待ち時間の違い「すぐ診てもらえる」という思い込み
日本にいた頃、救急外来に行く流れはだいたい決まっていました。受付をして、すぐ横のソファで待つ。しばらくすると名前を呼ばれ、診察室へ。混んでいる日でも、長くて1時間くらいだった記憶があります。その感覚が、どこかで「救急外来=まあ待つけど、それなりに早く帰れる」という思い込みがありました。
フランスで救急外来に行ったのは、21時過ぎのことでした。長男をおんぶして歩いているときに転び、右ひじを強く打ってしまったのです。痛みで腕がほとんど動かず、立っているのもつらい状態でした。

タクシーで病院に着くと、まず受付をするための列に並ばなければなりませんでした。私は痛みで動けなかったので、近くの椅子に座り、家族が代わりに並んでくれました。
30分ほどしてようやく受付。そこから私だけが待合室に通され、家族は受付前のソファで待つことになりました。この時点で、私はまだ楽観的でした。「すぐ診てもらって、入院か、もしくは帰宅だろう」と。
診察室に呼ばれ、転んだ状況を説明します。 「じゃあレントゲンね」と言われ、紙のように薄い青いレントゲン用のTシャツを着せられました。
ところが、そのTシャツの背中の紐がきちんと結ばれておらず、ブラジャーが丸見えの状態に。恥ずかしいし、寒いな……と思っていると、看護師さんはにっこり笑って「じゃあ、待合室で待ってて!」と言いました。
そのまま、待合室へ。着ていた服やリュック、スマートフォンまで、すべてビニール袋に入れられ、「家族に渡しておくわね」と言われました。深く考えずにうなずいたのですが、この判断は実は大失敗でした。

待合室に通されたのは22時。すでに8人ほどが座っています。その光景を見た瞬間、嫌な予感がしました。「こんなに待っているの?」と。
フランスでは、待合室でも自然にあいさつが始まります。みんなで「ボンジュール」と言い合い、そこからはひたすら、呼ばれるのを待ちます。
22時半にレントゲンを撮り、その後また待合室へ。結果待ちの時間がとにかく長い。深夜1時になっても呼ばれず、近くにいたドクターに聞くと、「朝6時になるかもしれないし、5時かもしれない」と、あっさり言われました。
最終的にCT、処置を経て病院を出たのは朝4時頃。病院にいた時間は、約7時間でした。
日本での感覚のまま来てしまった私は、ここで初めて思い知らされました。フランスの救急外来は、「速さ」を期待する場所ではないのだ、と。
待合室の雰囲気の違い「知らない人」と時間をやり過ごす
待ち時間の長さ以上に、日本と大きく違うと感じたのが、待合室の雰囲気です。フランスの救急外来の待合室では、とにかく人がしゃべっています。その日、その場で初めて会った人同士です。
私が座った待合室には、8人ほどいました。「どうしてその怪我をしたの?」そんな一言から、自然に会話が始まります。「僕はコンバットをしていて、頭を切ったんだ」「私はどこも悪くないんだけど、おばあちゃんの付き添いなの。廊下にいるのが彼女よ」。
誰も呼ばれない時間が続くと、話題はどんどん広がっていきます。仕事のこと、住んでいる地域のこと、子どもがいるかどうか、何歳か、習い事は何をしているか。気づけば、病院を出る頃には、かなりお互いのことを知っている状態になっていました。

私はそのとき、スマホを家族に預けたままでした。何もできず、ただ座って待つしかない状況だったので、この会話は正直、とてもありがたかったです。
寒さに震えている私を見て、隣に座っていた女性が、私のレントゲン用Tシャツの背中の紐が外れていることに気づき、さっと結んでくれたこともありました。

フランスでは、こうしたことは珍しくありません。電車で隣に座った人と話す、同じ列に並んでいる人と話す。でも、それ以上でも以下でもなく、連絡先を交換することもほとんどありません。「その時間を、一緒にやり過ごす」それだけの関係。
日本の救急外来で、待合室の人とこんなふうに話した経験は、私にはありません。みんな静かに、できるだけ他人に迷惑をかけないように、スマホを見たり、目を伏せたりして、名前が呼ばれるのを待つ。「待つ」という時間の使い方は、国によって違うのでしょう。
患者への対応の違い「自分でできることは、自分で」

私が一番戸惑ったのは、ドクターや看護師さんの距離感でした。フランスの救急外来では、基本的に「自分でできることは、自分でやる」というスタンスです。着替えも、移動も、できるなら自分で。
私は右腕がほとんど上がらず、着替えるのも一苦労でしたが、看護師さんが手伝ってくれることはありませんでした。結局、待合室にいた女性に頼んで、トイレで着替えを手伝ってもらいました。
そのトイレは、正直あまりきれいとは言えず、紙も切れていました。手を拭く紙でみんな拭いていたようです。フランスは、街中もそうですが、とにかく不便。エレベーターがなかったり、道がガタガタだったり。だからこそ、「周りにいる人に助けてもらう」という前提で社会が回っているのだと思います。それは病院の中でも同じでした。

一方で、日本にいた頃を思い出すと、病院での対応はとても手厚かったと感じます。ドクターは丁寧に話を聞いてくれ、看護師さんは着替えや移動を自然に手伝ってくれました。院内は暖かく、トイレも清潔で、「守られている」感覚がありました。
もちろん、病院や状況による違いはあると思います。それでも今回の経験は、「もうできるだけ病院にはかかりたくないな」「怪我をしないように気をつけよう」と、身を引き締めるきっかけになりました。
日本の安心感と、フランスの自己責任。どちらも、その国で暮らす以上、受け入れていくしかありません。日本では「手厚く対応してもらえる」ことが前提で、フランスでは「自分で何とかする」ことが前提なのです。

夜の救急外来で、知らない人たちとおしゃべりをしながら寒さをしのぎ、助け合って朝を迎えた時間は、決して快適ではありませんでした。それでも強く記憶に残っているのは「人」に支えられていたからかもしれません。
日本にいたら経験しなかったであろう、不便で、少し心細くて、それでもどこか暖かい夜。フランスで暮らすというのは、こういうことなのだと思いながら、痛む腕を抱えて家路につきました。
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この記事を書いたのは
三菱UFJ銀行の法人営業、ユーザベースのセールス&マーケティングを経て独立。ビジネスやマネーの取材記事から、恋愛小説まで幅広く執筆。2025年よりフランスに拠点を移し、フランス企業の日本進出支援(ローカライズ)やフィクションの翻訳にも携わる。3児の母。
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写真・文/綾部まと