ことわざではなかった「一円を笑う者は一円に泣く」
ひょっとすると、「一円」ではなく「一銭」ではないか、と思った方もいらっしゃるかもしれませんね。元祖は「一銭」で、通貨の変遷から「一円」としても広まったと思われます。ただ「一銭」にしろ「一円」にしろ、意味は変わりません。金銭は小額でも粗末にしてはならないという戒めです。
この「一円を笑う者は一円に泣く」って、本当は“ことわざ”ではないのです。
実は国が募集した標語だった!考えたのは大阪市民
実はこれ、大正8年(1919年)に、当時の逓信(ていしん)省為替貯金局が公募した、貯蓄奨励のための標語の入選作だったのです。逓信省はかつて通信・交通運輸を総括した中央官庁です。
その二等に選ばれたのが、大阪の朝田喜代松さんが作ったこの「一銭を笑うものは一銭位に泣け」だったのです。それが、今でもことわざのように使われているというわけです。
このとき二等になった標語はもう一つあります。「現金は痩せ貯金は太る」というものです。また、一等は、「貯金は誰も出来るご奉公」です。
二作ともいかにも時代を感じさせるものですが、これにくらべて「一銭を笑う者は一銭に泣く」は、「貯蓄奨励」という枠を超えた、秀逸で普遍的な標語だったと思いませんか。これのみ後世に残った理由もうなずけます。
標語の背景にインフレ招いた「米騒動」
このような標語の公募が行われた時代背景を、少しだけ説明しておきます。
前年の1918年11月にドイツの降伏により第一次世界大戦が終結しました。日本では、この1918年に米価が高騰して、富山県魚津に端を発して全国民運動にまで波及した「米騒動」が起こったのです。第一次世界大戦中のインフレが一段と進み、さらにシベリア出兵を決定したことから、地主、米商人が投機を計って米を売惜しみ、買占めをしたことが騒動の主な原因でした。政府としても国民に貯蓄奨励を訴えなければならなかったのです。
元々は「一銭」だったわけですが、今では「一円」にしてもいいような気がします。その方が、ことわざのように扱われることになったこの秀逸な標語が、いつまでも生き続けるだろうと思うからです。
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