目次
息子のひとことがきっかけで『えほん大賞』に応募
――この絵本『ぺんぎんゆうゆ よるのすいえいたいかい』が世に出るきっかけは、「えほん大賞」に自ら応募したことだったそうですね。
萩原智子さん(以下、萩原さん):そうなんです。小さい頃から絵本が好きで、いつか絵本を作りたいっていう夢があったんです。でも勇気もないしどうやったらいいのかもわからなくて。そんなある日、当時3年生だった息子に学校から帰るなり、「ママって夢、あるの?」と聞かれたんです。ドキッとしました。
実は、絵本を作りたいという夢のために、少しずつ書いていた文章もあったんです。でも、「絵本作家になるなんて無理だろう」と思い、何もアクションをしていませんでした。
息子のひとことをきっかけに、夢があるのにあきらめている自分がもどかしくなりました。年に2回、文芸社さんが開催する「えほん大賞」のことは前から知っていて、「応募しようかな」とちらりと思いながらもやり過ごしていました。大賞をとると賞金50万円がもらえて、作品を書籍化してくれるのです。今回こそ、と思い立ち、マネージャーにも事務所にも言わずに応募しました。
当時はペンギンが主人公ではなくて、人間が主人公の物語でした。
――結果はいかがでしたか?
萩原さん:落選でした。やっぱり世の中、そううまくいくものではないのだ、と思いました。ところが、ある日、なんと出版社のほうから「元オリンピック競泳選手の萩原智子さんですよね?」「応募原稿を元に、企画出版をさせていただきたい」とご連絡をいただきました。もう、びっくりしました。
息子のひとことのおかげです。それがなかったら応募締め切りをまたやり過ごしていたと思うんです。夢を実現することができました。
水族館で美しく泳ぐケープペンギンを見て「主人公」が決まった
――もとのお話は人間が主人公でしたが、それがペンギンになったのは……?
萩原さん:出版にあたって、キャラクターを立てたほうがいいということになって、サンシャイン水族館にご協力をいただき、取材へ。いろいろな魚や動物を見る中で、ケープペンギンがいたんです。絶滅危惧種なのですが、仲間たちと泳いでいる姿がとても美しくて、「これだ!」と思いました。まわりにいたバイカルアザラシ、コツメカワウソやモモイロペリカンなども、「この仲間たちはポイントになる!」と物語に登場してもらいました。
失敗した時にどう受け止めるか
――このお話は、ペンギンのゆうゆたちが夜の水族館で行われる年に1度の水泳大会に向けて、練習をがんばるお話です。勝ったり負けたり、友達に励まされたり。何か、競泳選手だった萩原さんご自身と重なる部分があるような……。
萩原さん:私自身、勝ったり負けたりどころか、「負けたり、負けたりの人生」というか(笑)、そんな自分でも一人の人間として、いつでもかわらないスタンスで受け入れてくれる人や環境があったからこそ、最後まで水泳をきらいにならず、胸を張って続けられました。それは水泳とかスポーツだけではなくて、いろんなジャンルでも言えることだと思います。
算数がものすごく得意で算数オリンピックでメダルをとった子が、次の年に思うような結果が出ないこともあります。でも、また次の大会を目指そうと思うことが尊い。もっと小さな日常のこと、たとえばお子さんが漢字のテストで100点を取りたい!と思ったときも同じですよね。
子どもであっても成功したり失敗したりします。そのときに周囲の人がどう受け止めてあげられるかが、とても大事だと思うんです。また、大人でも同様です。がんばってチャレンジして失敗したときに、周囲があたたかく包んで努力を認めてあげることが大事だと思っています。
オリンピック選手はいかにメンタルコントロ―ルができるかが重要
――オリンピック選手はとても過酷ですよね。メダルを期待されてプレッシャーを与えられ、いざ本番でメダルがとれないと、周囲が変わる、などということもありそうです。選手ご自身が「期待に応えられなかった」と苦しむこともあるのでは?
萩原さん:オリンピックやパラリンピックは4年ごとにやってきます。そのたった1日のために4年間を通じて体調や精神状態を合わせていくわけです。体調もメンタルも日々違いますし、どう対処するかが問題。つまり、いかに自分自身の心の波をなくすか、です。
「最後の最後に自分がどうしたいか考えなさい」と、コーチによく言われました。まわりからの期待に応えて「メダルをとらなければならない、表彰台に立たなければいけない」という義務感が強くなると、不安や恐怖が沸いてきて自分で自分の首を絞めます。「決勝に残りたい、ベストを出したい、オリンピックで金メダルをとるんだ!」という自分発の気持ちをどれだけ出せるか。「自分の意志でやる!」というメンタルに持っていかないといけない。メンタルが強い弱いと言われますが、つまりはいかに自分の心をコントロールできるかが鍵になります。メンタルが強いと言われる人は、メンタルコントロールができるということなんです。
シドニーでメダルをとれなかった自分に落ち込んで…
萩原さん:シドニーでは、「メダル候補」と言われましたが、自分自身のメンタルコントロールができず、私は4位。「国の税金使ってメダルひとつも取ってこれなくてどうするんだ」という批判も受けました。
――それはひどいですね……。
自分はそういう舞台で闘っていたんだなと、終わってから、ますますことの重大さに気づかされました。結果を出せなかった私から去っていく人もいました。4カ月くらい家から出ることができませんでした。
私の泳ぎを見て「水泳って楽しい」と思ってくれる人がいる!
――どのようにして立ち直ったのですか?
萩原さん:当時の関係者が、私あてに届いたお手紙の中から、好意的なものを選んで届けてくれました。
届けられた中に「60才のばーばより」という手紙がありました。その手紙は私に対する励ましや慰めなどはぜんぜん書いてなくて、「あなたの200メートルの背泳ぎがとても美しくて、私もスイミングスクールに入会しました。今泳いでいます。楽しいです、ありがとう」という内容だったのです。私はそれを読んで号泣しました。私の泳ぎを見て水泳を始めて、楽しいと思ってくださる方がいるんだ、それだけで私がオリンピックに出た意味があると思わせてくれたんです。
「メダルをとるという義務」を果たせなかった自分を責めてばかりいた私。水泳の楽しさを忘れて苦しさばかりを感じていたのです。「私もこの方のように泳ぐことを楽しもう」と初心に立ち返ることができました。
――まさに、『ぺんぎんゆうゆ…』で言いたかったことにつながりますね。
萩原さん:大きな挑戦で思うような結果が出なかったとき、ありのままの自分を受け止めるのは、苦しくてなかなかできない。でも受け止められなくて苦しいときに私を認めてくれる人たちがいて、徐々に自分の弱さをさらけ出すことができました。私は自分自身の弱さも認めることができて、前を向くことができました。本当にありがたいこと。私も相手を認めてあげられる人間でいたいし、そういう社会であってほしいですね。
ペンギンゆうゆ よるのすいえいたいかい
作:萩原智子 絵:うよ高山
ここは夜の水族館。今日はペンギンたちの水泳大会の日。ゆうゆは1位になったテンテンを見て、思いました。「かっこいい! ぼくもテンテンみたいになりたいな!」。そこで、毎日水泳の練習をはじめました。――2000年シドニー五輪競泳日本代表/スポーツアドバイザーの「ハギトモ」こと萩原智子が、自身の体験をもとに思いを込めて書く、水泳のコツもふんだんに注入した、かわいいペンギンが主人公の絵本。
(文芸社)1500円+税
お話を伺ったのは
1980年4月13日生まれ、山梨県出身。小学校2年の時、海で溺れたことがきっかけで水泳を始める。2000年のシドニーオリンピックに200メートル背泳ぎと200メートル個人メドレーで出場し、ともに決勝進出、入賞。2004年一度引退、2009年現役復帰、2010年日本代表に返り咲く。2012年ロンドンオリンピック選考会後2度目の引退。現在はスポーツアドバイザーとして、各スポーツ団体の役員等を務めるほか、メディア出演や講演活動等も行っている。山梨県・福島県・愛知県春日井市で萩原智子杯水泳大会を開催。水泳の普及をはじめ、水の大切さと感謝の想いを伝える「水ケーション」の活動にも注力している。10歳男児の母。
取材・文/三輪泉 撮影/五十嵐美弥