スポーツが大好きだった!寺川さんの子ども時代
水泳をはじめたきっかけと小学生の頃の習い事
幼少期に小児喘息を発症し、小児科の先生に進められたのがきっかけで3歳から水泳をはじめました。小学生になると、ピアノ、習字、英語の教室に通っていたのですが、習字はさぼっているのが見つかってしまって、ピアノはじっとしているのが苦手で辞めました。英語だけは続けたのですが、英語の後に水泳の練習があり、英語教室が学校の宿題をやる場所になっていたからです(笑)。
水泳を競技として意識したきっかけは?
7歳の時に、バルセロナオリンピックで岩崎恭子さんが金メダルを獲得したニュースを見て、「私もオリンピックで金メダルを獲りたい!」という気持ちになったのが始まりです。
そもそも水泳が大好きで、いつも家の床とかで泳いでいたんですよ(笑)。夏休みなどに家族で旅行に行くとなると「必ずプールがあるところにしてね!」とお願いしたりして。
その頃が、ちょうど「好き」と「なりたい自分」が一致した瞬間だったんじゃないかなと思います。それでスイッチが入り水泳に取り組む姿勢が変わっていきました。そのタイミングで選手クラスに所属したので、そういった心境と環境の変化が重なって自然な流れで水泳が競技として切り変わったようです。
子どもの頃に水泳以外にスポーツに触れる機会はありましたか?
放課後に友だちとキックベースをして遊んだり、基本的に小さい頃から体を動かすことが好きでしたね。スポーツは基本的に全部やりたいタイプなのでいろいろ挑戦してみたかったのですが、水泳を競技として続けていく中で、怪我をしたら大変だからということであまりできませんでした。なんでも思い切りやってしまうので、学校の体育の授業のバレーやバスケなどでよく突き指してたんですよ。コーチに何回も怒られてました。
水泳を通して学んだこと
楽しい、嬉しい、悔しい、悲しいなどの感情だったり闘争心とかそういうもの全て、人として必要なものは、水泳を通して周りのコーチやスタッフ、選手の皆さん、家族から教えてもらいました。もちろん学校から得た学びもたくさんありますが、学校にはない刺激がいろいろあったと記憶しています。
毎日先輩にくらいついて練習していく中でいろいろ学びましたね。年齢差や体格差があっても、競技をしていく中では、いざ「ヨーイドン!」とスタートしたら、レースではもう関係ないですからね。
レースや練習で思い通りにならないとやっぱり悔しくて。そんな葛藤や、いろいろな感情のコントロールも水泳でメンタルトレーニングされていた感じがします。
見守り続けてくれた両親のサポート
親御さんのサポート法とは?
父は毎日の練習や大会の送迎をしてくれて、母は食事をサポートしてくれました。
食事は、一皿ずつ出てくるのですが、好き嫌いが許されなかったので苦手なものを食べないと、メインまでたどりつけないシステムになっていました(笑)。大きくなってから、このシステムってなんだろう?と気になり母に聞いたら「温かいものを食べさせたいと思っているけど、練習が終わって何時に帰るのかわらないから調理が間に合わなかった」と言われました。作戦なのか本心は分かりませんが、私の身体の事を考えて色々なメニューを考えてくれていましたね。
競技に対しての声掛けは、ほぼなかったですね。選手コースに上がるときも自分の意志で決めました。やるかどうかの選択は自分で決めてと言われていたので。
「自分でやりたくてその道を進みはじめたのだから、嫌で練習をさぼるとか、そういうのは絶対に許しません」という風には言われていました。「自分で決めたことは自分で最後までやりきる」両親の教えは一貫していましたね。
両親は特にスポーツをやっていたわけではなく、指導は全てコーチに任せていました。
記憶をさかのぼると、最初の頃、両親にとって水泳は、完全に習い事だったのだと思います。だから受験のタイミングには、「もうやめなさい、いい加減にしなさい」言われたことも。コーチにも「もう休ませないと勉強が間に合わないから、いい加減にしてください」と言っていましたよ。
ですが、コーチたちが「この子はちゃんとやると、オリンピックに出場できるレベルになるから」と説得してくれたんですね。このあたりで両親は半分諦めていたと思います。水泳に夢中だった私は一層のめり込みました。
水泳から離れて感じた「楽しむ」ことの大切さ
水泳を続けていく中で辞めたいと思ったことはありますか?
辞めたいと思ったことは何度もあります。高校生になっても友だちと遊ぶ時間もないですから。休みの日に出かけたくても、私だけ大会や練習があって。もっと遊びたいなと思っていました。ですが、自分が好きでその道を選んでいたので、水泳をやめてまで遊びたいとまでは思いませんでした。
心から「もういいや」って思ったのは、大学1、2年生にかけてアテネオリンピックの出場を決める選考に向けてトレーニングをしている時です。
周りからのプレッシャーを初めて感じたんです。周りは気を遣って「大丈夫だよ!」って声をかけてくれるのですが、何が大丈夫なのかわからない。「オリンピックいけるよ!」と言われてもそんなに簡単なことじゃないって思ってしまって……。
言ってくださる方はそういうつもりではないのですが、常にプレッシャーを感じていた当時の私にとっては、すごく軽い言葉に聞こえてしまいましたね。なんでこんなに真剣に一生懸命やっているのにそんな風に言われるんだろうって思ってしまって。
水泳を辞めればすべてのプレッシャーからも解放されるだろうと、その時は考えたんです。
乗り越えたきっかけは?
同じくオリンピック選考会で代表を狙っていた友だちがいて、その子が「泳がなくていいからプール観にきなよ」って声を掛けてくれて遊びに行きました。
絶対コーチに頼まれて、私に連絡したんだろうなと思っていたので、その手には乗るか!何も持たずに行ったんですけど、みんなが厳しいトレーニングをしているはずなのにすごく楽しそうにしている姿を見て、「あれ?」って。
私はここに居たはずだし、居るはずなのになんでこんなに離れたところから見ているのだろう……と。それで「やっぱり戻りたい!」と思い、復帰しました。
結局、休んでいたのは2週間くらいでした。短いように思いますが、水泳は2、3日練習をしないだけで初心者のような感覚になるというか、水を掻いてもスカスカに感じてしまうんです。もちろん私もそうなってしまいました。
数か月先にオリンピック選考会を控えている選手が2週間も休むことは本当に致命的だったので、まわりの人は「もう無理かも」と危機感を感じていたと思います。
当時、メンタルケアで意識していたことはありますか?
特別何もないですね。日々の練習の積み重ねで培われたと感じます。私はせっかく戻ってきたのだから楽しむことをを忘れずに、何を言われても気にしないでやってこうって思っていました。好きな水泳を楽しむ、一番大切なことを改めて思い出しました。
---水泳から一度距離を置いたことにより楽しむ大切さを実感し、実践してきた寺川さん。その後アテネ、ロンドン五輪と2大会に出場し、ロンドン五輪では2種目で銅メダルを獲得したことは周知の通りです。
後編では寺川さんが現在の生活や思春期を迎えたお子さんとの向き合い方についてお話しいただきます。親は子の「夢中になって楽しむ力」を育むことが大切 競泳・五輪メダリスト寺川綾さんの子育てとは?後編へ続く>>
寺川綾さんプロフィール
1984年、大阪府大阪市生まれ。3歳から水泳を始、中学時代より頭角を現す。2001年、高校2年生で世界水泳選手権に初出場。その翌年、2002年パンパシフィック水泳に出場し、200m背泳ぎで銀メダルを獲得。以降、アテネ、ロンドン五輪2大会出場、福岡、上海、バルセロナ世界選手権3大会出場と国際大会で活躍。ロンドン五輪では個人種目(100m背泳ぎ)、リレー種目(4×100メドレー)の2種目で銅メダルを獲得した。50m背泳ぎ、100m背泳ぎの日本記録保持者。
2013年12月、現役を退くことを表明。現在、ミズノ㈱スイムチームコーチとして後進の指導及びスポーツの振興に尽くす。スポーツキャスターを始め、多方面で活躍。プライベートでは二児の母。
撮影/黒石あみ 取材・文/やまさきけいこ