「日本経済の父」と呼ばれた渋沢栄一も、若いころは尊王攘夷の思想をもった志士でした。その彼が、のちに政財界で活躍するまでには紆余曲折があります。なかでも彼にとって大きなターニングポイントとなったのが、尊王攘夷の志士から一転、幕臣として取り立てられたことでした。
渋沢栄一が幕臣となった経緯は?
攘夷思想の吹き荒れる幕末において、尊王攘夷の志士とは討幕をもくろむ側。その志士のひとりだった若き渋沢栄一が幕臣となるのは、180度の転身ともいえます。
栄一が幕臣となった経緯は、以下のどのようなものでしょうか。
1)徳川御三家の尾張徳川家に仕えることになった
2)徳川御三卿の一橋家に仕えることになった
3)幕府の学問所の講師としてつとめることになった
4)従妹が将軍の側室となり、幕臣としての肩書を与えられた
【正解】
2)徳川御三卿の一橋家に仕えることになった
尊王攘夷の志士として、高崎城の乗っ取りや横浜外国人居留地の襲撃を計画していた栄一でしたが、それらの目論見にやぶれた彼は京都に逃れます。
まんが/岩田やすてる シナリオ/香川まさひと 監修/老川慶喜
『学習まんが人物館 渋沢栄一』より
攘夷論者であった渋沢栄一が、幕府側の大名に仕える武士となっただけでも大きな転身でしたが、その栄一の仕えていた一橋家の当主がのちに15代将軍の徳川慶喜となったことから、結果的に将軍の知遇を得ることになります。
それがのちの彼の人生にとって、最初のステップアップであったことは言うまでもありません。
その後の渋沢栄一を知るために
「小学館版 学習まんが人物館 渋沢栄一」
渋沢栄一の波乱万丈の人生には多くのターニングポイントがちりばめられ、興味がつきません。伝記まんがの決定版「学習まんが人物館」で、渋沢栄一のその後を追ってみましょう。
生家の商いで商才を伸ばした後、尊王攘夷の志士時代を経て、徳川御三卿である一橋家に武士として仕えた栄一。その後の彼がいかに欧米の文化に触れ、それを日本の経済発展に活かすことになったのか。
まんがのストーリーにぐいぐい引き込まれながら、渋沢栄一の一生をたどることができます。
構成・文/HugKum編集部