【数学オリンピック金メダリスト・数学者 中島さち子さん】「1+1=2」を疑う子こそ伸びる!「テストで点がとれるかどうかで数学力は測れない」

「算数は計算を早く正確に解くためのもの」と思っていませんか? 数学者でありジャズピアニスト、STEAM教育家でもある中島さち子さんは「実は答えが決まっている問題が苦手で文系志望だった」と話します。学生時代から100万回の失敗を楽しんでいたという中島さん。数学が持つ哲学的な面白さ、算数と芸術をつなぐ感性、そしてテストの点数に振り回されない親の向き合い方まで、たっぷり語っていただきました。

「1+1=2」を疑える子こそ、本当の算数力がある

――大人はつい、算数を「計算公式を覚えて正解を導く教科」と捉えてしまいます。算数を通した学びの本質とは何なのでしょうか?

中島さん:「1+1=2」に疑問を持つような子は「そんなの当たり前でしょ、早く計算しなさい」と怒られがちですが、私は逆に「1+1=2って本当?」と疑える子こそ、すばらしい算数力があると思っています。

――「1+1=2」を疑うというのは具体的にどういうことでしょうか?

中島さん:「1」って何だろう?「イコール(=)」って何をもって同じとみなしているんだろう? アリとアヒルが1匹ずついて、足したら「2匹の生き物」と言っていいのか? アリの細胞単位で考えたら「1」どころじゃないよね、などと考えることですね。

――なるほど、そう考えると奥が深いですね。

中島さん:これは、人間が世界を把握するために行っている、ものすごく深くて面白い「抽象化」の営みだと思いませんか。「本当にそうなのかな?」と疑うクリティカル・シンキングや、目の前にあるものの先入観を剥ぎ取って自由に世界を見る力。本来、数学はとても哲学的で自由なものです。テストで点がとれるかどうかだけで、その子の考える力や数学力なんて推し量れません。

何回失敗しても試行錯誤を楽しめることが探究の本質

――中島さんは高校時代に数学オリンピックで日本人女性初の金メダルを獲得され、東大理学部数学科をご卒業されていますが、幼少期はどのように算数に向き合っていたのでしょうか?

中島さん:私は、決まったアルゴリズムに従えば早く正確に答えが出るような問題をあまり面白いと思えなくて(笑)。答えがひとつに定まりきらない国語や社会の方が好きで、高校で文系か理系かを選ぶときも本気で文系にしようかと考えたほどでした。

――昔から計算が得意で算数や理系科目に夢中だったのかと思っていたので、とても意外な回答です。そこからどうして数学の道に進まれたんですか?

中島さん:大きなきっかけのひとつは、小学生のときでした。数学に詳しい叔父から「直角三角形の3つの辺にどんな関係があるか考えてごらん」と言われて、丸1日中、そのことばかり考えていたことがあったんです。

「辺の比率がこうかな? いや違うな」「足してみたらどうだろう?」って仮説を立てては、「あ、この三角形だと成り立たない」と自分で反例を作って失敗する。それを10回くらい繰り返して、結局その日は何の成果も出ませんでした。

――成果が出なかったことに、がっかりしませんでしたか?

中島さん:それが全然。むしろ「仮説を立てては失敗するなんて…なんだか私、数学者(研究者)っぽいかも!」って、すごく誇らしくなって。「できなかったから私はダメだ」とは全然思いませんでした。

――1日考え続けたこと自体が誇りになったんですね。

中島さん:そうなんです。世の中の発明家や研究者も同じですが、何か新しいものが生まれる瞬間はいいけれど、プロセスのほとんどは「ああでもない、こうでもない」という失敗の連続なんですよね。

高校生のときには、月刊誌『大学への数学』に載っていた、数学者ピーター・フランクルさんの「宿題」に夢中になりました。1か月間、一つの問題を考え続けたこともあります。そのときは、頭の中で何十万回と試行錯誤して失敗し続けるわけです。ありとあらゆる失敗を重ねるうちに、不思議と「本質を嗅ぎ取る力」のようなものがついてくる。

解答を投函しなければならない最終日、熱を出して寝込んでいる朝に、ふと答えがわかりました。解けたことはもちろんですが、何よりうれしかったのは「1か月間考え続けられた自分」への手応えでしたね。100万回失敗しても「何かがちょっと近づいてきたかも」と試行錯誤を楽しめること。それこそが、好きの原点であり、探究の本当の面白さなんだと思います。

――高校時代は文系に進むことも考えられていたとのことですが、最終的に大学受験で東京大学理学部数学科を選んだ決め手は何だったのでしょうか?

中島さん:高校までの数学や受験勉強って、割と効率よく「使える数学」を学んだり、制限時間内に答えを早く正確に求めたりするようなアプローチが多いですよね。でも、大学の数学はもっと自由で、「本当にそうなのかな?」といろんな角度から本質や真理を探究していく哲学的で深い面白さがあると思いました。

そうやって「一つの正解を早く出すためではなく、ものごとの本質をずっと自由に考え続けられる学問」としての数学にひかれて、東大の理学部数学科を選びました。

実は小・中学生のような柔らかい時期こそ、こういう大学レベルの自由で哲学的な数学の面白さに触れるのが向いているんじゃないかなと思っているくらいです。

母が教えてくれた「評価のための勉強はつまらない」

――テストでよい点を取ることよりも、「悩み続けるプロセス」そのものを面白がる中島さんの姿勢は、どこから生まれたのでしょう?

中島さん:母の存在も大きかったと思います。母は割とはっきり、「テストのためとか、何かに受かるための勉強はつまらない」と言っていました。まさにその通りで、順位や点数といった評価は、人を効率よく選抜するためにごく一部を切り取った「一次元の数直線」に過ぎません。それで人間の上下が決まるわけでも何でもありませんよね。

――一次元の数直線、ですか。

中島さん:一次元に落とし込むということは、多くの情報量をそぎ落とすということです。効率よく比較や評価はできるけれど、大事な面白さがそげ落ちてしまう。これからのAI時代、一次元の数値や評価で高得点を取るような処理は、AIがいくらでもできるようになります。でも、そこに本当の喜びがあるかというと、あまり面白くありませんよね。

――では、本当の喜びはどこにあるとお考えですか?

中島さん:誰からも評価されなくても、どうしてもやらざるを得ないような「好き」や、うまい・拙いを超えた多義的な面白さ。そっちの方にこそ、無限の可能性があると思います。

数学とアートの関係性。論理は自由を与えてくれる

――中島さんは数学者であると同時に、ジャズピアニストでもいらっしゃいます。一般的には「数学=論理」「アート=感情や感性」と真逆のように捉えられがちですが、中島さんの中ではどのように結びついているのでしょうか?

中島さん:創造性が生まれるとき、論理と感性、情緒は常に「往復」しています。例えば数学で、いくら理詰めで論理を組み立てても見えてこないとき、森を歩いたり音楽を聴いたりして感性や身体性を働かせると、ふっと新しい視点が得られることがあります。

――では、アートは感性だけで作られるものなんでしょうか?

中島さん:全然そんなことはありません。人間の感性や身体性というのは意外と、自分が生きてきた時代や環境のバイアスに無意識に縛られてしまうんです。

――そこに「論理」が必要になってくる、と。

中島さん:そうです。論理によって思考の枠組みを広げる。私は、「論理は人間に自由をくれるもの」だと思っています。

西洋的な論理とアフリカ的な身体性が組み合わさってジャズが生まれたように、論理で可能性をどこまでも広げて、それを何度も練習して身体に染み込ませ、最終的に言葉や頭を超えた「感性」へ落とし込む。論理と感性を行ったり来たりする中で、パン! と新しい創造性が生まれる。これは数学でも音楽でも、経営でも子育てでも同じだと思います。

――現代はデジタルやAIが身近になっていますが、身体や五感を使った実体験についてはどうお考えですか?

中島さん:デジタルデータって、画像や音声、文字に変換された時点で、ピクセル情報やスコアのように分割された情報に落とし込まれているんですよね。どんなにきれいな音で聴けるCDよりもレコードやライブ演奏の方が心に響くのは、空気感も含めてデジタルデータに落としきれていない圧倒的な情報量が存在するからです。モナリザの絵も、実物を見るとピクセルデータには変換できない何かがある。

人間は無数のセンサーを持っていて、匂いや手触り、風の感覚といった五感で世界とやり取りしています。AIと一緒にものを作っていく時代だからこそ、デジタルに落としきれない「人間が人間として感じる身体性や五感」を、子どもの頃にどれだけ体験できるかがすごく重要になります。

親は「正しい指導者」ではなく、ともに歩む「伴走者」

――家庭の中で、子どもが試行錯誤や挑戦を楽しめるようになるために、大人はどう関わればよいのでしょうか?

中島さん:いちばん大切なのは、大人が「正しさを教える指導者」になろうとせず、対等な「伴走者」になることです。

子どもって、「親にやらされている」「評価されている」と感じた瞬間にやる気を失ってしまうんです。子ども時代に、砂場で夢中になってお城を作っていたとき、親に「こうやったらもっとうまくできるんじゃない?」と評価軸を持ち込まれたら、途端に面白くなくなってしまうことって、ありましたよね。

――ご自身の子育てでも、そうした場面はあったのでしょうか?

中島さん:娘に向いていそうだなと思って「プログラミングをやってみたら?」と促したり、「そろそろ勉強したら?」と言ったりして、嫌がられたことはあります(笑)。数えるほどしかないと私自身は思っている(実際はもっとあるかも!?)のですが、いまだに娘はいくつかをしっかり覚えているようで。

それくらい子どもって、大人の「評価しよう」「導こう」とする気配に敏感なんだと思います。

――逆に、娘さんが夢中になっていた時間で印象的だったことはありますか?

中島さん:娘が家中をスライムだらけにしていろんな材料を加えて試して実験していたり、スライムの「ペチッ」という音をマイクで録音してASMR(音や映像などによって心地よさやリラックス感を得る感覚)を楽しんだりしていた時期があって。

――スライムの音を録音、ですか。それは何がきっかけだったんでしょう?

中島さん:本人がふと気づいたんだと思います。誰かに教えられたわけでもなく、触っているうちに「あ、この音、面白い」って。そういう気づきに、親が先回りして口を出さないようにはしていました。

娘は動物も大好きで、飼っていたハムスターの変化を毎日五感で観察していて、ちょっとした毛並みや動きの違いから病気にすぐ気づいたことも何度もあり…。

誰に言われたわけでもなく、本人が自分で選び取った、圧倒的ともいえる探究の時間。おそらくものすごい情報量を日々感知しているのだと思います。とにかく、自らの素直な「好き」の力ですよね。

大切なのは、親が子どもを一人の独立した対等な人間としてリスペクトすること。親も完璧ではない未熟な存在として、「これってどう思う?」「失敗したけど面白いね」と対話する。上下関係ではなく、人対人として向き合うことが、結果として子どもの自尊心と誇りを育むのだと思います。

全ての人が「科学者であり芸術家」。親子で無限の可能性を自由に楽しんで

――学校の成績や中学受験など、目先の評価軸に振り回されて苦しくなってしまう親子も少なくありません。

中島さん:どこの学校に入ったかとか、テストで何点取れたかというのは、人生のほんの表面的な切り口のひとつでしかありません。うまくいったら喜べばいいけれど、そこで人間の価値が決まるわけでは絶対にないんです。

これからの時代、学校のあり方も学び方も大きく変わっていきます。大切なのは、人から決められた目的に向かって効率よく突き進むことではなく、誰も正解を知らない問いに向かって、自分なりのペースで試行錯誤を重ねられることです。

全ての人が、自分だけの科学者であり、芸術家。教科書の一ページをめくったとき、学校の受験に出てくるほんの一ページであっても、人生を費やせるくらい面白い知の嵐が吹き荒れています。

ふと「これってなんでだろう?」と立ち止まる余白を持つこと。絶対テストには出ないけれど、自分にとってたまらなく面白い何かを見つけること。その知的な躍動感を、大人が子どもと一緒に面白がってみる。

評価という狭い枠組みから一歩外へ出て、世界の中に眠る無限の可能性を、親子で自由に楽しんでほしいなと思います。

お話を聞いたのは

中島さち子 ジャズピアニスト、数学研究者、STEAM教育者・メディアアーティスト

株式会社steAm代表取締役、東京大学大学院数理科学研究科特任研究員、大阪・関西万博テーマ事業プロデューサー。大阪府出身。高校2年時に日本人女性として初となる国際数学オリンピック(IMO)の金メダルを獲得。東京大学理学部数学科卒業後、フルブライターとしてニューヨーク大学ITP大学院(メディアアート)修了。2025年大阪・関西万博ではテーマ事業「いのちを高める」(学び・遊び・芸術・スポーツ)のプロデューサーを務める。2023年IMO実行委員、日米リーダーシッププログラムフェロー、内閣府STEM Girls Ambassadorのほか、経済産業省や文部科学省の教育変革に関わる委員会など要職多数。2027年ベオグラード万博(テーマは「人類にとっての遊び」)日本館PRアンバサダーも務める。

記事を書いたのは

黒澤真紀 ライター

愛媛県出身。大学時代まで自然豊かな愛媛で過ごし、都内の学習塾に勤務した後、2011年よりフリーライターへ。教育分野を中心に、医療やライフスタイルなどのテーマで執筆しています。息子たちが小学生の時に大学院を受験し、2019年、お茶の水女子大学大学院修士課程修了(社会科学修士)。子育てもひと段落。最近、俳句を始めました。

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