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スウェーデンがデジタルから紙の教科書に回帰
2023年8月。IT先進国のスウェーデンは、タブレットやパソコンを使った授業から、紙の教科書を使った授業に大きく方向転換を行いました。
このテーマについて、北欧5カ国(アイスランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド)の教育に関心を持つ多様なメンバーで構成された北欧教育研究会が、「教科書の未来を考える-北欧諸国の事例から-」という勉強会を開催。そこで語られたスウェーデンの教育現場に精通する先生方の話をQ&A形式でご紹介します。
今回、勉強会に参加された先生は、信州大学准教授・林 寛平先生、金沢大学学校教育系・本所 恵先生、そして津田塾大学学芸学部 国際関係学科・渡邊あや先生。みなさん現地に視察に出向くなど、熱心に活動されています。
※ここからは、北欧教育研究会の講演「教科書の未来を考える-北欧諸国の事例から-」から引用・構成しています。
Q.スウェーデンはどんな教育制度を取り入れていますか?
A.義務教育は10年間
信州大学准教授・林 寛平先生:義務教育期間は子どもが6歳になる年度から就学前学級に入り、その後は日本と同様小学校に6年間、中学校に3年間で計10年間。この間、基礎学校という同じ学校で過ごします。就学前学級は、昨今、早期就学を目指すために作られ、日本よりも1年長くなりました。
基礎学校ではスウェーデン語以外の母語を持つ生徒が28.9%と多く、先生たちも17%くらいがスウェーデン語以外の母語を話します。
Q.日本との違いはありますか?
A.先生たちに自由が与えられ、学校がすべてを決められる
林先生:スウェーデンの教育を考える際に欠かせないのが、基礎学校は日本の市町村に相当する基礎自治体コミューンが担っているという点です。日本は、全国どこの学校でも一定の水準が保てるよう、文部科学省が定めている教育指導要領に沿って授業が行われます。スウェーデンにも同じようにナショナル・カリキュラムがありますが、教え方は教員が比較的自由に決められます。
以前は、権力や官僚制により、国がクラスの人数や指導法まで細かく決めたことに従うしかなかったところを、反権力・脱集権化改革でこのような形になったことで先生たちに自由が与えられ、学校ですべて決められるように。
国の権限は地方に、地方の権限は学校に、学校の権限は先生に、先生の権限は子どもたちに、ということで、なるべく子どもに近いところでいろいろなことを決められるようになりました。
Q.そもそもなぜ、スウェーデンの教育現場はIT先進国になったのですか?
A.20年以上前に大規模プロジェクトでIT化
林先生:1999年~2002年にかけてITに関する大規模投資プロジェクトがありました。学校から選ばれた代表の先生にITの研修をして学校のホームページを作らせたり、参加者には1人1台のノートパソコンを贈与。学習用ウェブサイトのリンクを集約させたサイトを作るなど、ハード面、ソフト面で国を挙げて熱心に取り組みました。基礎学校に通う生徒へのパソコンも1人1台程度配備されています。
2011年の学習指導要領ではデジタル環境を整えることが重要事項に
金沢大学校教育系・本所 恵先生:2011年には、学習指導要領にデジタルコンピテンス(学習や仕事、社会といったあらゆる場面で情報社会技術(ICT)を十分に利用・活用するための能力について定義したもの)を大事にすることが明記されています。
各教科をまたいだ重要事項と記されていて、能力を育むだけでなく、学校のデジタル環境を整えることも社会全体として進めてきました。
デジタル技術を社会のなかでどう使うのか、社会がどう変わっていくのかというところまで、学校で考えたり、経験したりする姿勢があるという特徴があります。
Q.教科書についてはどうですか?
林先生:先ほど、先生たちに自由が与えられ、学校ですべて決められるようになったと言いましたが、それによって、以前あった教科書の検定制度も徐々になくなり、その教科書を選び、どう使うか、どう授業を進めるかも先生が専門的に判断すべきだろうという形になりました。
また教科書の自由化もされて、誰でも自由に教科書を発行してもいいことにもなりました。どれが教科書で、どれが教科書でないかも、学校がそれぞれ判断することに。教科書の選定は校長の権限ですが、ほとんどの場合は教員が選定しているそうです。
デジタル教材の普及率
林先生:教科書出版社団体による統計では、基礎学校と高校で購入した教材費が約120億円。そのうち32%が印刷物、純粋なデジタル教材が13%、両方が混ざったものが55%だったそう。
日本に比べてもデジタル端末は普及していて、環境が整い、先生たちもそれに慣れている状況でした。それが、その後の政策転換で状況が変わることになります。
Q.デジタル化・デジタル教材から紙の教科書に回帰することになったのはなぜ?
ここまで力を入れて進めていたデジタル化・デジタル教材の普及ですが、政府が政策転換をすることになります。そこにはどんな理由があったのでしょうか。先生方のお話を聞くと、理由は複数あるようです。
就学前の子どもにもデジタルデバイスを扱わせることに批判が集まった
本所先生:デジタル化がだんだん低年齢化し、就学前のプレスクールのナショナル・カリキュラムでもデジタルデバイスを使える環境を整えようと進められました。
WHO(世界保健機関)は小さい子どもに対するスクリーンタイムは、2歳未満の子どもならゼロ、未就学児は1日1時間程度と言っているのに、スウェーデンは小さい子に対してもデジタルデバイスを持たせるのか?相反しているのでは?という批判がありました。それがきっかけのひとつだったんではないかなと個人的には思います。
先生方の間で手で文字を書く重要性が語られた
本所先生:デジタル化が進むとキーボードを使うため、手でメモを取らなくなります。教師向けの新聞紙面では、手書きで文字を書く重要性を語る声が多く聞かれました。このように教科書を以外のところでも、デジタルが子どもの教育、社会生活にどう影響するのかを議論がありました。
デジタル教材では内容にばらつきがあり、学習格差が生まれる
林先生:いくつもあるデジタル教材やYouTubeで動画を視聴するなどの学習資料は、教科全体を見通した内容になっていないため、内容にばらつきが出てきます。それによって、どの教材を使うかで学校によっては学習に格差が生まれました。そういった状況を見て、「教科書があれば平等性が向上する」ということに至りました。
生徒の読解力が上がるとも考えられますし、教科書を通じて先生たちの能力も開発できるよね、とも考えたんです。自分で教材開発しなくても、全国の先生方の英知を集めた教科書があることで、一定程度の先生たちの能力を底上げすることができると。
学力の低下
林先生:学力が低下傾向にあることも問題に。これは学校のデジタル化というよりは社会問題で、個人のスマートフォンが原因と言われていますが、携帯電話の使用と学力低下の相関が強いとも言われ、学校の内外を含めてスマートフォンを使用するのを控えようと。学校では使用禁止にと言われるようになりました。
校長の方針によって学習に格差が生まれていた
これらの理由に加えて、スウェーデンではそもそも「教科書」に関する問題点も抱えていたようです。
林先生:2019年、「質の高い学習へのアクセスを保障するための政策」に関する調査委員会が設置されました。その理由は、校長によって学校図書館の本にお金を出さないところがあり、本に触れないまま学校を卒業してしまう子が増えたことがあります。
スウェーデンの学習はグループ学習が多いのが特徴。必要な資料が学校図書館にそろっているかどうかで、「テーマに沿ってみんなで調べてまとめる学習」に大きな差が出てきてしまったそうです。
また、日本と違って教科書は貸与のため、校長が学校の予算を教科書に使いたくない場合、教科書の冊数を減らしたり、ぼろぼろになっても買い換えなかったりする場合も。さらには企業や労働組合が無料で配っている半ば広告のような冊子を「教科書だ」と言い張って使うなど、やりたい放題となり、子どもたちが割を食う事態になった例もあるようです。

林先生:教師にとっても不都合がありました。スウェーデンでは、教員不足という問題を抱えている中で、教師が教科書を買ってもらえない学校に赴任した場合、いちいち教材を探してコピーをする負担がありました。
これらの混乱が多く起こったことから、法整備をして「これまであいまいだった教科書の役割をきっちり定義しましょう」と動き出しました。教科書の役割として学習の支援はもちろんのこと、平等性の向上という役割もあります。
紙の教科書があることで、家庭と学校で授業の進捗具合を共有できるほか、教師にとっても負担軽減になります。
デジタル要素の有無に関わらず印刷された学習教材が教科書に
そこで教育法が改正にされることになり、法案が2023年に可決成立し、教科書、学習教材、学習ツールが定義されました。
<改正された内容の抜粋>
- 教科書:デジタルな要素の有無にかかわらず、印刷された学習教材。
- 学習教材:授業での使用を目的とした全体あるいは部分的な印刷された、あるいはデジタルツールで、該当するコースプランや教科あるいは教科領域計画をカリキュラムに関連し、専門的な出版活動に従事する者によって出版されたもの。
これにより印刷されていないものは教科書とは呼べないことに。そこに二次元バーコードが記載されていて、ホームページに飛べるのは問題ないそうです。
出版を専門にしている業者が作ったものでないとダメですよ、と決まったことも大きいです。学校長は責任をもって提供しなければいけませんよ、ともあります。こういったことから「デジタルから紙への回帰」には今までスウェーデンが抱えていた問題点を解消しようとする政府の思惑もあったようです。
お隣の国・フィンランドの状況は?
スウェーデンの隣国で、同じように教育に注目されているフィンランドも同じような状況のよう。こちらは津田塾大学学芸学部 国際関係学科・渡邊あや先生が解説しました。
渡邊先生:フィンランドの教科書制度は、教科書検定はなく自由に発行できます。ただ使用義務もないので、教科書を使用するかどうかも自由です。法改正前のスウェーデン同様に「教科書ってなに?」と問われている状況かもしれません。
今まで、教科書は各家庭が自費で購入していましたが、2021年から義務教育が18歳まで延長されたことで、後期中等教育段階(高校等)の教科書が無償化になり、高校教科書のデジタル化が一気に進みました。
これは紙の本より安かったり、タブレットやPCと供給する形がとられたりしたためで、普及度は学校によって違うようです。
一方で2023年6月政権の施設方針により、子どもたちが学業に集中する環境を作るため、スマートフォンの学校での使用を制限する動きも。これには座りっぱなしはよくないから、休憩時間等に体を動かしましょうという側面もあるようです。
教科によってはデジタル教科書より紙の教科書のほうが適しているため、紙に戻すことを決めた自治体も。フィンランドでは紙かデジタルかというよりは、どちらがより適しているかで判断しています。
デジタル教材に頼りすぎず、アナログな勉強法も有効
現代社会ではデジタルデバイスが必要不可欠で、うまく使いこなすことも大事なことだと思います。ただ、一足先にデジタル教材に舵を切っていたスウェーデンの状況を見てみると、あまりに早くデジタルを取り入れたり、定義がなされないままデジタル教材に頼ったりすることは、子どもたちにデメリットもあるのだと感じました。
なかでも印象的だったのは、スウェーデンの教師向けの新聞紙面で、手書きで文字を書く重要性を語る声が多かったということ。デジタル教材にばかり頼るのではなく、手を動かして書くことも引き続き重要なことなのだと認識した勉強会となりました。
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記事協力/北欧教育研究会
文・構成/長南真理恵