※ここからは『せんさいなぼくは小学生になれないの?』(沢木ラクダ・著/小学館)の一部から引用・再構成をしています。
HSCってなに?
沢木ラクダさん(以下、沢木さん):私の息子はおそらく「HSC(Highly Sensitive Child=ひといちばい敏感な子ども、環境感受性が高い子ども)」と呼ばれる心理的特性を持っています。外交性、協調性などと同じパーソナリティの一つとされ、最近、話題になることが増えた「繊細さん」=「HSP(Highly Sensitive Person=ひといちばい敏感な人、環境感受性が高い人)」の子ども版です。
思いつくままにあげても、息子には、以下のような特徴があり、それらはHSCのよくある傾向だといわれています。
・においや音に敏感
・シャツの首元についているタグがチクチクするのを嫌う
・新しいことをはじめる前に、とても時間をかけて観察する
・人前で話すのがとても苦手……
沢木さん:HSCは、病気や障害ではなく、気質や性格の特性であり、わかりやすく言えば発達の凸凹と考えられています。心理学の研究にもとづく感受性の尺度はありますが、医学的に診断されるものではありません。
その特性は、0か1で持つものというより、濃淡のあるグラデーションなので、いわゆる〝定型発達〟の人でも、先ほど挙げたような特性に心当たりがある方もいるかもしれません。
しかし、5人に1人ほどの割合でいるといわれるHSCは、自分の意思ではどうにもならない、はっきりとした凸凹の傾向を持っているようです。それが集団生活を行ううえでは困難につながることも少なくないといわれています。精神科医の明橋大二先生は、臨床経験から日本の「不登校の8~9割がHSCではないか」とも指摘しています。
共働きで忙しいのに、息子が学校に行かない
【沢木さんの家族構成】
本づくりや取材執筆活動を行っている沢木さんは取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。妻は教育関係者。9時〜17時に近い働き方で、職場に出勤することが多い。寡黙で優しい小1の長男とおしゃべりで陽気な保育園児の次男の4人家族。
沢木さん:長男が通っていたのは子どもたちの個性に寄り添う幼稚園だったので、この特性が問題化することはありませんでしたが、ルールや集団行動が重視される公立小学校に入るやいなや、新しい場や活動に慣れるのに時間が必要だったり、人前で話すのが苦手だったり、刺激で疲れやすかったりといった、この特性に伴うのであろう長男の行動が“問題”として立ち上がっていきました。
そして、入学早々に行きしぶりをはじめ、5月の連休明けには学校に通うことができなくなってしまったのです。
私たち夫婦は途方に暮れ、正直うろたえました。つい3月まで元気に幼稚園の園庭を駆け回っていた息子が、うつろな表情をして自宅で毎日テレビを見ながら過ごしているのです。え、これって、不登校? なぜ? 小1でなるの? いちばん身近なはずの子どものことがよくわからなくなりました。
いったいぜんたいどういうかたちであれば、この子は学校に通えるのか? あるいは、学校以外の選択はどう可能なのか? 親の常識は、揺さぶられていきました。
【4月18日】学童で見るテレビが怖い……
【あらすじ】
著書『せんさいなぼくは小学生になれないの?』は緊張しすぎて体育館に入場できなかった4月8日の入学式から、長男の〝行きしぶり〟と〝不登校〟に対する沢木家の葛藤と模索の日々が日記形式でつぶさに記録されています。1週目、長男は教室まで付き添いながらなんとか学校に通ったものの、2週目から〝行きしぶり〟が顕著になっていきます。
沢木さん:4月18日(月)。長男は学校に行きたくない理由を「学童がいやだ。テレビが怖い……」と最初は言いました。我が家は夫婦共働きのため、入学式前の4月1日から学童を使っていました。1年生は、入学後、午前授業が多いので、学校が終わってから夕方まで、学童で過ごしていたのです。
特に、昼食後にテレビを見せられるのがいやなようでした。そこで流されるのは、子どもたちに人気のアニメばかりなのですが、息子は時々出てくる戦いのシーンや、不安をかき立てるシーンなどが「怖い」と言っていました。とても怖がるので、その時間だけ別の場所で見守ってもらえないかと入学式の前から相談していましたが、認めてもらえませんでした。
沢木さん:長男はその間、DVDを見ている子どもたちと同じ大部屋の片隅で、スタッフと過ごすことになりました。ただ、その場所はカーテンで仕切られているだけ。映像は見えなくても、「音が聞こえて怖い」と長男は言いつづけました。
HSCにとって、怖い映像への恐怖感は、大人の想像以上のようです。このときはまだHSCを知らなかったため、学童側に配慮を強く求めるという発想は持てませんでした。息子は毎日学童を嫌がるようになっていきました。
【4月20日】行きしぶりは環境への敏感さから?
沢木さん:4月20日(水)。入学してから、ずっと夫婦交代で付き添い登校を続けていました。少しずつ一人で学校にいられる日も増えてきていたのですが、その朝は、家を出発するときから、息子が「教室までついてきてほしい」と自分から言ったんです。その日も私が息子の登校に付き添いました。
振り返れば、このあたりで息子は教室に対する不安のSOSサインを出していたんだと思います。本人が叱られるわけではないのですが、息子の担任の先生が(時には理不尽な)厳しい指導をしがちで、教室環境に強く不安を覚えていたことが後になってわかりました。
1時間目は体育だったので、グラウンドに移動。グラウンドで別れる約束をしましたが、息子は私から離れません。抱きついてくる手を何度も振り払い、別れようとするのですが、グラウンドに着いても、約束を守らず離れません。
そのうち授業が終わり、みんな教室に戻りました。先生は「昨日も学童に行くときは泣いていましたが、離れてしまえば切り替えられたようです。ここでさよならしましょう」と息子を後ろから抱きかかえて引き離しました。
沢木さん:「い や だ ──」と、息子は大声で泣き叫びましたが、もうこのタイミングで離れるしかないだろうと、私は足早にその場を離れました。でもほっとするというよりは、ひたすら不安になりました。
結果としては、この無理な引き離しが息子の不登校の大きなきっかけになってしまいました。
不登校支援の専門家は安心すれば子どもは自然と親元から離れると口をそろえて言います。無理な引き離しは、抑うつや癇癪など二次障害につながりうるので、避けたほうがよかったことものちに知ります。
その日、息子が寝たあと、妻と2時間ほど話し合いました。テーマは「HSC」について。数日前、妻が「息子はこれなのかもしれない」とネットの記事を見つけてきて、初めて知りました。息子の特性との一致に驚くのと同時に、息子の特性をどう理解していけばサポートできるかがわかるきっかけになっていきました。
【4月28日】〝行きしぶり〟から〝不登校〟に
沢木さん:4月28日(木)。「学校に行きたくない。学校なんてつまんない!」と息子は強く主張するようになってきていました。そのころには、息子の特性の理解も進み、そもそも今の公立小はうちの子には合わないのではないかという気持ちも日に日に増してきていました。
授業のペースが息子には早く、宿題も大変なようでした。息子は、ひらがなや算数などの学習内容を先取りして学んでいませんでした。我が家ではあとで学べる記号や概念より、体験自体を重視してきたからです。幼稚園も似たような方針で、息子自身も文字にさほど関心を示さなかったことから、小学校の学習内容はほぼゼロからのスタートでした。親はあとで追いつくと気にしていなかったのですが、本人は自信を失ってしまったようです。
息子は文字の線を引くのも、塗り絵をするのも、丁寧にやろうとします。宿題も時間がかかるので、1日で終わらせるには親が1時間つきっきりになって追い立てなければいけませんでした。
息子の学校では、授業が開始した初日から、ひらがな練習の宿題が課され、以降も家庭での学習習慣を作るためと、毎日プリントが配られていました。このころはコロナ禍だったせいもあってか、子どもたちのレクリエーションの機会もとても少なく、息子は、「学校の楽しみは、おいしい給食だけ」と言っていました。
沢木さん:公立小が合わないなら、カリキュラムなしのオルタナティブスクールや、近場のフリースクールなどの民間施設を見学しておいたほうがいいのだろうか。でも、まだ前日に半日休んだだけだし、このまま不登校になるわけではないだろう──。このときは楽観していました。
息子は「給食の時間に行く」と午前中は言っていましたが、どうしても気乗りしないようで、結局、この日、学校は休むことになりました。そして、そのまま学校に足が向かなくなり、不登校状態へ……。
〝行きしぶり〟から〝不登校〟に至るまでは、約1ヵ月。あれよあれよという間に発展していきました。息子に元気が戻ったのは、約1年後。居場所の選択肢を一緒に探して、個別の支援が手厚い校内の特別支援学級にたどり着きました。安心して過ごせる場所が見つかったことがとても大きかったです。
小中学生の不登校が増加している
沢木さん:2023年度の文部科学省の調査(「令和5年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」)によると、年間に30日以上欠席する不登校の小中学生は約35万人いて、11 年連続で増えています。
不登校と言っても、学校に行かなくなる理由や背景は一人ひとり異なり、我が家のケースがそのままほかの子に当てはまるわけではありません。ただ、共通する社会環境があることも見落としてはいけないと感じています。むずかしいのは、子どもがリアルタイムでは、「学校に行きたくない」理由を自ら明確には説明できないことです。
我が家のケースでは、学童で見るテレビが怖かったことからはじまり、ルールの多い学校の窮屈さ、叱りや注意の多い先生への恐怖、教室に友だちがいない孤独、授業についていけないしんどさ、そんな環境に置き去りにされる不安、自分の気持ちを理解してくれない両親への不信などがあいまって、「学校には行きたくない」と明確に主張するようになったように思います。
行きしぶりは切実なアラート
我が子は、ひといちばい感受性が強いことで、刺激が多く、集団のペースで物事が進むことが多い学校の環境に不安や困難を抱えがちです。ですが、困っているのは感受性の強い子どもばかりではないでしょう。
一人ひとりの子どもの成長を待ち、じっくりと寄り添い切れない社会環境が、いまさまざまな問題を表面化させているのではないか、と我が身を振り返りながら思います。
不登校はその一つのあらわれで、行きしぶりは周囲の大人への子どもたちの切実なアラートなのではないでしょうか。どんな子どもにとっても、入学おめでとう、と心から言える、そんな学びの場をぼくたち大人はつくっていけるでしょうか。
※ここまでは『せんさいなぼくは小学生になれないの?』(沢木ラクダ・著/小学館)の一部から引用・再構成しています。
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文・構成/国松薫