防災の日に必ず聞く「天災は忘れたころにやって来る」
9月は1日は防災の日ですし、台風のシーズンでもあるので、「天災は忘れたころにやって来る」という言葉をよく聞くようになります。自然災害は、その被害の恐ろしさを忘れたころにふたたび起こるので、ふだんから油断せず用心して備えておかなければならないという意味です。
物理学者・寺田寅彦が言ったことで知られるが
この「天災は忘れたころにやって来る」は、寺田寅彦(てらだとらひこ)(1878~1935年)が言った言葉だということは、ご存じの方も大勢いらっしゃるでしょう。寺田は物理学者でしたが、夏目漱石に師事し随筆家としても知られています。漱石の『吾輩は猫である』に登場する理学者・水島寒月は、寺田がモデルだといわれています。
それはさておき、寺田は数多くの随筆を書いていますが、「天災は忘れたころにやって来る」は寺田の書いた文章の中のどこにも見当たりません。では寺田の言葉ではないのかというとそうではなく、このような趣旨のことを日ごろから語っていたようです。
寺田が書いた『天災と国防』(1934年)にも、こんな部分があります。
直接「天災は忘れたころにやって来る」とはいっていませんが、まさにそのような趣旨の文章です。
文明が進む程天災による損害の程度も累進する傾向があるといふ事実を十分に自覚して、そして平生からそれに対する防禦策を講じなければならない筈であるのに、それが一向に出来てゐないのはどういふ訳であるか。その主なる原因は、畢竟(ひっきょう)さういふ天災が極めて稀にしか起らないで、丁度人間が前車の顚覆(てんぷく)を忘れた頃にそろそろ後車を引出すやうになるからであらう
「天災は忘れたころにやって来る」を広めたのは寺田寅彦の弟子
実は、寺田の言葉として広まるきっかけを作った人がいたのです。寺田の弟子だった物理学者の中谷宇吉郎(なかやうきちろう)です。中谷は雪の結晶の研究者として知られ、また寺田同様随筆も数多く書いています。
その中谷が「天災」(1938年7月)という文章の中で、「寺田寅彦先生が、防災科学を説くときにいつも使われた言葉である」と紹介したのです。
ただし、そこでは「天災は忘れたころにやって来る」ではなく、「天災は忘れたころに来る」という形だったのですが。そのため、高知市にある寺田寅彦記念館にある碑には、「天災は忘れたころに来る」と書かれています。「来る」が「やって来る」になったのは、その方が音数が五七五になって言いやすいからでしょう。
いずれにしても、災害の多い国土に住む私たちにとっては、決して忘れてはならないことばだと思います。
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記事監修
辞書編集者、エッセイスト。元小学館辞書編集部編集長。長年、辞典編集に携わり、辞書に関する著作、「日本語」「言葉の使い方」などの講演も多い。文化審議会国語分科会委員。著書に『悩ましい国語辞典』(時事通信社/角川ソフィア文庫)『さらに悩ましい国語辞典』(時事通信社)、『微妙におかしな日本語』『辞書編集、三十七年』(いずれも草思社)、『一生ものの語彙力』(ナツメ社)、『辞典編集者が選ぶ 美しい日本語101』(時事通信社)。監修に『こどもたちと楽しむ 知れば知るほどお相撲ことば』(ベースボール・マガジン社)。NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる』にも、日本語のエキスパートとして登場。新刊の『やっぱり悩ましい国語辞典』(時事通信社)が好評発売中。