埴輪は何のために作られた? 種類別の特徴や土偶との違いも解説【親子で歴史を学ぶ】

歴史の教科書に登場する、埴輪(はにわ)のユーモラスな表情やポーズに、興味を持つ子どもも多いでしょう。埴輪をきっかけに、日本史を学ぶ意欲が高まるかもしれません。埴輪の姿から分かることや土偶との違いなど、押さえておきたい基礎知識を解説します。

埴輪とは

「埴輪(はにわ)」について、子どもの頃に習った記憶はあっても、詳しく覚えている人は少ないかもしれません。埴輪が作られた時代や目的を確認しておきましょう。

古墳に並べられた土器

「埴輪」とは、3世紀後半~7世紀にかけて造られた「古墳(こふん)」から出土する、素焼きの土器のことです。

古墳は丘のように土を高く盛り上げた「墳丘(ふんきゅう)」を持つ大きなお墓で、豪族や王などの身分の高い人が埋葬される場所でした。

大阪府にある「大仙陵(だいせんりょう)古墳」など、全長486mもの大きな古墳もあります。段状の墳丘や堀を持つ古墳もあり、造るために大工事が行われたことがうかがえます。

大仙陵古墳(大阪府堺市)。百舌鳥(もず)古墳群の一つで、日本最大の前方後円墳。宮内庁により、仁徳天皇の陵墓に治定されている。アメリカのボストン美術館に古墳から出土したとされる銅鏡や太刀などが収蔵されている。1906(明治39)年に岡倉天心(おかくらてんしん)が京都で購入したものとされる。

 

埴輪は、こうした墳丘の上や周囲に、多数並べられていました。古墳に埴輪を置く目的は、盛り土の崩れ防止や死者の魂をしずめるためと考えられています。

古代日本の文化風習を知る貴重な資料

古墳や埴輪が作られた頃の日本では、文字が普及していませんでした。このため、古墳から見つかる埴輪や副葬品は、当時の様子を知る貴重な手がかりとなっています。

例えば、人の形をした埴輪からは、古代人の服装や髪型、職業などが分かります。家の形の埴輪を見れば、当時の住宅事情もイメージできるでしょう。

また、動物や人の埴輪は、葬儀のワンシーンを再現したものとされています。参加者の顔ぶれや持っている道具によって、葬儀の規模や内容を推測することができます。

国宝に指定された埴輪も

埴輪の中には、国宝に指定されたものもあります。最初に国宝となった埴輪は、群馬県太田市内の長良神社から出土した「武装男子立像」です。弓と剣を持ち、甲冑(かっちゅう)に身を固めた完全武装の姿が印象的です。

2020(令和2)年には、群馬県高崎市の「綿貫観音山(わたぬきかんのんやま)古墳」から出土したすべての埴輪と副葬品が、国宝に指定されました。なかでも一つの台に3人の子どもが乗っている「三人童女」は、ほかに例がない珍しい埴輪として注目を集めています。

古墳時代の現群馬県には、有力な豪族がたくさんいて、古墳に使用するために大量の埴輪を製造していたようです。このため、熟練の技術者が育ったと考えられ、ほかにも精巧な作りの埴輪がたくさん出土しています。

埴輪の種類

埴輪は、作られた時代によって、さまざまな種類が存在します。最初はシンプルな形状でしたが、次第に、人や動物を表す埴輪も作られるようになりました。

主な埴輪の種類と、それぞれの特徴を見ていきましょう。

円筒型のシンプルな埴輪

埴輪の中でも、最も早くから作られ、出土数も多いのが円筒型のシンプルな埴輪です。

横から見ると壺(つぼ)のようにも見えますが、底は作られておらず、胴体の部分に、丸や四角の透かし穴が空いています。

上の方にくびれがあり、口がラッパのように広がった「朝顔形円筒埴輪(あさがおがたえんとうはにわ)」と呼ばれるタイプもあります。

円筒埴輪は、墳丘を囲むように、列になって出土するケースがほとんどです。このため、聖域である古墳を周囲から区別する、結界(けっかい)や仕切りのような役割を持っていたと考えられています。

五色塚古墳(兵庫県神戸市垂水区)。ズラッと一列に並ぶ円筒埴輪の先に円墳があり、その上にも円筒埴輪が並ぶ。全長194mの前方後円墳で、兵庫県最大規模を誇る。4世紀末~5世紀初頭の築造と推定され、日本で最初の復元整理が行われた古墳。1657(明暦3)年の「摂津名所図会」にも載っている。

人や動物、家型の埴輪

円筒埴輪に対して、人や動物、家などをかたどった埴輪を「形象(けいしょう)埴輪」といいます。家や道具類は4世紀の中頃に、人や動物は5世紀後半頃から作られるようになりました。

武器や武具、位の高い人しか持てない特別な道具などの埴輪は、墓の主の権威を示すとともに、外敵から墓を守る役割を持っていたとされています。

動物の埴輪では、鳥・馬・猪・鹿・魚などの身近な動物のものが多く見つかっています。

特に目立つのが、装飾品を身に着けた馬の埴輪です。馬は高い財力や軍事力を象徴する動物として、大切に扱われていたのではないかと考えられます。

人物埴輪は、さらにバリエーションが豊富で、貴婦人から農夫まで、さまざまな階級の人が揃っています。

今城塚古墳(大阪府高槻市)。6世紀前半築造の前方後円墳で、全長190m。宮内庁の治定は受けていないが、「古事記」「日本書紀」などの資料から継体天皇の陵とされる。高槻市では史跡公園としての整備を目指し、1997(平成9)年以降発掘調査を続け、高さ170㎝の家形をはじめ、人物、馬、水鳥など113点を超える埴輪が出土した。2011(平成23)年から復元整備されて「今城塚古墳公園」として一般公開されている。

かわいいポーズや服装にも注目

人物埴輪では、ポーズや服装にも注目してみましょう。例えば、埼玉県熊谷市の「野原(のはら)古墳」から出土した二つの人物埴輪は、大きく口を開け両手を振る姿がユニークです。

埴輪「踊る人々」スケッチ画。現物は東京国立博物館が所蔵。

 

彼らは、葬儀の際に歌って踊る農民の男女と解釈され、「踊る人々」と呼ばれています。しかし近年は、馬の手綱(たづな)を取る男性2人組との説も出ています。踊るようなポーズの埴輪は、ほかにもたくさん見つかっており、本当は何をしていたのか、とても気になるポイントです。

服装や持ち物からは、人物の年齢や職業が想像できます。巫女(みこ)や力士・鷹匠などの埴輪も見つかっており、昔から多くの専門職があったことが分かります。

埴輪と土偶の違いも押さえよう

古代の日本では、「土偶(どぐう)」と呼ばれる人形も作られていました。「土偶」も「埴輪」も、大昔の人が作ったものですから、現代人にとっては違いが分かりにくいかもしれません。

両者の違いを、簡単に解説します。

土偶は縄文時代の素焼きの人形

「土偶」は、縄文時代に作られた素焼きの人形です。古墳のような特定の場所ではなく、日本全国の縄文時代の遺跡から広く出土しています。縄文時代は紀元前ですから、土偶は、埴輪よりもずっと古いことが分かります。

「埴輪」は、もともと円筒型のものから始まり、徐々に種類が増えていきますが、土偶は最初から生物の形をしているのが特徴です。

顔だけの平らなものから、手足がついた立体的なものまで、さまざまな形があり、人間の土偶には子どもや妊婦のほか、まるで宇宙人のような顔つきのものもあります。

JR東日本五能線(ごのうせん)木造(きづくり)駅の駅舎(青森県つがる市)。亀ヶ岡石器時代遺跡から出土した「遮光器土偶」を貼り付けた駅舎の外壁で人気。地元では「シャコちゃん」と呼ばれている。竹下登総理大臣の発案による「ふるさと創生事業」(1988~89)の一環として造られた。

埴輪とは利用目的が異なる

土偶が、何のために作られたのかについては、分かっていません。しかし、乳房があったり、お腹(なか)が大きかったりと、女性・妊婦をかたどったものが多いことから、安産や豊作を祈るための道具だったとの説が有力です。

また、ほとんどの土偶に、手足や腹部などを意図的に破壊してから埋めた形跡があります。魔除けや再生のおまじないとして、わざと壊して埋めていたのかもしれません。

いずれにしても、土偶には埴輪のような「墓を守る」ための用途はなかったといえるでしょう。

埴輪を通して、古代の日本に思いをはせよう

埴輪は文字がなかった時代の社会の様子を、現在に伝えてくれる貴重な史料です。動物や人物の埴輪は、当時の儀式を再現しているとされています。今にも踊り出しそうな人や、武装した人の埴輪を見ていると、はるか昔の暮らしのワンシーンが浮かび上がってくるようです。

どんな身分の人なのか、何をしているところなのかなど、子どもと一緒に想像しながら、じっくりと観察してみましょう。

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構成・文/HugKum編集部

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