松山城はなぜ難攻不落? 歴史や特徴など、見どころを総チェック!

松山城は、愛媛県を代表する観光名所の一つです。どのような歴史や特徴があるのでしょうか? 主な見どころについても紹介します。実際に松山城を訪れる前に歴史や構造の知識を深めておくと、より楽しく思い出に残る観光になるでしょう。

松山城とは

「松山城(まつやまじょう)」のことは知っていても、誰が、いつ、どこに築いたのか、歴史を知らない人もいるのではないでしょうか。どのような城なのか、概要や歴史を紹介します。

松山市の中心部にそびえ立つ

松山城は、愛媛県松山市の中心部にあります。標高約132mある勝山(かつやま)の山頂に築かれており、ふもとからは徒歩・ロープウェイ・リフトで行くことが可能です。

多数の門・櫓(やぐら)・堀が備わっているだけでなく、狭間(はざま)・石落とし・高石垣なども巧妙に配置されており、攻守に優れた城です。

日本で12カ所しか残っていない「現存12天守」の一つであり、2006(平成18)年には「日本100名城」に選ばれました。2007(平成19)年には、道後(どうご)温泉とあわせて「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれています。

松山城(愛媛県松山市)。現存12天守のうち、唯一、親藩松平家によって建築された。21棟の国の重要文化財を有し、山頂に本丸(写真中央奥)、裾野に二の丸(現史跡庭園)、三の丸(現堀之内公園)が広がる平山城。4つの登城道とロープウェイ・リフトが利用できる。

松山城の歴史

松山城を築いたのは、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の家臣であった加藤嘉明(よしあき・よしあきら)です。嘉明は柴田勝家(しばたかついえ)との「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」で活躍し、「七本槍」の一人として有名になった人物です。秀吉の死後は、徳川家康の家臣として関ヶ原の戦いで功績をあげ、20万石を有する大名になりました。

1602(慶長7)年に、家臣の足立重信(あだちしげのぶ)に命じて松山城の建築に着手し、1603(慶長8)年に住まいを移し松山城と名付けました。その後も建築が続けられ、完成したのは約25年後だったといわれています。

松山城は、過去に何度か落雷や火災によって一部が焼失する事態に見舞われています。1966(昭和41)年には大規模な復元工事が開始され、現在の姿になりました。

松山城の特徴

松山城には、どのような特徴があるのでしょうか?  特徴を知ることで、時代背景や加藤嘉明がどのような城を目指していたのかが分かるでしょう。

複数の防衛線を張った難攻不落なつくり

松山城の大きな特徴は、難攻不落なつくりであることです。本丸と二の丸の間の「登り石垣(のぼりいしがき)」や高石垣を各所に築くなど、防衛力を高めていました。

三層三階地下一階の「層塔型天守」は、「小天守」や「付属櫓(ふぞくやぐら)」とつながった連立式で、二の丸と三の丸を監視できるつくりになっています。

嘉明が、難攻不落の城を築けた理由は、城攻めの経験が豊富だったことが挙げられます。また嘉明は、朝鮮出兵時に朝鮮南部に築城された「安骨浦城(あんごるぽじょう)」を拠点としていました。安骨浦城に用いられていた登り石垣などの防備手法を、松山城にも取り入れたと考えられています。

松山城の見どころ

松山城には、多くの見どころがありますが、なかでも外せないスポットをピックアップして紹介します。見逃して後悔しないように、事前に確認しておきましょう。

重要文化財の「天守」

1854(安政元)年に再建が完了した天守は、国の重要文化財に指定されています。三重三階地下一階の「層塔型天守」で、江戸時代に築かれた最後の完全なる城郭建築です。

また、瓦(かわら)などに「葵(あおい)の御紋」が見られるのは、現存12天守の中で松山城だけなので見逃さないようにしましょう。小天守や隅櫓(すみやぐら)と渡櫓(わたりやぐら)で結ばれた「連立式天守」を備えているのも見どころの一つです。

標高約132mの勝山山頂に立つ本丸から、さらに約30m高い位置にある天守からは、パノラマの絶景を望むことができます。天候がよければ、西日本で最も高い石鎚山(いしづちやま)や瀬戸内海の島々も見られます。

全国的にも珍しい「石垣」

天守と二の丸をつなぐ、全長230m以上もの「登り石垣」は、山腹からの侵入者を阻止する目的で築かれました。現存12天守の中では、松山城と彦根(ひこね)城のみに見られる全国的にも珍しいものです。

そのほかにも高さ14m以上の屛風(びょうぶ)折りの石垣や、扇状の曲線を描く石垣もあります。防備目的で築かれた石垣ですが、芸術的な魅力もあるので、じっくり観賞するのもよいでしょう。

松山城「登り石垣」。ふもとの二の丸と山頂の天守を、山の斜面を登る2つの石垣で連結させている。秀吉の朝鮮出兵の際、朝鮮半島の倭城の防備を固めるために用いられた石垣普請である。彦根城より長く、全長230m以上はある。城の南側にほぼ完璧な形で残っている。

なお、石垣は近世城郭の大きな特徴の一つで、中部地方より西の地域に壮大な石垣を持つ城が多く残されています。

敵の足を止める「一ノ門・一ノ門南櫓」

「一ノ門」と「一ノ門南櫓」は、いずれも重要文化財に指定されているため見逃さないようにしましょう。一ノ門は天守に通じる門であったため、防衛力を高めるために上方からの攻撃が可能な高麗(こうらい)門になっています。

松山城・一ノ門

一ノ門と二ノ門の間は、天守・一ノ門南櫓・二ノ門南櫓・三ノ門南櫓の4方向から攻撃し敵を足止めできるように、四角い空間になっています。

その他の重要文化財

防備のためにつくられた櫓の中で、重要文化財に指定されているのが、本丸の北にある「野原櫓(のはらやぐら)」です。天守の原形といわれ、日本に現存する唯一の「望楼型(ぼうろうがた)二重櫓」になっています。

石垣の陰に隠された「隠門(かくれもん)」は、敵の目が筒井門に向いている間に隠門から出て、背後から急襲するために備えらえた櫓門です。隠門の上には「隠門続櫓(つづきやぐら)」も備えられており、松山城の防備力の高さがうかがえます。

松山城・隠門

そのほかにも、本丸の裏手を防衛する役割の「紫竹門(しちくもん)」や、壁の中に瓦や小石を詰め、弾丸が壁を貫けないつくりになっている「乾櫓(いぬいやぐら)」、戸を取り付けた痕跡がない高麗門の「戸無門(となしもん)」なども見どころです。

夜景や四季も楽しめる

山頂にそびえ立つ松山城は、城からの眺めが素晴らしく、なかでも標高約160mに位置する天守からのパノラマビューが有名です。

松山城天守から西に瀬戸内海を望む。南側には、石鎚山系も遠望できる。城内の森は、バードウォッチングでも人気のスポット。お城を遠くから眺めるなら、本丸公園から天守を正面にして、堀之内公園西側より見上げるのが、おすすめのビューポイント。

松山城は、2020(令和2)年に「日本夜景遺産」に認定されています。天守からの夜景は夜間特別営業日のみ見られますが、本丸広場は21時まで開放されているため、多くの人が夜景を見るために訪れる場所です。

また、松山城とふもとにある城山公園は桜の名所で、花見の時期には多くの人で賑(にぎ)わいます。ソメイヨシノ・陽光桜・オオシマザクラなど、種類の異なる桜が見どころです。夏の新緑や秋の紅葉など、四季折々の美しい光景も楽しめます。

四国屈指の名城、松山城

松山城は加藤嘉明が勝山の山頂に築いた城で、愛媛県を代表する観光名所の一つです。城内は天守をはじめ、多数の重要文化財が見られます。

全国的にも珍しい壮大な石垣や、標高約160mからのパノラマビューなど、多くの見どころがあるので、ぜひ足を運んでみましょう。

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構成・文/HugKum編集部

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