企画・脚本・プロデュースを務めたのは、これまでにも介護の世界をテーマにした「ケアニン」シリーズを手掛けてきた山国秀幸さん。山国さんは「4年ほど前に丹野さんに初めてお会いして、目から鱗が落ちるような思いがしました」と丹野さんとの出会いによって、たくさんの気づきがあったといいます。そこでHugKumでは、丹野さんと山国さんへのインタビューを敢行。「『認知症と診断されても、今も私は元気にやっているよ』ということを伝える映画にしてほしかった」と溌剌と語る丹野さんの言葉には、明日を元気に生きるヒントがたくさん詰まっていました。
「前向きな映画でなければ意味がない」
ご自身の人生が映画化されるというオファーがあった時の感想を教えてください。どのような映画にしてほしいかなど、丹野さんからお願いしたことはありますか?
丹野:うれしいなという思いが半分、「ちゃんと伝わる映画になるかな」という心配が半分ありました。山国さんとお会いしたときは、「僕を殺さないでね」とお願いしたんです(笑)。やっぱり“認知症”というと、最後に亡くなってしまったり、施設に入ることになる映画やドラマもありますよね。認知症の症状ばかりに目が向けられて、これは大変だという感じに描かれることもある。でも私は前向きな映画でなければ意味がないと思っていましたし、「私は今も元気でやっているよ」ということを伝える映画にしてほしいなと感じていました。山国さんは「奥さんの視点を入れながら映画を作りたい」とおっしゃってくださった。「それならば大丈夫かな」と信頼することができましたし、完成した映画を観ても、変に誇張することもせず、ものすごく忠実に描いてくれたので、本当にうれしかったです。
山国さんは、初めて丹野さんにお会いしたのは認知症をテーマにしたシンポジウムが開催されていた、中国・上海だったとのこと。丹野さんの人生を映画化したいと思われたのは、なぜでしょうか。
山国:これまでも僕は介護や認知症の映画を作ってきたんですが、それらは“介護するプロ側”の目線から描いた作品でした。介護職のお仕事内容を通じて、認知症について伝えようとしてきた経験があるので、ある程度は理解しているつもりではあったんですが、丹野さんにお会いしたら目から鱗が落ちるような思いがして。丹野さんが一人で海外での講演に行かれていたり、普通に生活をされていることにも驚きがありましたし、これはちゃんとみんなが知らなければいけないと思うことがたくさんありました。
認知症という診断を受けた瞬間、周囲の人々はみんなご本人に優しくするし、手を差し伸べようとしてしまう。そしてご本人は気を遣われることで引け目を感じて、どんどん何も言葉にしなくなっていく。そうやってお互いに優しさや配慮を持ち寄ったことで、悪循環のようにそれが裏目に出てしまうことがあります。僕は、丹野さんの「認知症と診断されたからといって、自分自身はその前の日と何も変わっていない」という言葉がとても胸に刺さって。そのままの人生が続いていくんだと、ハッとさせられました。介護の映画を作ってきた僕自身が、ある種の偏見を持っていたんだと気付かされましたし、丹野さんの物語を映画にして、わかりやすく、幅広い世代に観てもらうことに意味があるのではないかと思い、映画化に向けて進み始めました。
認知症と診断されたときの不安と偏見「なんでも『認知症だから』と思われてしまう」
本作では、丹野さんをモデルとした晃一(和田正人)が「若年性アルツハイマー型認知症」を発症してからの戸惑いや、妻の真央(貫地谷しほり)に支えられながら前を向いていく姿が描かれています。本作をご覧になって、ご自身の気持ちや症状をよく表しているなと感じたシーンはありますか?
丹野:会社が休みの日なのに、晃一が「出社する」と出かけようとするシーンは、僕の経験そのままですね。混乱していた時期で、妻に「会社に行かなくていい」と言われて、「会社をクビになったんじゃないか」「もう来なくていいと言われたんじゃないか」と怒ってしまったのも、映画と同じです。また私の両親が「介護する」と、妻のところに話をしにくるシーンがありましたが、それも事実です。両親は、リビングにベッドを置いて、私の介護をするんだと言っていましたね。それから10年経って、今では笑い話ですよ(笑)。両親も「あなたは寝たきりになって、私たちが介護するんだと思っていた。それが今でも海外に講演に行ったりしているんだから!」と笑っています。
ご家族はそれくらいの覚悟をされたということですよね。
丹野:そうです。それくらい周りは、“認知症=あっという間にダメになる”と思っていましたね。私だって、認知症の人は暴れたり、徘徊するものだとばかり思っていました。診断を受けてインターネットで調べてみると、大変なことしか書いていない。それが落ち込む原因にもなりました。診断を受けた直後って、とても不安を覚えるものだと思うんです。だからこそ私は、診断直後の方に会って「診断されて10年経った今も、私はこんなに元気だよ」ということを知ってほしい。そう思いながら、活動しています。
たしかに「認知症になったらどうしよう」と、多くの人が不安や恐怖を抱く病気だと思います。でも本作を拝見したり、こうして丹野さんのお話を伺っていると、認知症に対するイメージが一変します。晃一役を演じた和田正人さんからも、認知症に対して誤解していたというコメントをいただいていますので、ここでご紹介させてください。
和田:僕自身、丹野さんと出会うまでの「若年性認知症」のイメージは、世の中の皆さんと同じで、余命が決まってきたり、どんどん症状が進行して、家族や会社など周囲の方々との関係にいろいろと支障をきたしてしまう、将来のことを考えると本当に大変な病だという印象がありました。でも丹野さんと出会って、「まるっきり思っていたことと違うな」というのが率直な感想でした。認知症に対して正しい知識もなく、自分がいかになんとなくのイメージだけで振り回されていたのか今回実感しました。認知症について世の中にはいろいろな情報があり、それに対して自分も汗かいて足を使って調べていかなければならないなと改めて感じました。
丹野さんご自身、日常生活を送る上で、認知症に対して誤解や偏見があるなと感じることはありますか?
丹野:たくさんありますよ! たとえば講演に行って「トイレはどこですか?」と聞くことがあります。普通だったら、「そこですよ」と教えてくれますよね。でも私の場合は、トイレの前まで送ってくれる人がいたり、トイレの中まで入って来て、そばにずっと立っている方もいます。またジュースを自動販売機で買ったら、「ジュースを買えたんですね。すごいですね!」と言われたり。携帯電話を使っているだけでも、「すごい!」と褒められます。おそらく、世の中で一番褒められている40代ではないでしょうか(笑)。携帯電話を使って褒められる40代なんていませんよね。なぜ褒められるかというと、それは認知症だからです。
でもそういった皆さんにはもちろん悪気はなくて、すべて優しさで言っていること。要は私を見ているのではなく、病気に目が行ってしまっているんですよね。「嫌だな」と感じることを言われて、私が怒ったとしたら、「認知症で怒っているんだな」と思われてしまうこともあります。
モットーは「笑顔で生きる」前を向く上で大事だったものとは?
そんな中で、丹野さんが周囲に望むのはどのようなことでしょうか。
丹野:認知症の当事者と、きちんと会話をしてほしいなと思います。会話をせずに、周囲が「良かれ」と思って先回りをするとうまくいかないのではないかという気がしていて。“やる、やらない”も本人が決められるよう、本人のやりたいことを応援してくれるような人が増えてくれたらうれしいなと思っています。たとえば家族が、当事者をデイサービスに行かせようとしたとします。行きたいと決めたのが本人ではない場合、「行きたくない」と発言することだってありますよね。すると“拒否”と言われてしまいます。デイサービスに行って「帰りたい」と言ったら、“帰宅願望”と見られてしまうこともある。さらにそこでイライラしたら、BPSDという認知症の症状だと思われてしまう。普通の感情を出したとしても、認知症と診断を受けた時点で、どんなことも病気のせいにされてしまうんです。
本作を観て、“病気ではなく、その人自身を見ることが大事だ”と実感する人がたくさんいると思います。
山国:撮影現場のスタッフ、キャストの皆さんも、認知症のことはわからないことばかりだから、まずは“知っていこう”という考えで参加してくれました。撮影現場にも丹野さんが来てくださったことがあるんですが、丹野さんはお一人でやって来たんですよね。すると最初はスタッフも「認知症の方が、ここまでどうやって来たんだろう」と思ったりする。だんだんと丹野さんと触れ合うことで、いろいろなことを知っていったわけです。
劇中では、丹野さんの奥様が認知症について知っていく様子も明らかとなります。丹野さんが奥様に支えられているなと感じるのは、どのようなことでしょうか。
丹野:常に支えられ、応援してもらっているなと思います。妻に言われて一番うれしかったのは、「心配はするけれど、信用してあげる」という言葉。もちろんそうなるまでには、私が一人で出かけることを心配したりと、いろいろなことがありました。徐々にそう思えるようになったんだと思います。今では私が海外講演に行く際にも、「どうせ行くんでしょう」という感じですから(笑)。普通は認知症というと、行動を制限されてしまったりするはず。妻に、なぜ「俺はこんなに自由なの?」と聞いたところ、「何を甘えているの?」と言われました(笑)。そして「信用してあげる」と。その言葉は、私にとって大きなものでした。妻が信用してくれるから、私は挑戦ができるんです。
あと私にとって大事だったのは、笑顔で元気に生きている認知症当事者の方との出会い。それと仕事ですね。働いて、親としての責任を果たしていると思えることが、何より力になりました。実は、子供たちの顔を忘れてしまうこともあるんです。それでも子供たちは、「大丈夫だよと言って“普通のお父さん”として接してくれる。それがとてもうれしいです。
表情も晴れやかで、溌剌としている丹野さん。今、生きる上でモットーにしていることがあれば教えてください。
丹野:笑顔で生きることです。1年半前に顔面麻痺になり、今はうまく笑顔を作ることができないんですが、それでも心の中では常に笑っていようと思っています。これからも諦めずに生きていきたいです。
山国:丹野さんの明るく誠実な人柄には、気付かされることがたくさんあります。おそらく丹野さんは認知症になる前から、職場の仲間やご友人とも、いい関係性を作ってきたんだと思うんです。丹野さんが周囲の人を大事にしてきたからこそ、周りの方々も丹野さんに寄り添っていこうとしている。そして工夫して生きている丹野さんから、影響を与えられている。誠実に生きていると、それが自分に返ってくることがあるんだなと、僕自身、自分の生き方も見つめ直す機会になりました。
丹野さんはいろいろな工夫をしながら、生活をされているそうです。
丹野:生活する上では、携帯電話をものすごく駆使しています! どこに何時に行く、何時に何をするなど、すべて携帯電話のアラームに入れておくんです。また使うものにはエアタグをつけて、失くしものをしないようにしています。それでも日々、失敗はたくさんします。でも失敗するから工夫をするようになるし、工夫するから成功体験が生まれる。失敗を恐れて何もしなくなってしまったら、工夫をすることもしなくなってしまいます。
たとえば携帯電話をなくすと困るので、私は長い紐をつけてポケットに入れて持ち歩いています。この紐についても、自分で買ってくることが大事。家族や支援者の方は良かれと思って先回りして、買って来てしまいそうになりますが、周りから与えられたものをつけるだけでは、記憶に残らないんですね。一方、自分が好きで「いいな」と興味を持って買ったものは、記憶に残る。“自分で決める”ということが、とても大切なんです。
丹野さんのお話は、ハッとさせられるようなことばかりです。改めて、山国さんは本作でどのようなメッセージが伝わるとうれしいと思っていますか?
山国:僕自身、介護や認知症をテーマにした映画を作り始めた当初は、ビジネス的な意識がありました。でも取材をして、いろいろなことを知っていくうちに「認知症って遠い世界のことだと思っていたけれど、これは誰にとっても関係のあることだ」と感じるようになって。実際に映画を公開すると、観客の方が「介護ってこういうことなんだ」「認知症ってこういうことなんだ」と身近な物語として受け止めてくださった。ちゃんと映画にして伝える意味がある、この道を突き詰めていきたいなと思うようになりました。
世の中、事件や事故など大変なことばかりクローズアップされたりと、世知辛い世の中だなと感じることもあります。でも一方で、丹野さんの周囲のように素敵な世界があって、素敵な人たちがいて、まだまだ人生、捨てたもんじゃないなと思えることもたくさんある。本作を観て、そんなふうに感じていただけたらとてもうれしいです。
晃一役の和田さんからは、HugKum読者の方々に向けてメッセージもいただいています。
和田:この作品は「若年性アルツハイマー型認知症」を題材にしていますが、ごく一般家庭の人たちの家族の話や、仲間や友人、会社の同僚、いろいろな人たちとのハートフルな絆を描いたヒューマンドラマだと思います。もちろん認知症と闘っている方たちへのメッセージもたくさんあります。「若年性アルツハイマー型認知症」で物が覚えられないことに対し周りの人たちが“病気”として手を差し伸べるのか、ある“個性”として手を差し伸べるのかでは、全然捉え方とかやり方が変わってくると思います。お母さんお父さんは、息子さん娘さんに対して、どのように向き合って子育てしますか。「あれやってはだめ、これやっちゃだめ。これはいけない、あれはいけない」と言っていませんか。そんな捉え方でこの映画をご覧いただくと、どこかでハッと気づく瞬間があると思います。それが何か、今後の家族づくりの参考になればうれしいです。
『オレンジ・ランプ』は6月30日(金)より公開
監督:三原光尋 企画・脚本・プロデュース・原作:山国秀幸
出演:貫地谷しほり、和田正人、伊嵜充則、山田雅人、赤間麻里子、赤井英和、中尾ミエほか。
公式HP:https://www.orange-lamp.com/
©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会
取材・文・写真/成田おり枝