「世銀」で働くママってどんな感じ?〝中高生時代は英語が苦手だった〟女性職員が海外で働くまでの経緯とは【英語を使ったお仕事レポート】

世界銀行(以下:世銀)って聞いたことがありますか? 世界中にあるのに支店も窓口もない不思議な銀行、「世銀(せぎん)」。今回は「世銀」で働く日本人ママに、現在のお仕事内容やお仕事をするきっかけなどのリアルなお話を聞きました。

 日本人ママ職員の日常は?

世銀は貧困削減や持続的成長を目的として、途上国政府に対し融資、技術協力、政策助言を提供する国際機関。世界189カ国(2025年7月現在)が共同で運営しています。

詳細については前回の記事もご覧ください。

今回は世銀で活躍する日本人女性にお話を伺いました。

お話を伺ったのは・・・

世界銀行 東アジア・太平洋地域局 上級社会開発専門官 大島かおりさん

アフリカ・ギニア共和国でプロジェクトスタッフと

現在はベトナム・ハノイ在住で、隣接する国々を担当

国境を接するベトナム・ラオス・ミャンマーを担当

――現在はどんな業務を担当されているんですか?

大島さん世銀は主に途上国にお金を貸し出すのですが、借りた国の政府は、そのお金を使って自国に必要なさまざまなプロジェクトを作り、実施していくんです。
私の主な業務は、社会開発セクターのプロジェクト作成や実施するためのサポートで、ベトナム、ラオス、ミャンマーを担当しています。

それぞれ予算を確保して、プロジェクトを実現するための条件や必要書類が決まっているので、期限までにそうした書類を用意したり、チームを集めて現地調査や相手国政府との交渉をしたりして、うまくプロジェクトが形成されるように準備していきます。
プロジェクトが承認されて実施期間に入ってからは、進捗状況を確認して、問題があれば原因を調べて政府をサポートしたり、年に3-4回ほどプロジェクトの現場に赴き当事者たちと話し合ったりします。

あと、世銀には知識や知見をシェアする“ナレッジバンク”という使命もあるので、研究機関の方や実務家たちと共同研究をしてレポートを作成・発表するという業務もあります。

ハノイのオフィスにてwebミーティング中

――内容だけを聞くとかなりハードなお仕事のように感じます

大島さん世銀は勤務形態に関してはスタッフに任されていて、比較的自由だと思います。
言い換えれば成果主義なので、成果物の質と期限さえ守っていれば、細かい勤務時間帯などは自分で管理を任されています。
家族のイベントには休暇も取れますし、昼休みの時間も特に決まっていないので、仕事の予定やその日の都合に合わせて好きな時間にランチもできます。
同僚が世界中にいるので、夜中にミーティングをすることもありますが、基本的には自由ですね。
細かいことにとらわれない働き方は自分に合っていると思います。

ラオスでの会議の様子(スピーカーが大島さん)

世銀を志したルーツとは?

意外にも英語が苦手だった中学・高校時代

――現在も海外でお仕事をされていますが、子どもの頃から英語は得意だったんですか?

大島さん いいえ、実は私は英語はキライで苦手だったんです。英語を使った仕事はおろか、留学や海外への憧れも一切ありませんでした。
そもそも私は日本生まれ日本育ちで帰国子女でもありません。子どもの頃から本が好きだったので、大学ではむしろ日本文学を専攻しようと思っていたぐらいです。
当時を知る友達には、いまだに私が海外に住み、英語を使って働いていることを不思議がられます(笑)。

――そんな国内志向の大島さんが、世銀でお仕事をされるきっかけは何だったんでしょうか?

大島さん大学1年生のとき、授業のコマを埋めるためになんとなく選択した「文化人類学」の授業が、日本の外に目を向けるひとつのきっかけになりました。世界にはこんなにいろんな民族がいて、こんな生活をしているのか! と衝撃を受けてしまって。

ちょっと知らない世界を見てみたい! という気持ちが日に日に高まってしまい、仕方なく英語も勉強して(笑)、大学4年生時にはニュージーランドに1年間留学しました。
英語力はまだまだでしたが、先住民族のマオリ文化について調べるなど、自分の興味があることばかりしていました。学生寮で生活したのも英語や多文化に触れるよい経験となり、当時できた親友のひとりは、昨年家族でハノイを訪ねてきてくれました。

大学卒業後は教育出版社で勤務してから、外務省が募集している「在外公館派遣員制度」に応募。アイルランドの日本大使館スタッフとして採用され、2年間勤務しました。

「世界を広げる10年にしよう」と決めた20代、来たものに乗っかってみた結果

――日本から一生出ないつもりだった高校生が、数年後にはアイルランドでお仕事とは驚きです!

大島さんそうなんです。そしてアイルランドで偶然国際協力機構(JICA)の方と会食する機会があり、今度は青年海外協力隊を勧められたんです。
一応、帰国後は日本で就活もしていたんですが、協力隊の説明会に行ったら面白そうだなと思ってしまい(笑)、応募しました。

――青年海外協力隊ではどんな国に行かれたんですか?

大島さん西アフリカのニジェール共和国という国です。当時最貧国のひとつで、名前も、どこにあるかも知らない国だったんですよ。しかも公用語はフランス語。活動拠点は首都から400キロほど離れた地方の町で、移動手段は主にバイク。中型のマニュアルバイクの免許が必須と言われ、慌てて教習所に通いました。

現地ではバイクで7つほどの村を回り、地方政府や住民たちと生活改善の取り組み、たとえば改良かまどや自然農薬作り、植林などをしていました。

――当時はまだ世銀のことはご存じなかったんですか?

細かい業務内容は知らなかったのですが、開発の仕事、特に政策づくりの面にも興味が出てきていたので、どうやら世銀には私のやりたいことがありそうだ、とは感じていました。
そして本格的に開発の仕事をするなら修士号が必要だとわかったので、帰国後はひとまず大学院に進学することにしました。
修了する頃に、ご縁をいただいてインターンシップ先に決まったのが世界銀行だったんです。本部のあるワシントンD.C.に5か月の予定で赴任しました。

インターンシップ中に運命の“ビラ”との出会い

大島さん世銀では、興味があれば誰でも参加できるイベントが毎日のように開催されているんです。ある日そんなイベントを通知するビラの中に「住民参加、コミュニティ開発」という一文を見つけまして、これだ! と。

――運命の出会いですね

大島さん参加してみたら、自分がまさにニジェールでも取り組んで、またいずれ携わりたいと思っていたようなことを真剣に話し合っている人がたくさんいたんです。インターンシップ先の部署ではもう少し違う研究をしていたので、「世銀ってこんなこともしてるんだ!」と感動してしまって、トイレに行く間もずっと参加者たちとしゃべっていたんですね(笑)。すると「そんなに好きなら」と後日改めて、担当部署の方が何人か会ってくださって。

そのうちのひとりから、「ちょうど今、人を募集しているから応募してみたら?」と声を掛けてもらって、幸運にも採用され、現在に至ります。

コンゴ共和国のプロジェクトサイトにて

大島さん採用後はワシントンD.C.の本部を拠点にアフリカを担当し、ニジェールにも戻ることができました。個人的には以前学んだローカル言語をまた話す機会ができてうれしかったですね。

同僚だった夫とは遠距離の関係を数年経た末、結婚。その後アメリカで長男を出産しました。
3年前に異動になり、現在は家族でハノイに住んでいます。

ベトナムの友人の結婚式にて 民族衣装アオザイでおめかしした家族ショット

自分の興味と「やってみたい!」を無視しないで1歩踏み出してみて

英語はツールでしかない

――英語が苦手だった大島さんは、どうやって英語を勉強されたんですか?

大島さん最初はラジオ英会話で勉強しました。テキストも書店で数百円で買えるので始めやすいと思います。それから私は本が好きなので、図書館で英語の推理小説やハリー・ポッターシリーズを借りて読んでいました。続きが気になるので頑張って読み進められましたね。

――現在は日本でも英語が小学校で必須となり、英語を身につけたい、将来役立てたい、と思うお子さんや保護者も多くなりましたが、どう感じられますか。

大島さん今、英語を使って仕事をしていて思うのは、英語はツールでしかない、ということ。
発音がいくら素晴らしくても、中身がない話や言いたいことが明確でない話は、誰も真剣に聞いてくれません。

日本人は発音や文法を気にする人も多く、間違いは恥ずかしいと思いがちです。
私もそうでしたが、実際世界で英語を話している大多数の人は実はネイティブスピーカーではないと気づくと、楽になりました。
カタカナ英語でも単語でもいいので、まずは言いたいことを言う、という姿勢が大切だと思います。

息子の幼稚園の文化紹介イベントで納豆を熱く語っているところ

大島さん最初は恥ずかしいかもしれないけれど、場数を踏んでいけば上達するし、自信もついてくるので、とにかく一生懸命話してみることですね。根気強く聞いてくれる友達ができるとさらによいかもしれません。
もちろん英語の勉強も大切ですが、とにかく伝えようとする気持ち、伝えたい内容があることが大切なのではないかと思います。

先のことは考えず、興味のあることにチャレンジして

――世銀の仕事に興味を持った読者に、メッセージがあればお願いします!

大島さん母となって思うのは、子どもたちには興味のあることにはどんどん挑戦してほしいということ。
好きなもの、興味があることには「将来役に立つのか?」と制限して考える前に、とりあえず目を向けて触れてみてほしいですね。
私の人生も我ながら行き当たりばったりですが(笑)、仕事に関しては、楽しくてわくわくすることをまずはたくさん経験して、あとは周囲のアドバイスや流れに身を任せてみるのもひとつの方法だと思います。

あとは日常生活で出会う違和感を大切にしてほしいです。
まだまだ日本では日本語で単一のコミュニティの中で過ごしがちですよね。
でも、たとえば食べ物や言葉や音楽でも、「自分とちょっと違う」と感じる文化や人たちに触れる機会があると思います。
万博やアフリカンフェスタ、地域の博物館、公民館などが主催しているイベントもあります。参加費無料のものも意外に多いんですよ。

たとえ最初の出会いで得た感情が違和感や否定的なものだったとしても、少し年齢をかさねたときに「あのときに見た・聞いたのはこういうことだったんだ!」「あの経験はもしかしてこうだったのかも?」とリアルな学びや、さらなる探求・行動につながると思います。

興味の種はたくさんまいておく

かけがえのない家族との時間

大島さん私の父は航空会社勤務だったので、世界中の寄港地から絵ハガキをたくさん送ってくれたんです。
今思えば、子どもの頃その絵ハガキを見ながら現地の様子を想像していたことも、その後の進路や仕事につながっているのかな? と思います。

いろいろな場面で種をまいておけば、そのときすぐに効果が出なくても、思わぬところで興味の芽が出て予想もしない花が咲くこともあります。
私もわが子には、今からいろんな種をまいていってあげたいと思っています。

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文・構成/kidamaiko

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