたします」には、成仏を願う意味があるため、浄土真宗の教えに相応(ふさわ)しくありません。「心よりお悔やみ申し上げます」などがよいでしょう。
焼香で注意するポイントは、以下の通りです。
・焼香前に合掌(がっしょう)しない
・香を額の位置に持って行かない
・「おりん」を叩(たた)かない
・線香は横に寝かせる
・抹香(まっこう)の場合は、本願寺派は1度、大谷派は2度つまんでそのまま香炉に落とす
寺院によっては、焼香後に合掌して「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えるケースもあります。
現代にも引き継がれている浄土真宗
浄土真宗は、鎌倉時代に親鸞が広めた教えを、子孫や弟子が受け継いだ結果、現在まで続いている宗派です。身分や修行の有無にかかわらず、誰でも平等に救済されるとする考え方は広く受け入れられ、戦国時代には世の中を動かすほどの勢力を誇りました。
機会があれば、親子で近くの寺院を訪れ、親鸞や阿弥陀如来の存在を身近に感じてみるとよいでしょう。
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構成・文/HugKum編集部