「一円を笑う者は一円に泣く」は大阪人が考えた標語だった!【知って得する日本語ウンチク塾】

国語辞典編集者歴37年。日本語のエキスパートが教える知ってるようで知らなかった言葉のウンチクをお伝えします。

ことわざではなかった「一円を笑う者は一円に泣く」

ひょっとすると、「一円」ではなく「一銭」ではないか、と思った方もいらっしゃるかもしれませんね。元祖は「一銭」で、通貨の変遷から「一円」としても広まったと思われます。ただ「一銭」にしろ「一円」にしろ、意味は変わりません。金銭は小額でも粗末にしてはならないという戒めです。

 この「一円を笑う者は一円に泣く」って、本当は“ことわざ”ではないのです。

実は国が募集した標語だった!考えたのは大阪市民

実はこれ、大正8年(1919年)に、当時の逓信(ていしん)省為替貯金局が公募した、貯蓄奨励のための標語の入選作だったのです。逓信省はかつて通信・交通運輸を総括した中央官庁です。

その二等に選ばれたのが、大阪の朝田喜代松さんが作ったこの「一銭を笑うものは一銭位に泣け」だったのです。それが、今でもことわざのように使われているというわけです。

このとき二等になった標語はもう一つあります。「現金は痩せ貯金は太る」というものです。また、一等は、「貯金は誰も出来るご奉公」です。

二作ともいかにも時代を感じさせるものですが、これにくらべて「一銭を笑う者は一銭に泣く」は、「貯蓄奨励」という枠を超えた、秀逸で普遍的な標語だったと思いませんか。これのみ後世に残った理由もうなずけます。

標語の背景にインフレ招いた「米騒動」

このような標語の公募が行われた時代背景を、少しだけ説明しておきます。

前年の191811月にドイツの降伏により第一次世界大戦が終結しました。日本では、この1918年に米価が高騰して、富山県魚津に端を発して全国民運動にまで波及した「米騒動」が起こったのです。第一次世界大戦中のインフレが一段と進み、さらにシベリア出兵を決定したことから、地主、米商人が投機を計って米を売惜しみ、買占めをしたことが騒動の主な原因でした。政府としても国民に貯蓄奨励を訴えなければならなかったのです。

元々は「一銭」だったわけですが、今では「一円」にしてもいいような気がします。その方が、ことわざのように扱われることになったこの秀逸な標語が、いつまでも生き続けるだろうと思うからです。

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神永(かみなが・さとる)
辞書編集者、エッセイスト。元小学館辞書編集部編集長。長年、辞典編集に携わり、辞書に関する著作、「日本語」「言葉の使い方」などの講演も多い。著書『悩ましい国語辞典』(時事通信社/角川ソフィア文庫)『さらに悩ましい国語辞典』(時事通信社)、『微妙におかしな日本語』『辞書編集、三十七年』(いずれも草思社)、『一生ものの語彙力』(ナツメ社)。監修に『こどもたちと楽しむ 知れば知るほどお相撲ことば』(ベースボール・マガジン社)。NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる』にも、日本語のエキスパートとして登場。新刊の『辞典編集者が選ぶ 美しい日本語101』(時事通信社)が好評発売中。

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