「朝廷」の意味を簡単に解説
「朝廷」という言葉には、どのような意味があるのでしょうか。朝廷の誕生から終焉までの流れもあわせて見ていきましょう。
天皇を中心とした政治を行う場所
「朝廷」とは、君主が政治について、臣下に尋ねる場所のことです。朝廷の「朝」は政治、「廷」は庭を意味します。
古代の日本では、天皇を中心として皇族や公家が集まり、政治を取りしきる仕組みができあがりました。この仕組みや、実際に、天皇がいる御所(ごしょ)を「朝廷」と呼んでいます。
朝廷が誕生したのは、いつ?
日本で、朝廷が誕生したのは、3~4世紀ごろといわれていますが、はっきりとは分かっていません。
「神武天皇(じんむてんのう)」が初代天皇となって以来(「日本書紀」に基づく計算によると、即位日は西暦紀元前660年2月11日)、天皇家を中心にした政治を司る組織が作られていったようです。
第21代の「雄略(ゆうりゃく)天皇」のころ(5世紀後半)、朝鮮の「百済(くだら)」から多くの技術者が渡来したのをきっかけに、「官僚組織」が形成され、本格的な朝廷が始まったという説もあります。
古代に誕生した朝廷は、1885(明治18)年に、明治政府が「内閣制度」を成立させるまで続きました。
朝廷を語るうえで欠かせない人々
朝廷の歴史は、天皇家と、天皇に仕える公家の歴史でもあります。朝廷を語るうえで欠かせない人々を紹介します。
後醍醐天皇と足利尊氏
朝廷が、実際に政治を取り仕切っていたのは、平安時代までです。
鎌倉に幕府が開かれてから、江戸幕府が倒れるまで、政治の実権は武家の手中にあり、天皇が政権を握るチャンスは、ほとんどありませんでした。
唯一、第96代の「後醍醐(ごだいご)天皇」だけが、1333(元弘3)年に鎌倉幕府を倒して政権を取り戻します。後醍醐天皇に協力したのは足利尊氏(あしかがたかうじ)をはじめ、北条氏に反発していた武士たちでした。
後醍醐天皇は倒幕後、「建武(けんむ)の新政」と呼ばれる、天皇と公家中心の政治を始めます。
しかし、現実にそぐわない古びた政策が多く、武士の不満を招くことになったのです。1335(建武2)年、足利尊氏は天皇に不満を持つ武士を率いて、鎌倉で反乱を起こし、翌36年に、京で新しい天皇を即位させて、自らは征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となりました。
負けた後醍醐天皇は、奈良の吉野(よしの)に逃れ、もう一つの朝廷を作ります。同じ国の中に、朝廷が二つ存在した「南北朝(なんぼくちょう)時代」の始まりです。
後醍醐天皇の「南朝」は、彼の死後も続き、3代将軍・足利義満(よしみつ)の代に、ようやく終わりました。
朝廷に仕える公家とは?
「公家(くげ)」は、元々、天皇や朝廷を表す言葉でしたが、後に、朝廷に仕える役人を指すようになりました。鎌倉時代以降は、幕府に仕える武家に対し、朝廷に仕える人々全般を公家と呼んでいます。
公家は、位階(いかい)や役職によって、「公卿(くぎょう)」「貴族」「その他」にランク分けされます。最もランクが高いのは、三位(さんみ)以上の位階を持つ「公卿」です。
また、位階が四位(しい)でも、「参議(さんぎ)」と呼ばれる官職の人は、公卿になれました。なお、公卿を含めた、五位(ごい)以上の位階を持つ人々を「貴族」と呼びます。
「幕府」についても知っておこう
朝廷と幕府は、お互いに深い関係を保ちながら、日本の歴史を作ってきました。幕府は朝廷にとって、どのような存在だったのでしょうか。
朝廷と幕府の違い
「幕府」は、武家のトップである征夷大将軍を中心に、武士が政治を取りしきる仕組みや、将軍の居場所を指す言葉です。
武士は元来、政治に参加できない立場でしたが、平安時代の末期に、平氏や源氏といった有力な武家が台頭し、朝廷に深く関わるようになります。
朝廷で起こった政権闘争が武家を巻き込んで、平氏対源氏の戦いへと発展しました。ついには「源頼朝(みなもとのよりとも)」がライバルの平氏を倒して征夷大将軍となり(1192)、日本初の武家政権・鎌倉幕府を樹立します(1185)。
武家政権は室町幕府、江戸幕府へと引き継がれ、最後の将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が「大政奉還(たいせいほうかん)」(1867)を行うまで続きました。
幕府に政権が移った経緯
朝廷から幕府へと政権が移るきっかけを作ったのは、平安時代末期の武士「平清盛(たいらのきよもり)」です。
清盛は、貴族ではありませんでしたが、卓越した政治手腕によって今の総理大臣に匹敵する「太政大臣(だいじょうだいじん)」にまで出世します。
権力者となった清盛は、一族の者を重用し、平氏主導の政治を始めました。清盛の専横は、他の公家や武家の反発を招き、ついに反乱が起こります。反乱の筆頭となったのが、かつて清盛に命を助けられた源頼朝でした。
平氏を滅ぼした頼朝は、朝廷とは別の政府として、鎌倉に幕府を開き、政治の実権を握ります。
朝廷は鎌倉幕府を「朝敵(ちょうてき)」とみなし、政権を取り戻すべく戦いますが、失敗に終わり、逆に力を失ってしまいます。以後は、建武の新政を除いて、朝廷が政治を行うことはありませんでした。
その後の朝廷の役割
政権が移行すれば、前の政権は滅びるのが世の常です。しかし日本では、朝廷は滅びることなく、長く権威を保っていました。
その大きな理由が「天皇」の存在です。
武家のトップの証(あかし)である征夷大将軍も、天皇に任命されて、初めて就任できる役職でした。天皇が認めることで、将軍としての存在価値が世間に認められ、国を統治できたのです。
天皇には他にも、年号の制定や官位の授与といった、将軍にはできない大切な役割がありました。
そのため、政治の実権を失ったとはいえ、天皇のいる朝廷は、幕府にとっても国民にとっても、なくてはならないものでした。幕府は朝廷を重んじ、朝廷もまた、幕府の力を借りながら連綿と続いたのです。
天皇が政権を握った朝廷
朝廷は天皇が中心となって、政治を司る場所でした。もし武家に政権を奪われずに天皇が政治を続けていたら、日本は、どのような国になっていたのでしょうか。
日本の政治を動かした朝廷について、子どもと一緒に想像を巡らせれば、より歴史を楽しめるかもしれません。
さらに深く学びたい人のための参考図書
小学館版 学習まんが はじめての日本の歴史3「朝廷と摂関政治」
全15巻の新・日本史学習まんがシリーズ。この巻で扱うのは、400年にわたり栄える平安京をつくった桓武天皇の時代から、摂関政治で権勢を誇った藤原氏の時代までです。長岡京、平安京、と二度も新しい都をつくろうとした桓武天皇の目的や、藤原道長ら藤原氏の栄華、平将門の乱、藤原純友の乱など地方武士の反乱の経緯などから、「朝廷」が政治の舞台だった時代のドラマを追うことができます。
小学館版 少年少女学習まんが 日本の歴史1「日本の誕生」
映画「ビリギャル」にも登場した中・高・大学受験におすすめの学習まんがシリーズです。第1巻-日本の誕生では、旧石器時代から邪馬台国の出現まで、日本の夜明けを描写。その後の「朝廷」の礎となる古代国家の成り立ちと統治の様子がわかりやすく描かれています。
ポプラ社 コミック版日本の歴史32「室町人物伝 後醍醐天皇」
日本史上異例の天皇執政を意図した「建武の新政」で知られる後醍醐天皇。鎌倉幕府に戦いを挑んだ波乱に満ちた生涯は、「朝廷」と「幕府」の二極の権利構造と、その体制が内包する潜在的な問題を考察することができます。カリスマティックな人物として知られる後醍醐天皇の伝記を、コミック版として楽しめる一冊です。
吉川弘文館 読みなおす日本史「後醍醐天皇と建武政権」
横暴不徳の為政者なのか、正統な政権を希求した聖王なのか――歴史的評価の揺れ動く後醍醐天皇の実体に迫る大人向け本格歴史本。後醍醐天皇の政策と行動から、建武の新政で彼が目指したもの、またそれが三年で潰えた原因を、国内や東アジア世界の動向も視野に入れて考察する一冊です。
構成・文/HugKum編集部