清水寺ってどんなお寺? 奈良時代から続く歴史やことわざの由来も。本当に飛び降りた人はいた?

京都の清水寺には、修学旅行などで訪れた思い出がある人も多いでしょう。迫力のある舞台は、ことわざや「今年の漢字」のニュースでも有名です。子どもに「清水寺ってどんなところ?」と聞かれても困らないよう、歴史や見どころをおさらいしましょう。

清水寺とは

「清水寺(きよみずでら)」は、観光スポットが集中する京都の中でも、特に有名な寺院です。人気の秘密は、どこにあるのでしょうか。まずは清水寺の歴史を簡単に見ていきましょう。

音羽山の中腹にある清水寺(京都市東山区)。右端の「本堂」は国宝、左端が三重塔。本堂の建築方法は、「懸造り(かけづくり)」と呼ばれる日本古来の伝統的な工法。舞台を支えているのは、樹齢400年以上のケヤキで、18本使われている。

1200年以上の歴史を持つ京都の寺院

清水寺は、京都の東部にある音羽山(おとわやま)の中腹にあり、今から1200年以上も前の778(宝亀9)年に創建されました。奈良の修行僧「賢心(けんしん)」が、この地で観音様の化身と出会い、霊場を託されたのが始まりです。

観音様の霊場である清水寺は、広く庶民に親しまれ、古い文献にも、多くの人々が参詣を楽しむ様子が記されています。約13万平方メートルの広大な境内には、国宝や重要文化財を含む30以上の建物が並んでいるのです。

古い歴史と貴重な建物を持つことから、1994(平成6)年には「古都京都の文化財」として、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。

参考:歴史 | 音羽山 清水寺

名前の由来は湧き水

清水寺の名前は、きれいな湧き水に由来します。賢心が奈良からはるばる音羽山までやってきたのは、夢の中で「北へ清泉を求めて行け」と告げられたためです。

お告げに従い、北へ向かった賢心は、音羽山で清らかな水が流れる滝を発見します。そこでは老仙人「行叡居士(ぎょうえいこじ)」が、草庵で修行をしていました。

行叡居士は賢心に霊木を授け、「千手観音像(せんじゅかんのんぞう)を彫刻してこの地を守ってほしい」と言い、姿を消します。行叡居士がお告げの主であり、観音様の化身だと悟った賢心は、居士の言うとおりにしました。

その後間もなく、武将「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」が鹿狩りにやってきます。賢心は田村麻呂に観音様の功徳(くどく)を説き、霊場での殺生(せっしょう)をいさめます。

賢心の教えに感銘を受けた田村麻呂は、本格的な寺院を建立し、清らかな滝の水にちなんで「清水寺」と名付けました。名前の由来となった「音羽の滝」は、現在でも清水寺の名所の一つとなっています。

「音羽の滝」。三筋に分かれて流れていて、古くは「金色水」「延命水」と呼ばれた。創建以来、全く枯れることなく流れている。ここは、柄杓(ひしゃく)で清水を汲み取ってご利益をいただけるパワースポットとなっている。

江戸時代の建築物が現存

清水寺にある建物の多くは、江戸時代の初期に建てられたものです。清水寺は創建以来、何度も火災に見舞われました。少なくとも9回は、全焼に近い損失があったと記録されています。

最後の大火災は、江戸時代初期の1629(寛永6)年に起こりました。このときの再建費用を負担したのが、3代目の将軍・徳川家光です。清水寺は、幕府の強力な支援の下、約4年の歳月をかけて見事に再建されたのです。

以降は、大きな火災に遭うこともなく、約400年前の建物がそのままの姿で残っています。

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「清水の舞台から飛び降りる」との関連性

清水寺といえば、「清水の舞台から飛び降りる」ということわざが有名です。「思い切って大きな決断を下す」という意味ですが、なぜ清水寺が登場するのでしょうか。ことわざ誕生の理由を見ていきましょう。

清水寺の「舞台」とは?

清水の舞台とは、本堂にあるベランダのようなスペースのことです。本堂の奥にいる観音様に、雅楽や能などの伝統芸能を奉納するために造られました。

「清水の舞台」。京都の街も一望できる。左手奥に見えるのは、文字通り「奥之院」。

 

切り立った崖の上に張り出す舞台からは京都の街が一望でき、観光客にも大変人気があります。現在と違って、高い建物がない時代には、高層建築の代名詞として全国的に知られていました。

そのような高い場所にある舞台から飛び降りるには、まさに決死の覚悟が必要です。昔の人が思い切ったことを実行するときの気持ちを、「清水の舞台から飛び降りる」と表現したくなったのも十分うなずけます。

実際に舞台から飛び降りた人はいる?

清水の舞台は、周囲に低い柵があるだけで、その気になれば簡単に飛び降りることが可能です。実際に、江戸時代には舞台から飛び降りる人がたくさんいました。

飛び降りの理由は「願掛け」です。舞台は地上から約13mと、4階建てのビルに相当する高さがあり、飛び降りたら命を落としかねません。

そこで、生きて帰れたら「願いが叶う」といった迷信が生まれ、広まっていったのです。当時は、舞台の下に木が生い茂り、飛び降りても助かる確率は高かったようですが、無茶な挑戦に変わりはありません。

清水の舞台を下から見たら…4階建てのビルから飛び降りるのは、やはり無謀。この壮大な建築は、柱をつなぎ合わせるための「貫(ぬき)」と、木材同士を巧みに組み合わせた「継手(つぎて)」と呼ばれる接合方法で柱が組まれている。釘は、1本も使われていない。現在の舞台は、1633(寛永10)年に再建され、現在に至る。

 

清水寺で見つかった記録によると、舞台から飛び降りた人は234人いて、そのうち34人が亡くなっています。1872(明治5)年に京都府が禁止令を出してから、飛び降りる人はいなくなりました。

参考:レファレンス協同データベース

清水寺に関する豆知識

清水寺は、昔も今も変わらず、話題の多いスポットです。現代の清水寺に関する豆知識を二つ紹介します。これらの豆知識を知っていると、観光の際にも、お寺を見る視点が変わるかもしれません。

平成に大規模改修工事があった

清水寺では、2008(平成20)年から「平成の大改修」と呼ばれる修復工事を実施しました。工期は11年、総予算は40億円といわれています。

国宝の本堂や、その他の重要文化財を順次改修する一大プロジェクトとして、メディアでも大きく取り上げられました。改修工事中に、存在を知られていなかった絵馬が見つかったり、当時の参拝客が隠したお札が出てきたりと、清水寺の歴史を書き換える出来事も起きています。

工事は無事に完了し、現在は、真新しい本堂の屋根や舞台が観光客の目を楽しませています。

桜や紅葉の名所でもある

山の中腹にある清水寺の境内は、豊かな自然の景観も自慢です。春は約1500本もの桜が咲き誇り、秋の終わりには約1000本のヤマモミジが見頃を迎えます。

清水寺では、それぞれの季節に夜の特別拝観期間を設けており、ライトアップによる幻想的な光景が楽しめます。特に、桜や紅葉の向こうに京都の夜景が見える、舞台からの眺めは圧巻です。

ライトアップされた紅葉の清水寺は必見。

 

また期間中は、寺から市内へ向けて、観音様の慈悲を表す一筋の光が放たれます。真っ直ぐに延びる青い光が夜空に吸い込まれていく様子は、この時期しか見られません。

清水寺は日本人に身近な存在

清水寺の本尊・観音様は、大変慈悲深い仏様として広く親しまれてきました。観音様の霊場として、1200年以上前に始まった清水寺は、9度の焼失のたびに再建され、その歴史を現在まで伝えています。

本堂の舞台が、ことわざに使われるほどの名物になったことからも、日本人の清水寺に対する愛着が感じ取れます。日本には、多くの神社仏閣がありますが、清水寺ほど身近な寺院は、ほかには存在しないかもしれません。機会があれば、家族で訪れてみるとよいでしょう。

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構成・文/HugKum編集部

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