目次
世界で初めて盲ろう者の大学教授となった“日本のヘレン・ケラー”の物語
わずか9歳で失明し、18歳で聴力を失いながらも、世界で初めて盲ろう者の大学教授となった福島智さん。“日本のヘレン・ケラー”とも称され、現在は東京大学先端科学技術研究センターバリアフリー分野教授として教鞭をとっています。そんな福島智さんと、母・令子さんの実話に基づく物語を映画化した『桜色の風が咲く』が11月4日(金)より公開されました。
主演は、女優で3人の子どもを持つママでもある小雪さん。本作は『わたし出すわ』(09)以来、12年ぶりの映画主演作となりました。実際に福島教授と初対面した時「エネルギーと人間的懐の豊かさを感じて、計り知れない人生だったと想いを馳せながら、福島先生のことを多くの方にお伝えしなければという使命を感じました」と語っています。
メガホンをとったのは、前作『パーフェクト・レボリューション』(17)でも、脳性麻痺を抱えた熊篠慶彦氏の実話をベースにした映画を手掛けた松本准平監督。前作の上映会で福島教授と対談したことをきっかけに、令子さんの著書を読み、もう一度「障害というものの本質に向き合いたい」と、本作に臨んだそうです。松本監督自身も一児の父親ということで、本作に懸けた熱い想いや撮影秘話などを伺いました。
子役に対して我が子のように向き合った小雪の圧倒的な存在感
教師の夫(吉沢悠)、3人の息子とともに関西の町で暮らしていた令子(小雪)。末っ子の智は幼少時に視力を失いましたが、天真爛漫の明るい子に育っていました。東京の盲学校でも高校生活を謳歌していた智(田中偉登)ですが、18歳でさらに聴力も失っています。孤独に心を苛まれる智でしたが、令子は息子との日常から“指点字”という新たなコミュニケーションを思いつき、智もそこからまた、新たな希望を見出そうとしていきます。
――まずは、主演を務めた小雪さんの印象から聞かせてください。
小雪さんとお会いした瞬間に、この人はすごく愛情にあふれたお母さんだなという印象を受けまして。だからそれをそのまま大事にして撮っていきたいと思いました。
――実際に3人の子育てをしている小雪さんだからこそ、画に説得力がありました。
毎カットごとに発見がありましたし、心から感動し、胸を打たれながら撮影する日々でした。
また、子どもの演出では、ものすごく助けてもらいました。特に今回、1歳の子役がいて、どうしてもお母さんの手から離れた瞬間にわんわん泣いてしまうんです。でも、小雪さんが率先してコミュニケーションを取ってくれて、その子をずっと抱いてくれていたので、小雪さんにだけは懐いてくれました。
小雪さんは子育て中なので、余裕を持ったスケジュールにして、夜も早めに切り上げるようにしていたので、僕は毎日、福島家を訪ねて、撮影をさせてもらっているような気分でした。
――小雪さんの母親ぶりには嘘がなかったのですが、役作りに関してどんなリクエストをされたのですか?
演出面で言うと、僕はもともと役者さんに対してあまり多くのことは言わないし、テストや段取りみたいなものは最小限に留めるタイプです。
僕が撮りたいのは上手なお芝居ではなく、その場で生まれた生の存在なので、なるだけ作為的なものを排除したくて。自分が映画を観ていても、スクリーンのなかで実際に生きているような佇まいの人物に強く惹かれるので、そこは大事にしています。
――3人の子育てに追われている令子さんの日常もリアルで、智さんの障害が発覚した時、自分自身を責めてしまう気持ちも非常に共感できました。なかでも監督が一番心に残ったシーンを教えてください。
令子さんが長男と次男に電話をするシーンは、現場で撮影する際も、ラッシュ(粗編集版)を観た時も泣けました。次男が寂しいのに頑張っている感じや、それを長男がフォローしてあげるところは、子どもを持つ親なら特に響くものがあるんじゃないかと思います。
僕も子どもが1人いるので、「今日は帰れないよ」といった感じで、子どもに我慢をさせながら仕事をしなければならないこともあります。きっと小雪さんご自身も経験があるのではないかと思い、かなり心を揺さぶられました。
障害者の物語をすべてが美談として描かない理由とは?
――前作『パーフェクト・レボリューション』もそうでしたが、松本監督が描く障害者の日常は、きれい事ではなく、良い意味で人間くさいリアリティーを追求して描かれているので、とても感情移入しやすいです。
やはり物語を描くうえで、自分と遠い存在みたいな描き方や題材との向き合い方をするのではなく、本当にそういう方がいて、そこに住んでいるように描くということは強く意識しています。今回であれば、小雪さんや智役の田中偉登くんが、本当の家族に見えるように撮りたいと思っていました。
――田中さんについても小雪さんと同じように演出されたのですか?
おふたりとも撮影前に役についての話し合いはしましたが、田中くんについては福島智さんの研究室にしばらくの間、通ってもらいました。役作りという意味では、その積み重ねで、十分な効果があったかなと思います。
また、田中くんには、けっこうテイクを重ねてもらったシーンもありました。彼の場合は、智としてあふれ出てくるテイクになるまでひたすら待つという感じだったかと。もともと田中くんをキャスティングしたのは、福島さんのように、自分を押し付けてくるいろんな出来事をはね返す力や情熱みたいなものを持っていると感じたから。そんな彼の良さが出てくるまで、信頼して待つといった瞬間が何度かありました。
――田中さんは、実際に福島教授とお会いして「笑顔がとても印象的」だと感じ、そこを意識して演じたそうですね。
それは田中くんが福島さんとある程度、一緒に過ごしたからこそ感じたものでしょう。やはり演技において大事なことは、心と心をお互いに開き合うことだと思っています。僕は“ラポール”と呼んでいますが、役者さんが登場人物や、目の前にいる共演者の人と心を開き合うことで最高のお芝居になると信じています。
そういう意味で、実際に福島智さんという人間がいらっしゃるので、その方と共に時間を過ごし、彼の声を聞いたり笑顔を見たりすることは、田中くんにとって大きな役作りになったんじゃないかなと思います。
母親の愛から生み出されたコミュニケーション手段の“指点字”
――令子さんが、盲ろう者となった息子と言葉を交わしたい一心で考え出したというコミュニケーション手段“指点字”は本当にすばらしいアイディアです。福島智さんが「僕の使命は、この苦しみがあってこそなりたつ」という境地に至る流れにも感服させられました。
僕も“指点字”に行き着くまでの話は、めちゃくちゃすてきな話だと思いました。確かに福島智さんという人はものすごく聡明な方ですが、自分たちと違う世界で生きているというわけではなく、もしかして僕たちも彼と同じように考え、生きることもできるかもしれないってことを忘れてはいけないなと。
――本作を観て、“障害者”という選別について改めて考えさせられました。
根強い偏見は社会にあるのと同じように、自分たちのなかにもあると思います。ただ、福島さんたちが背負っている苦しみや負担は、結果的に社会において“障害者”として分類されるものですが、僕たちもきっと何かしら障害のようなものを抱えて生きているのではないかと。それは彼らが抱えているものに比べたらすごく小さいのかもしれませんが、僕は今回、障害というものを、もっとブレークダウンさせて捉えたいとも思いました。
障害は、あらゆる人に訪れる苦しみのような意味合いもあり、それは一体何なのかという点にもっとフォーカスしたかったんです。もちろん、智さんのような方たちにはサポートが必要なことは間違いないので、そこもきちんと映画で描きたいと思いました。
――令和という時代になり、多様性が重んじられてきましたが、コロナ禍では人と人とのコミュニケーションが難しくなってしまったので、それはより一層響くテーマですね。
僕は会社におけるハラスメント的な指摘も、考えものだなと感じています。今は仕事相手に対してプライベートなことを1つでも聞いたら「それ、ハラスメントです」といった流れになってしまいがち。まるで人を働く機械のように扱っていて、逆に自分たちの首を絞めてないかなと思ってしまいます。
――本来は、弱者を守るために作ったシステムのはずなのに、人と人との距離感ができすぎて、自分がちょっと困った時に声を上げにくくなってしまった感じですね。
以前から直接人と話す機会が失われてきていましたが、コロナで追い打ちをかけられ、会社関係もアプリのやりとりだけで済ませてしまうことが多くなりました。そうすると、解決するものもしないです。智さんもいろんな人との出会いがあったからこそ、道を切り開いていけたわけですから、出会いの機会を損失してしまうことはとても寂しく思います。
智さんはもともと頭が良かったとは思いますが、何か特殊な能力を持っていたわけではありません。きっと時には絶望的な感情になったこともあったに違いないけど、そういうものとちゃんと対峙していけば、世界はここまで広がっていくんだなと、僕は智さんから学ばせていただきました。
――最後に、これから本作を観られる方へのメッセージをお願いします。
苦しみの大小はそれぞれ違いますが、誰にでもあるものです。ですからこの映画を自分とは関係のない絵空事として捉えるのではなく、少しでもみんなが自分のことのように思ったり、想像したり、感じたりすることができればいいなと僕は思っています。
また、僕は福島先生の苦しみに対する向き合い方に感銘を受けてこの映画を作ろうと思いましたが、撮影をするうえで目の当たりにしたのは、お母さんの愛の強さでした。それを観て感じて、少しでも何かを持ち帰ってもらいたいです。
取材・文/山崎伸子
小雪がイベントで語った「3人の子を持つ母としての想い」とは?
10月27日に都内で行われた『桜色の風が咲く』の完成披露試写会では、12年ぶりに主演を務めた小雪さん、共演の田中偉登さん、モデルとなった福島智教授、松本准平監督、結城崇史プロデューサーが出席しました。
小雪さんは、福島教授の母・令子さんによって考案された“指点字”を実際に学び「撮影期間中はいつでもどこでも指点字。寝ている間にも頭に残るような思いで学びました。そこができないとダメだと、自分のなかににじみ込ませたいという思いでやりました」と熱演を報告していました。
福島智役の田中さんは小雪さんについて「撮影のとき以外でも僕のことを息子として見てくれて、体調の事や食事のことを心配してくれたり、家事はできるの?と聞いてくれたりしました。本当のお母さんみたいな感じで、それが本編にもにじみ出ているはずです」と撮影を振り返りました。
福島教授は自身を演じた田中さんについて「僕と同じ関西人ということで波長も合うし、若い頃の私と同じようなエネルギーとガッツを持っている。そして関西人的なアホっぽさもあり…これは褒めているんですよ!」と笑わせつつも絶賛。
小雪さんについては「おふくろは、小雪さんなんて恥ずかしい!と言っているし、兄も小雪さんとは雲泥の差だと言っていました」と謙遜しつつ「おふくろは大阪のおばちゃんで小雪さんとの共通点はないと思ったけれど、実際にお会いしてお話をすると、お母さんとしてのパワーと生きる力を感じた。それは私のおふくろと同じだと思った」と共感していました。
最後に小雪さんが「私も3人の子を持つ母として、いろいろな思いをこの作品に込めました。生きる意味や生かされている意味など、映画を通して感じてもらえる作品になっています」と語ると、会場からは大きな拍手が沸き起こりました。
監督:松本准平 脚本:横幕智裕 協力:福島令子、福島智
出演:小雪、田中偉登、吉沢悠、朝倉あき/リリー・フランキー……ほか
文部科学省選定(青年・成人向き)(令和4年10月19日選定)
公式HP:gaga.ne.jp/sakurairo
©THRONE / KARAVAN Pictures
取材・文/山崎伸子