和菓子には、季節や行事に合わせて四季を楽しむ日本人の心が表されています。「白い黄金」と称された貴重な砂糖をつかった和菓子は、まず、富裕層向けに京都で発達し、将軍のお膝元である江戸に広まりました。 文政元年に、江戸・九段に出府を果たした榮太樓總本鋪。およそ160年前に、現在の日本橋の地に店を構えて営業を続け、創業200年を迎えました。和菓子を庶民に届け続けてきた榮太樓總本鋪がお届けする「和菓子歳時記」。ふだんの暮らしで親しんできた和菓子にまつわるエピソードをお楽しみください。
目次
羊羹のルーツは中国。お菓子ではなく点心として伝わりました
和菓子の代表格の一つのように思われている「羊羹(ようかん)」ですが、意外にもそのルーツは中国大陸です。
それも汁物であったというから驚きです。「羊羹」の「羹」は、訓読みで「あつもの」と読み、とろみのある汁物のこと。中国では、「羊(ひつじ)」の肉やゼラチンをつかった汁物のことを指していました。
「前の失敗にこりて必要以上の用心をすること」をたとえた「羹(あつもの)に凝りて膾(なます)を吹く」ということわざがあります。これは、羹(肉や野菜を煮た熱い汁物)を食べたら、とても熱くて懲りたので、冷たい食べ物である膾(生肉の刺身)を食べる時にまで息を吹きかけて冷ましてから食べようとしてしまう様子を表しているのです。
日本へは、室町時代に禅僧が「点心」として伝えました。僧侶は肉食が禁じられていたがため、小豆や小麦粉で固めて食していたそうです。時代とともに姿を変え、江戸時代後期になると、寒天と餡を使った「煉羊羹(ねりようかん)」が和菓子として定着。庶民に広まりました。
羊羹の数え方知ってますか?
現在の羊羹には、「栗蒸し羊羹」に代表される小麦粉と餡を使った蒸し物の羊羹と、寒天と砂糖を溶かし、餡を加えた流し物の煉羊羹があります。
さて、羊羹には独特な数え方があるのですがご存知でしょうか?
流し物の煉羊羹は、「舟」と呼ばれる四角い箱に材料を流し入れ固め、棒状に切り分けて、昔は量り売りされていました。「舟」から切り分けたその形状から「棹(さお)」と呼ばれ、そのまま羊羹の数え方に用いられるようになったのです。ですから、竹の皮に包まれた棹羊羹は「1本、2本」ではなく、「ひと棹、ふた棹」と数えます。
手軽に楽しめる「ひとくち煉羊羹」は非常食や育脳おやつとしてもおすすめ
竹の皮に包まれたずしりと持ち重りのする煉羊羹は、格式のある和菓子として重宝されてきましたが、高価でもあり、近年、なかなか一般に親しまれる和菓子という存在から遠いものになってしまいました。量的にも現代の少人数の家庭でひと棹の羊羹を食べるのはなかなか無理がありますね。
ツルっと食べやすいアルミ包装は榮太樓が考案
そこで、榮太樓総本舗では、手軽においしく羊羹を味わっていただけるよう5年前に「ひとくち煉羊羹」を発売。押し出す量で一口大のコントロールができる手軽さが人気を呼び、年間300万本余りを売り上げています。
榮太楼の小豆、小倉羊羹は、北海道産の小豆を使用し、こくのある豊かな風味を存分に引き出しています。ちなみに、煉羊羹をツルっと取り出しやすいアルミ包装にしたは、榮太樓が先駆けです。お客様のご要望に応えて味も増やし、現在は7種を揃えています。
ひとくち煉羊羹で、脳にもエネルギー補給
煉羊羹は賞味期限が1年と日持ちがするため、「ひとくち煉羊羹」を非常食として常備しているという方も増えていますね。
また、塾に行くお子さんのバッグにいつも入れている、というお母さんがいらっしゃいます。血糖値の上昇を抑える食物繊維たっぷりの寒天と、糖質をエネルギーに変えるビタミンB1を含む小豆から作られた煉羊羹は「育脳おやつ」としても最適です。
低糖質、アミノ酸仕様…進化する羊羹
カロリーコントロールにも!低糖質ようかん
3年前に始めた美容とヘルスケアをテーマにした新ブランド「からだにえいたろう」では、「糖質をおさえたようかん」を発売。従来の煉羊羹に比べて糖質を49%カットしています。
アスリートも愛用「エナジーようかん」
ようかんに込めた伝統と進取の志
昔ながらの製法を今に伝える定番の棹羊羹から、手軽に食べられるひとくちタイプ、低糖質、エナジー補給と、時代と共に進化してきた和菓子「羊羹」。さまざまな生活のシーン別に楽しんでいただきたいですね
これからも、榮太楼は、伝統を守りながら、時代にかなった“あじわい”を追求していきます。
監修:榮太樓總本鋪(えいたろうそうほんぽ)の歴史は、代々菓子業を営んできた細田家の子孫徳兵衛が文政元年に江戸出府を果たしたことに始まります。最初は九段で「井筒屋」の屋号を掲げ菓子の製造販売をしておりました。が、やがて代が替わり、徳兵衛のひ孫に当たる栄太郎(のちに細田安兵衛を継承)が安政四年に現在の本店の地である日本橋に店舗を構えました。数年後、自身の幼名にちなみ、屋号を「榮太樓」と改号。アイデアマンであった栄太郎は代表菓子である金鍔の製造販売に加え、甘名納糖、梅ぼ志飴、玉だれなど今に続く菓子を創製し、今日の基盤を築きました。榮太樓ブランドサイト&榮太樓オンラインサイト
構成/HugKum編集部 イラスト/小春あや