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不登校の子に「問題がある」のではない
――井本先生の「いもいも」では不登校の子がきらきらとした笑顔で過ごしています。だから不登校に悩む団体や自治体などから相談を受けることが多いのでは?
自治体の教育委員会主催の研究会などにも呼ばれて行くこともありますね。不登校は増えるばかりなので、教育委員会も必死なんですよ。「この子たちを助けなきゃ」って。
でも、「助ける」ということは、この子たちは「何か問題がある」っていうことですよね。ここですでに、不登校の子は弱い人、劣った人という認識になる。
この子は弱いから不登校になる、何か変わらなければいけないことがある、と。でも、そうじゃない。この子はこのままでいいんだって受け入れられることで子どもはラクになり、学校にいられるようになるんです。
「発達障害かもしれない」なんて思いすぎなくていい!
――不登校になる要因の一つに発達障害で学校の環境に本人がなじみにくい場合があります。保護者の中には、不登校の要因がまったくわからず苦しいから、むしろ発達障害の名前がついているほうが納得できるというように追い詰められてしまう場合もあります。
おかあさんたちもキツいですよね。不登校については学校にも相談しずらい、友達のママにも相談しずらい。何か負い目があるんですよね。周囲からも「かわいそう」「大変」と思われがちですし。
でも、障害じゃないか、などと思いすぎなくていいと思うんです。個性だと思えば。僕の子ども時代なんて完全に「多動」でしたよ。でも、成長とともになんとかなってきた。
発達障害の子は、進学校にもすごく多いです。進学校だと、勉強もスポーツも友達関係も何もかもうまくいっている子を見て、発達に特性があると、親も子どもも心配になってしまう。進学校でなくても、平均より成績やスポーツが下っていうことで、なにか引け目を感じたりしますよね。でも「平均以上」を目指しすぎると、どこかでポキンと折れてしまう。大学生とか社会人になってから折れたら、立ち直れないじゃないですか。
だから早い時期からいろんな違う人の考え方だったり、文化だったりを知って、自分の価値観がうまく壊されていくといいと思います。なんにもない山の中でキャンプをしてみるのもいいですよね。
進学校でトップで突っ走って、迷いなく行くような子は、かえって怖いです。子育ても、迷いがないのは怖いですよ。むしろ、「悩むのは、順調」です。
あやまらないで! 不登校の子は親が心配するのが一番つらい
――実際、子どもが不登校になったらすごく悩みます。不安にもなります。そんなとき、子どもにどう接すればいいのでしょうか。
子どもは不登校になって何がつらい?って聞くと、親が自分に対して心配しているのが一番つらいって。
「いもいも」に来ている不登校のある女の子は、小学生の頃はすごくよくできる子で、教育の機会もたくさん保護者から与えられて。でもポキンと折れちゃったんだよね。で、そのおかあさん、えらくて、自分のやってきたことを反省して、娘に「ごめんなさい」ってあやまったんだそうです。そうしたら子どもが
「おかあさん、あやまらないで」
って。「今の自分がダメだからあやまる」ということになるから、と。
不登校の子は、自分に問題があると思ってる。下手すると、自分が出来損ないだって。親が心配すれば、なおさらそう思うんですよね……。
子どもがきらきらした笑顔を見せる瞬間があれば大丈夫!
――子どもにすまないと思う気持ち、でも子どもになんとか学校に行ってもらいたい気持ち……。子どもを自由にしてあげたいけれど、でも学校からは「学校は毎日来るもの」という感じで話をされます。親も自由になるのが難しい……。
本当にそのとおりですね。でもね、いいんですよ。悩んで子どもにぶつけても。親が完璧に子どものことをコントロールできてしまうほうが怖い。
子どもをコントロールしようと思っても、思春期になると子どもは親のスキをついて徹底的に反抗します。闘っても闘ってもますます反抗が強まるばかりで、それにつらくなってやっと子どもから離れることができる。反抗期って、子どもが親離れする期間のことではなくて、親が子離れできるようになる期間なんです。ほとんどの親はスキだらけなので、ちゃんと子離れできます(笑)。
保護者の方は、とにかく子どもがきらきらした笑顔を見せてくれればそれでいい、と思えばいい。子どもが笑顔でいることが一番大切なことだと思うんですよ。「いもいも」に来てる不登校のお子さんのお母さんたちは、そう言っています。
不登校の子を変えるのではなくて、大人が変わろう
「いもいも」が大切にしていることは、「その子のいいところを伸ばそう」ではありません。その「いいところ」という時点で、大人側の価値観が入っていますから。そうではなくて、「どの子に対しても、その子が持っているそのままを価値とする、愛しく思う」。スタッフが共有しているのはこれだけです。
「子どもを変えようとする」のが通常の教育であるのに対して、「いもいも」はそうじゃない。「どの子を見てもその子のままで愛しいと思えるように、大人側が変わろう」。これが「いもいも」でしていることです。
不登校の子どもたちが「いもいも」に来るのはそこかな、と思いますね。自分のことをそのまま認めてくれる。子どもを変えようとしない。
まわりの人の言うことより子どもの言うことを信じる
――「不登校の子どもをなんとかしよう」ではなくて、「そう思っている親が変わろう」ということなんですね。とはいえ、やはり「学校は行ったほうがいいんじゃない?」「行かないと勉強も遅れるし、あとで困るわよ」みたいなことも周囲から言われます。
でも、そういうのを蹴飛ばせるのも親だと思うんです。親だから不安はあるけれど、「うちの子が悪いわけじゃない。私はわかっている」と言えるのもまた、親だと思うんです。
勉強とか子育ては、「未来の準備」というふうになりがちです。この先困るかもしれないから勉強しておく、学校に行かないと社会から遅れてしまって将来大人になって困るから毎日行く。でも、未来なんて、どうなるかわからないでしょう。
「いい子育て」を考えるのはやめたほうがいい。すべてのお母さん経験者に、「子育ては思い通りに行きましたか?」と聞いたら、きっとほとんどの人は「ノー」です。これ、学校の先生もそうなんです。教育も子育ても、すべて大人が子どもを変えようとして、うまくいかないのを経験している。それなのに、「変えよう」とするのをやめられない。ほとんどの教育の問題はここにあると言っていいかもしれません。
そう、子育てはなかなかうまくいきません。でももうひとつ、子育てですべての親に共通しているのが、「子育てを通して自分が変われた」ということなんです。「自分が変われる」ことが子育てだとすれば、すべての親は「いい子育て」をしていると言えますね。
だからね、子育ての揺れ幅の中で苦しむっていうのはね、もう最高(笑)。順調です。
不登校の子に必要なのは、大人がニコニコ笑っていること
不登校の子の保護者は本当にすごい。「子どもが学校に行かないのはどういうことだろう」って、学校に毎日行っている子の保護者なら考えないようなことを、考えている。子どもが学校に行かないことに向き合って悩んで苦しんで、そして子どもの本当の価値、「この子がとにかく何よりも大事なんだ」という一点に向き合うようになります。苦しんで苦しんでその境地に達した姿はもう、本当に美しいですよ。しかも、それもまた「子どものおかげ」って言っている。すごいと思います。
「いもいも」は首都圏の郊外で「森の教室」を開いています。ここには、スケジュールも何もありません。ただひたすら、自然の中で遊び尽くす。そのことで、子どもたちは自由になり、自然や大人から受け入れられていると感じ、きらきらとした笑顔を見せるようになります。付き添いに来た大人たちも解放されて自由になる。
今、子どもたちに必要なことは、ただ大人がニコニコ笑ってそばにいることなんじゃないかと思います。それでお子さんはきっと大丈夫ですよ。
井本先生の教え「子どもを変えるのではなくて、大人が変わろう」
井本先生は終始、「いもいも」の子どもたち同様、きらきらとした目で子どもたちのことを語ってくださいました。授業では、数学の問題の解き方を教えるのではなく、子どもたちひとりひとりが「どう考えたらいいか」を、自分で学ぶことを支えています。
考える過程や答えを大事にし、正答でも誤答でも、「そう考えたか!」と賞賛し、誤答も「宝」と言って大喜びします。これをそのまま子育てにあてはめたら――。子どもを変えるのではなくて、大人が変わる。大人がきらきらしたら、子どももきっと、きらきらしてくると教えていただきました。
井本陽久(いもと・はるひさ)/ 栄光学園数学教師。花まる学習会にて『いもいも教室』を主宰。栄光学園中学高等学校、東京大学工学部卒業。長年、生徒と共に児童養護施設で学習ボランティアを続ける他、福島県飯舘村の飯舘中学校特別講座を定期的に開催。東京都西多摩郡檜原村では森や川で過ごし自ら考える力を育む「森の教室」も「いもいも」として主宰。その生き方と活動は、『いま、ここで輝く。』(おおたとしまさ著)、NHK総合『プロフェッショナル 仕事の流儀』(2020年1月放映)で詳しく紹介されている。
取材・文/三輪 泉 撮影/五十嵐美弥(インタビューカット)