能楽は猿楽と呼ばれていた? 狂言・田楽との違い、その歴史について解説

日本の伝統文化の一つである「能楽」について、よく知らない人もいるのではないでしょうか。どのようなものなのか、歴史と併せて分かりやすく紹介します。混同しがちな狂言や田楽との違いについても触れるので、知識を深めましょう。

能楽(猿楽)とは?

テレビなどで「能楽(のうがく)」を見たことがあっても、どのようなものなのかうまく説明できない人は少なくありません。まずは、説明できるように概要を把握しましょう。

日本の古典芸能の一つ

「能楽」とは、「能」と「狂言(きょうげん)」をまとめた呼び方で、室町時代から受け継がれている日本を代表する古典芸能の一つです。古くは「猿楽(さるがく)」と呼ばれていました。

能楽は、謡(うたい:歌・セリフ)を歌いながら囃子(はやし:楽器)に合わせて、主役の「シテ」が中心となって演じる舞台芸術です。言葉や節回しに室町時代の様式が残っているのも特徴です。

能楽の楽器。小鼓と笛

楽器は笛・小鼓(こつづみ)・大鼓(おおつづみ)・太鼓(たいこ)の4種類が使われており、専門家によって演奏されています。

能楽のうち、能では役者が面を着けるのも特徴で、男女の面のほか、般若(はんにゃ)や鬼の面など、さまざまな種類があります。

般若の面

能楽の歴史

能楽がどのように誕生し、発展してきたのか歴史を見ていきましょう。歴史的背景を知ることで理解が深まるだけでなく、より興味が湧くかもしれません。

散楽から猿楽へ

能楽のルーツは、奈良時代に中国大陸から伝来した民間芸能の「散楽(さんがく)」にあります。マジックやアクロバットなども含む、多種多様な芸が特徴でした。

散楽は「散楽戸(さんがくこ)」として国家の保護を受けていましたが、平安時代になって保護が廃止されると、しだいに庶民の間で普及していきます。世間のさまざまな事柄をおもしろおかしく演じる寸劇が人気となり、呼び名も日本の風土に合った猿楽が用いられるようになりました。

神社の祭礼や寺院の法会でも演じられるようになり、発展していくことになります。

古来より神社と能楽の関係は深い

観阿弥・世阿弥による能楽の大成

能楽は、南北朝時代に現れた名手「観阿弥(かんあみ)」「世阿弥(ぜあみ)」親子によって大成したと考えられています。

父の観阿弥は、室町幕府3代将軍の足利義満の支援を受け、単調だった謡にラップのようなリズムを付けた「曲舞(くせまい)」という節を取り入れて、新しいスタイルを生み出しました。

息子の世阿弥は、歌舞を中心とするスタイルを確立し、能楽をより優美なものに作り上げていきます。

 

作曲・演技・演出など能楽に関する著作にも力を注ぎ、発展に貢献しました。世阿弥が亡くなった後も、甥などによって観阿弥・世阿弥が作り上げた能楽は受け継がれていくことになります。

社寺の衰退により武家の保護下に

能楽は、寺院での法会などで余興として演じられながら受け継がれてきました。例えば、現在の「翁(おきな)」という演目は、「追儺(ついな:節分の鬼追いの行事)」を劇にしたことが由来とされています。

しかし、応仁の乱以降は室町幕府の権力が弱まり、寺院は衰退していきます。そのため、寺院の庇護を受けていた能楽も、苦しい状況に追い込まれたのです。

活路を見いだすために、地方の有名大名に頼る役者が多く現れ、織田信長や豊臣秀吉などが能楽を好んだことから、寺院から武家の保護下に置かれるようになりました。

徳川家康も能楽に好意的で、四座一流が幕府の儀式で使われる芸能として保護されました。これにより、能楽の役者の生活は安定していったといわれています。

名古屋能楽堂

日本の代表的な古典芸能として発展

明治維新によって江戸幕府の保護を失うと、多くの役者が廃業もしくは転業せざるを得ない状況になります。存続の危機に陥った能楽ですが、伝統芸能を継承する重要性に気付かされた政府や皇族などの支援を受け、かろうじて危機を免れます。

第二次世界大戦後も存続の危機に陥りましたが、さまざまな人の努力によって危機を乗り越えました。1957年には国の重要無形文化財となり、2008年にはユネスコの「無形文化遺産」にも登録されています。

参考:文化遺産データベース

狂言や田楽との違い

「狂言」や「田楽(でんがく)」との違いが分からない人も少なくありません。違いが分かるように、それぞれの主な特徴を紹介します。

豆知識として子どもに教えてあげると、日本文化に興味を持つきっかけになるかもしれません。

狂言の特徴

先述のとおり「能楽」は能と狂言を表す言葉です。このことからも分かるように、「狂言」のルーツも能楽と同じ散楽にあります。それぞれ異なるスタイルに発展していきました。

能の演目は、歴史上の人物やストーリーを基にした悲劇が多いのが特徴です。一方、狂言の演目は、世間のさまざまな事柄や庶民の日常生活を演じる喜劇が多くなっています。

見た目や口調にも大きな違いがあり、能は面を付け「そうろう調」で演じますが、狂言は面を付けず「ござる調」で演じます。

田楽の特徴

「田楽」は、曲芸の要素も取り入れた舞いを中心とする芸能です。物まねの要素が強い猿楽に対し、田楽は舞いで象徴的に演じるという違いがあります。専門集団によって演じられており、公家や武家に好まれていました。

地域ごとに独自に発展したため、それぞれに異なる特徴や個性があります。ただ、「びんざさら」と呼ばれる楽器や目を引く華やかな被り物を使うのが基本です。

南北朝時代には田楽法師の一忠(いっちゅう)と呼ばれる名手がおり、能楽を大成させた観阿弥と世阿弥も一目置いていたといわれています。

長い歴史を持つ能楽

能のルーツは奈良時代に中国大陸から伝来した散楽で、時代の流れとともに猿楽、能楽と呼び方が変わっていきました。能楽を大成させたのは観阿弥と世阿弥で、武家の保護下で継承されていったのです。

幾度にも及ぶ存続の危機を乗り越え、長い歴史を紡いできた日本の伝統芸能「能楽」について知り、鑑賞して楽しみましょう。

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文・構成/HugKum編集部

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