子どもの頃に邪馬台国(やまたいこく)について習った記憶があっても、詳細を聞かれるとうまく答えられない人もいるでしょう。国があったと考えられている場所や、卑弥呼(ひみこ)がどんな人物だったのかを紹介します。子どもに説明できれば、日本の歴史に興味が湧くかもしれません。
そもそも邪馬台国って何?
邪馬台国とは何なのか。まずは、基礎知識から見ていきましょう。
中国の歴史書に登場する日本の国
邪馬台国は、弥生時代に日本列島にあったとされる国のことです。しかし、日本に存在する歴史書には一切書かれていません。中国の歴史書「三国志」の一部である「魏志(ぎし)」に、邪馬台国についての記述があったのです。いわゆる「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」です。
そこには、「倭(わ)」と呼ばれていた頃の、日本の社会、風習、卑弥呼と魏との外交などについて触れられています。当時の日本では激しい勢力争いが起きており、卑弥呼が国を治めたことで争いが終わったとも書かれていました。
邪馬台国はどこにあった?
今でも判明していないのが、邪馬台国が存在していた場所です。有力なのは3カ所です。それぞれの説について解説します。
九州説
九州説が有力だとされる理由は、佐賀県にある周囲が堀で囲まれた集落「吉野ヶ里(よしのがり)遺跡」があることです。堀の外側が約2.5kmで、弥生時代の遺跡の中では群を抜いて大きいとされています。
魏志倭人伝には、邪馬台国の都は周囲が城柵で厳重に包囲されており、宮室・居所・楼観(ろうかん)が存在するという記述が残っています。その描写に吉野ヶ里遺跡が一致しているのです。
吉野ヶ里遺跡は国の特別史跡に指定されており、遺跡から出土したガラス製の管玉(くだたま)や有柄細形銅剣(ゆうへいほそがたどうけん)などは重要文化財に指定されています。
畿内説
奈良県にある縦2km、横1.5kmの巨大な「纏向(まきむく)遺跡」があることを理由に、邪馬台国が畿内にあったとする説もあります。遺跡からは、弥生時代に作られた土器が多数出土しているためです。
出土した土器が畿内の土器とは異なる特徴を持っていることが分かり、住民の多くが移住してきたことが判明しました。このことも、畿内説が有力とされる理由です。
近年の調査により、大規模な建築物の跡も発見されました。三つの建物が一直線に並んでいることから、大型の祭殿跡と考えられており、巫女(みこ)である卑弥呼との関連をうかがわせます。
もう一つの理由は、巨大な「箸墓(はしはか)古墳」の存在です。卑弥呼が亡くなったとされる時期と同時期につくられており、全長約280mという弥生時代最大級の大きさであることから、畿内が当時の政治の中心であったと考えられています。被葬者は高貴な姫であり、この埋葬された女性=卑弥呼の墓だとする学者も少なくありません。
四国説
魏志倭人伝には、卑弥呼が魏の皇帝に山で採取された鉱物である辰砂(しんしゃ)を贈ったと記されています。四国説を唱える人は、徳島県の「若杉山遺跡」がその辰砂の採掘場所と考えています。徳島以外でも辰砂が採れる地域はありますが、どれも規模が小さく鉱山とは言い難いのです。
遺跡から弥生時代の特徴を持つ土器が見つかったことも、魏に贈られた辰砂を採取していた可能性が高まった理由といえます。
また、日本神話においては淡路島(あわじしま)に続いて2番目にできたのが四国なのです。四つの顔を持つといわれた四国の中で、阿波(あわ)と伊予(いよ)は女の顔を持つ国とされていました。女の顔を持つ徳島が卑弥呼と関係していると考える人もいます。
さらに、卑弥呼の後継者である「壹與(いよ)」が伊予と同じ発音であることも、偶然ではないと考える人もいるようです。
銅鏡の大量出土が決め手に?
銅鏡が大量出土したことが決め手になるとする学説もあります。あくまでも学説の一つという位置づけですが、どのような説なのでしょうか?
魏の皇帝から与えられた100枚の鏡
魏志倭人伝には、魏の皇帝が卑弥呼に100枚の鏡を贈ったことが記されています。一部の学者は、京都の「椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳」で発掘された「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」が、魏志倭人伝にある鏡ではないかと考えているのです。
三角縁神獣鏡は三角形の縁(ふち)と神像や神獣がデザインされているのが特徴で、関東から九州にかけて広く出土しています。その中には、魏で使われていた年号が彫られているものがありました。
しかしながら、中国では三角縁神獣鏡が一切出土していないのです。椿井大塚山古墳がつくられた時期も、邪馬台国が繁栄していた時期とズレていることなどから、決め手となる証拠に欠けているとされています。
参考:三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)(天理参考館)
邪馬台国の女王・卑弥呼はどんな人物?
邪馬台国も興味深いけれど、その国を治めた卑弥呼も気になるという人もいるでしょう。卑弥呼とは、一体どのような女王だったのでしょうか?
シャーマンのような存在
魏志倭人伝には、卑弥呼について書かれた箇所があります。それによると、卑弥呼は独身で年齢が高く、鬼道(きどう)によって国を統治していたそうです。
鬼道がどのようなものか詳しいことは不明ですが、霊能力と似たものだと考えるのが一般的で、卑弥呼はシャーマンのような存在だったのでしょう。一国の王というより、宗教儀式を執り行う祭主という立場に近かったのかもしれません。
魏志倭人伝の記述では、「卑弥呼には1,000人の世話役がいたものの、一人の男性(弟とされる)だけが出入りを許されていた」とも記されています。その男性が食事を運んだり、卑弥呼の言葉を伝えたりしていました。このような生活をしていたため、女王になってから卑弥呼の姿を見た人は少なかったようです。
多くは謎に包まれたまま
そもそも、魏志倭人伝は2,000字程度の記述しかありませんし、卑弥呼についても詳しく述べられていません。「古事記」や「日本書紀」にも卑弥呼は登場しないため、多くは謎に包まれたままです。
どこで生まれたのか、どうして女王に選ばれたのか、どのような政治をしていたのかなど、全て不明です。
謎が多いことでさまざまな憶測が生まれ、なかには「天照大神(あまてらすおおみかみ)=卑弥呼」とする説もあります。独身の巫女、弟がいた、日本最古の女性統治者など、共通点が多いというのがその理由です。
邪馬台国について本で学ぶ
卑弥呼の魅力や生涯と歴史的な役割について学べる本をご紹介します。
小学生向けのおすすめ本
目にやさしい紙を使いふりがな付きで読みやすく、小学校入学と同時に楽しめます。コラムページもふんだんにあり、楽しく読んでいくうちに歴史の事実にどんどん詳しくなります。
弥生時代~古墳時代が舞台の歴史ドラマが楽しめます。巨大古墳をめぐる大きな争いに巻き込まれたタイムドリフターを、コナンは救えるのか。コナンの物語を追いながら歴史を学べる1冊です。
大人向けおすすめ本
大人の方には、興味深い説を紹介する以下の2冊をおすすめします。
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分からないからこそ面白い邪馬台国
日本の古代史を学ぶ上で欠かせない存在の邪馬台国ですが、現在も多くの謎に包まれています。
女王・卑弥呼がどのような人物だったのか、邪馬台国がどこにあったのかなど、分からないからこそ夢があって面白いのかもしれません。
構成/Hugukum編集部