平治の乱とは? 起こった背景や間違いやすい保元の乱などを解説【親子で歴史を学ぶ】

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平治(へいじ)の乱」は、武士が政治の実権をにぎるきっかけとなった、有名な内乱です。日本史の授業でも「保元(ほうげん)の乱」と合わせて必ず登場します。二つの乱が起こった理由から収束までの流れを、人間関係や時代背景を交えながら紹介していきます。

平治の乱とは?

平治の乱は、いつ、どこで起きた事件なのでしょうか。時代と主な関係者について、簡単に解説します。

1159年に京都で起きた内乱

平治の乱は、平安時代末期の平治元年(1159)12月に、京都で起こりました。きっかけは、3年前の保元元年(1156)に起こった保元の乱です。

どちらの乱にも、当時、勢いを増しつつあった武家「平氏」と「源氏」が関わっています。天皇の後継者争いが発端となった保元の乱では、平氏も源氏も同じ一族同士で、敵味方に分かれて戦いました。

勝者側についていた平清盛(たいらのきよもり)と源義朝(みなもとのよしとも)は名を上げ、重用されるようになります。しかし、清盛と義朝は、やがて対立し、武家同士が争う平治の乱につながっていくのです。

平清盛の銅像(広島県廿日市市宮島)。清盛が本社本殿・拝殿を造営させた厳島神社は、平家一門の繁栄とともに、平氏の氏神となった。

平治の乱が起こった背景

保元の乱や平治の乱が起こった背景には、当時の政治情勢が大きく影響しています。平安時代の政治のあり方や、公家(くげ)と武家との関係を見ていきましょう。

朝廷の後継争い

平安時代後期、藤原(ふじわら)氏の勢力が衰えた後の政治の実権は、天皇自身がにぎっていました。天皇は、基本的に直系の子どもに位を譲りますが、子どもが生まれなかったり、若くして亡くなったりしてしまうと、天皇のきょうだいや親戚が後継者に選ばれます。

天皇になれば、政治を動かせるのはもちろん、全国の荘園(しょうえん)と呼ばれる土地から莫大な富を得られたため、当時の朝廷では、天皇の後継者をめぐる争いが頻繁に起こっていました。

そのなかで、まだ幼い自分の子どもに皇位を譲り、自身は「上皇(じょうこう)」として政治に携わる「院政(いんせい)」を敷く天皇が現れます。最初に院政を敷いたのは、1086年(応徳3)に上皇となった白河(しらかわ)天皇でした。

白河上皇は、早めに子どもを即位させて跡継ぎ争いを避けると同時に、天皇の後見という名目で、政治の実権をにぎります。しかしその院政が、天皇を退いた人でも、再び政権を掌握できる前例となってしまいました。

その影響は、白河上皇の孫・鳥羽(とば)天皇が崩御した際に現れます。院政を行おうとした上皇と、即位したばかりの新天皇が対立し、保元の乱が起こったのです。

きっかけとなった保元の乱

保元の乱は、崇徳(すとく)上皇後白河(ごしらかわ)天皇の対立がもとで起こった戦乱です。

崇徳天皇の時代、父親の鳥羽上皇は、崇徳天皇の異母弟・近衛(このえ)天皇を皇位につけたくなり、崇徳天皇をだまして譲位させてしまいます。

一度は、政治から遠ざけられた崇徳上皇でしたが、若くして近衛天皇が亡くなったのを機に、自分の子を天皇にして院政を敷こうと目論みます。

しかし、それよりも早く、もう一人の弟・後白河天皇が即位してしまいました。2人の争いは武力闘争に発展し、兵力として、平氏や源氏の武士が駆り出されました。

争いは後白河天皇の勝利で終わり、活躍した武士は、世間の注目を集めて、政治の表舞台に登場することになります。

源義朝と平清盛が対立

保元の乱で後白河天皇に味方し、世に出た武士が源義朝と平清盛です。しかし、恩賞の内容に大きな差があったため、冷遇された義朝は不満を募らせます。

さらに乱の後、後白河天皇の側近・信西(しんぜい)が、清盛をひいきするようになりました。信西や天皇の信頼を得て、どんどん栄えていく平氏に比べ、源氏の扱いは低いままです。

不満が頂点に達した義朝は、信西をよく思わない公家と結託して、信西を倒す計画を立てます。清盛が京都を離れた隙に、義朝一派が信西の居所を襲撃し、平治の乱が始まりました。

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平治の乱の概要をわかりやすく解説

不意打ちの形で始まった戦乱は、清盛の勝利で幕を閉じます。信西や義朝は、その後、どうなったのでしょうか。平治の乱の概要を見ていきましょう。

平治の乱が起きた場所

平治の乱の舞台は、「三条東殿(さんじょうひがしどの)」と呼ばれる院御所(いんごしょ)と、清盛の館があった「六波羅(ろくはら)」です。義朝一派は、まず信西らがいた三条東殿を襲って、後白河上皇と二条天皇(後白河上皇の子)を拉致(らち)し、火を放ちます。

信西は危険を察知して脱出しましたが、逃れられないと観念して自害しました。事件を知った清盛は、外出先からすぐに京都に引き返し、幽閉されていた上皇と天皇を救出します。

その後、清盛は二条天皇を六波羅の屋敷に移し、天皇に味方する貴族や武家を集めて、義朝討伐の策を練りました。

蓮華王院本堂三十三間堂(京都市東山区)。院政を行っていた後白河上皇が、清盛の協力を得て、御所として1165年(長寛3)に造営した。1249年(建長元)に焼失するが、後嵯峨上皇によって再建された。

源義朝の敗北

信西を倒して、一度は優位に立った義朝ですが、清盛の政治力には及ばず、六波羅の戦闘で惨敗します。共謀した相手は処刑され、義朝も敗走中に部下の裏切りによって殺されてしまいました。

義朝の息子たちも、命の危機にさらされます。長男と次男は平治の乱で亡くなっていましたが、三男の頼朝(よりとも)は逃亡中に捕まって、六波羅に連行されます。頼朝は嫡子(ちゃくし)だったこともあり、殺されて当然の運命でした。

しかし、清盛の義理の母・池禅尼(いけのぜんに)が助命を願ったために、伊豆(いず)に流されるだけで済みます。残りの兄弟も、他で匿(かくま)われたり、寺に預けられたりしました。そのうちの1人は、後に源義経(よしつね)と名乗り、兄の頼朝とともに平氏を滅亡させました。

池禅尼の塚・供養塔(愛知県知多郡美浜町野間大坊)。池禅尼は平忠盛の正室・宗子で、清盛にとっては継母である。忠盛の死後、池禅尼と呼ばれた。断食して、頼朝の助命を嘆願したといわれている。

乱に勝利した平氏が政治の実権をにぎる

保元の乱、平治の乱で武士の力を目の当たりにした朝廷は、何事も武家に頼るようになりました。源氏を追い出した清盛は、武家の筆頭として勢力を拡大し、ついに太政(だいじょう)大臣に就任します。

太政大臣は、当時の政治体制では最高位の役職です。政治の実権をにぎった清盛は、娘を天皇の后(きさき)にするなどして朝廷に深く入り込み、一族を繁栄に導きます。清盛の権勢の大きさは「平家にあらずんば人にあらず」といわれたほどでした。

源氏と平氏が争った平治の乱

平治の乱は、保元の乱で世に出た武家の2大勢力、源氏と平氏の争いでした。平治の乱で、ライバルの源氏を追い落とした平氏は、天皇や貴族に代わって政治を牛耳るまでに出世します。

平氏滅亡後、源頼朝が開いた鎌倉幕府によって、政権は完全に武家に移ります。平治の乱がなければ、江戸時代まで続く武家政権はなかったかもしれません。

武力によって台頭し、貴族社会に切り込んでいった勇ましい武士の姿を想像しながら、歴史の不思議さを楽しみましょう。

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時代背景をもっと深く知りたい方のために

この頃の時代背景や歴史的経緯をさらに深く知りたい方のために、参考図書をご紹介します。

小学館版少年少女学習まんが 日本の歴史 「源平の戦い 増補版」


平安時代の末期の貴族中心から武士中心への時代の移り変わりを漫画でわかりやすく描きます。平氏が栄えていく過程から源平合戦まで、多彩な人物の活躍や重要な事件を通して解説しています。

逆説の日本史5 中世動乱編 「源氏勝利の奇蹟の謎」


ベストセラーとなった「逆説の日本史」の文庫版。シリーズの第5巻は、平氏を打ち破って源氏が台頭していく鎌倉幕府樹立までの道程を扱います。源平合戦ではなく「源源合戦」、そして「平家物語」や「義経伝説」の虚妄など、歴史の教科書で語られなかった、知的興奮に満ちた鎌倉幕府観が考察されています。

日本史探偵コナン6 「鎌倉時代 五条大橋の相棒」


大人気の歴史学習まんがジャンルの中でも、全12巻ともっともコンパクトにまとまったシリーズ。小学校入学と同時に日本の歴史にチャレンジできる内容です。鎌倉時代を概観したい大人が読んでもわかりやすく、新たな発見があるかもしれません。

小学館版学習まんが はじめての日本の歴史4 「貴族と武士」


全15巻の新・日本史学習まんがシリーズ。この4巻で扱うのは、日本独自の国風文化が成長していった平安時代中期から、後白河法皇が院政をしいた後、平氏や源氏らの武士集団が台頭していった平安時代末期までの時代です。

「院政」というしくみは、どうやって発生したのか?  平家はなぜ栄華を極められたのか?  鎌倉幕府を開く源頼朝の弟・義経が迎える悲しい最期とは?  等々、この時代に興味がわくエピソードが満載です。

構成・文/HugKum編集部

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