和菓子には、季節や行事に合わせて四季を楽しむ日本人の心が表されています。「白い黄金」と称された貴重な砂糖をつかった和菓子は、まず、富裕層向けに京都で発達し、将軍のお膝元である江戸に広まりました。 文政元年に、江戸・九段に出府を果たした榮太樓總本鋪。およそ160年前に、現在の日本橋の地に店を構えて営業を続け、創業200年を迎えました。和菓子を庶民に届け続けてきた榮太樓總本鋪がお届けする「和菓子歳時記」。ふだんの暮らしで親しんできた和菓子にまつわるエピソードをお楽しみください。
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黒豆はおせち料理に欠かせない「三つ肴」のひとつ
お正月は、五穀豊穣を司る年神様をお迎えし、新年の幸福を授けていただく行事です。そして「おせち料理」は、元をただせば年神様に供える縁起ものの料理のこと。おせち(御節)は、「御節供(おせつく、おせちく)」の略称で、中国から伝わった五節句の行事からきており、江戸時代中期に一般に広がったとされています。
おせち(御節)料理の基本は、祝い肴三種(口取り、三つ肴)、煮しめ、酢の物、焼き物です。一つ一つに縁起の良い意味がありますが、黒豆はおせち料理には欠かせないもので、祝い肴三種(黒豆、数の子、田作り)のひとつとされています。
昔から「祝い肴と餅さえあれば、最低限のお正月のお祝いができる」と言われるほど、この祝い肴三種は「おせち料理」には必要不可欠なものです。ちなみに、祝い肴三種は、関東では黒豆・数の子・ごまめ(田作り)ですが、関西ではごまめではなくてたたきごぼうが一般的です。
おせちの基本である「祝い肴」の一つである黒豆。『まめ』はもともと、「健康」や「きまじめさ」を表し、黒豆には「一年中元気に働き、『まめ』に暮らせるように」という願いがこめられているのです。黒豆を食すことで無病息災につながるとされています。
黒豆の煮方にも意味があります。蜜煮「福ませ」は黒豆と花豆の2種
ちなみに、黒豆の煮方にも意味がこめられています。ふっくらとシワができないように煮た黒豆には、「シワがよらないように長生きができるように」という意味があるそう。
榮太樓では黒豆は自慢の北海道産黒豆大豆を使用。柔らかくそれでいて煮崩れさせずに黒豆を蜜で煮含めた蜜煮を縁起を込めて『福ませ』と名付けました。花豆の蜜煮もご用意しています。
栗は「勝ち栗」。年始めに食べることで勝負強い一年を祈ります
栗は「勝ち栗」とも言われ、江戸時代の武家社会では戦の勝機を高めるための縁起物として重宝されたという経緯があります。幸先の良い食べ物である栗を、一年の始まりの日にいただくことで「勝負強い一年でありますように」と縁起を担ぐことができます。
栗の甘煮を使って作る「栗きんとん」。きんとんは「金団」と書き、「金色の団子」もしくは「金色の布団」という意味があります。転じて金塊や金の小判などに例えられ、商売繁盛・金運・財運をもたらす料理として、正月のおせち料理の定番となりました。
榮太樓の「栗福ませ」で、絶品『栗きんとん』を作ってみませんか
「栗福ませ」は、素材の味そのままに、榮太樓の密煮の技術で煮含めました。「栗福ませ」を使って、簡単にできる「栗きんとん」の作り方をご紹介しましょう。ねっとりと粘り気が強い濃厚な甘さの栗きんとんは、おせちの定番料理であり子どもにも喜ばれる一品です。
大き目のさつまいも1本を、アルミホイルで巻き、180℃のオーブンで1時間ほどゆっくり焼き、熱いうちに皮をむいて中身をボウルに空けます。榮太樓の栗の蜜煮の蜜を掛けながらペースト状になるまで混ぜ合わせます。最後に栗を混ぜたら贅沢な「栗きんとん」の出来上がり。選りすぐりの栗が入った「栗きんとん」は、金運を祈るのにふさわしい贅沢な逸品です。
金柑は「金冠」。金運をあげてくれる縁起のいい果実です
金柑にはビタミンC、ビタミンE、などが多く含まれ、昔から風邪の予防や、のどの痛みや咳止めの民間薬として親しまれてきました。おせち料理としてはサブ的な食材かもしれませんが、やはり縁起のいい食べ物としてのいわれがあります。金柑は、「金冠」と掛けられていて黄金のような、まばゆい色と合間って富を象徴しています。また、名前の中に運を意味する「ん」が入っているので「金運」を上げてくれる食材とされています。
小さくてかわいらしい黄色の金柑を、栄太樓は、果皮の適度な食感と金柑ならではの程よい酸味を残しつつ丸ごとの実を甘露煮にしました。ツヤツヤと光り輝く宝石のような見た目は、おせち料理を華やかにし、柑橘系の爽やかな甘さがおせち料理の口直しにぴったりです。
『甘味 福ませ』で、縁起のいいハレの食卓を
それぞれの縁起の良さをもつ食材と「蜜を含ませる」煮方に縁起の良さを掛けて、榮太樓では4種の蜜煮を「福ませ」と命名。『甘味 福ませ』は、この時期定番の商品として人気を博しています。贈り物として、また、お正月の食卓を彩る一品として、お召し上がりいただければ幸いです。
監修:榮太樓總本鋪(えいたろうそうほんぽ)の歴史は、代々菓子業を営んできた細田家の子孫徳兵衛が文政元年に江戸出府を果たしたことに始まります。最初は九段で「井筒屋」の屋号を掲げ菓子の製造販売をしておりました。が、やがて代が替わり、徳兵衛のひ孫に当たる栄太郎(のちに細田安兵衛を継承)が安政四年に現在の本店の地である日本橋に店舗を構えました。数年後、自身の幼名にちなみ、屋号を「榮太樓」と改号。アイデアマンであった栄太郎は代表菓子である金鍔の製造販売に加え、甘名納糖、梅ぼ志飴、玉だれなど今に続く菓子を創製し、今日の基盤を築きました。
構成/HugKum編集部 イラスト/小春あや