3歳から夢を追い、アジア人初パリ・オペラ座団員として42歳まで活躍。苦しかった20代、結婚・出産で見つけた本当に大切なこと【バレエ教師 藤井美帆さん】

2001年にパリ・オペラ座でアジア人で初めての正式団員となり、現在パリでフランス国家バレエ教師としてご活躍する藤井美帆先生。30代の時に結婚・出産を経て、42歳でオペラ座団員を引退。現役時代を振り返りながら、子育てとの両立方法や目標を持ち続けることの大切さ、ご自身の経験を活かした指導方法について詳しくお話を伺いました。

フランス人以外は入学ができないのが当たり前の時代から切り開いたオペラ座団員への道

NYCBでの子役時代『くるみ割り人形』

ーー3歳からバレエを始められていますが、いつ頃からオペラ座のバレリーナになることを目標に?

藤井先生幼少期にニューヨークシティバレエ団の子役として舞台に立たせてもらい、プロのダンサーさんたちを見て、私もプロのバレリーナになると決めていました。小学校高学年のときに、パリ・オペラ座のドキュメンタリー・ビデオを見て、「ここの学校に行きたい!」と思い、義務教育を終えるのに合わせて当時のパリ・オペラ座バレエ学校の校長先生に手紙とビデオを送ったんです。小・中学生時代は、パリ・オペラ座のバレエ学校に入学することを目標にひたすら毎日バレエを練習し続けていましたね。

パリ・オペラ座学校での留学生時代

ーー16歳でパリ・オペラ座バレエ学校に行くため単身で渡仏され、21歳のとき7回目のオーディションで正式団員となられましたが、どのような気持ちでしたか?

藤井先生当時、パリ・オペラ座バレエ学校を受験するには、現地で書類を出して、現地でオーディションを受けるといったシステムでフランス人以外が入学すること自体が稀で。外国人は一般生徒とは違う「留学生枠」で数人ほど入学できた時代でした。

進級試験や入団試験を受けたり、ガルニエ宮での公開レッスンに出たりすることは、基本的には留学生の私たちはできなかったのですが、私はただ留学できた喜びしか感じていなかったです。

そのうちオペラ座バレエ団の臨時採用オーディションを受けられるようになって、うまくすり抜けるかのように自然と道が開けていって。バレエ学校を卒業し、1年契約を3年間経て自分の中でこれが最後のチャンスと思っていたので、アジア人初の快挙の喜びというより、やっと正式団員になれた! という安心と喜びの方が大きかったですね。

目標を失ってさまよった20代、自分を見失った時期もあった

ーー幼少期から目標を明確に持ち達成してこられましたが、今まで大きな壁にぶつかったことは?

藤井先生パリ・オペラ座の一員として周りと切磋琢磨しながら踊れるようになったものの、大きな目標を達成したことで次の目標がわからなくなってしまい、20代はずっと行き詰っていましたね。

パリ・オペラ座正団員前『若手ダンサー達の夕べ』でのパドカトル

ーーオペラ座の団員になってどのような変化があったのでしょうか。

藤井先生今振り返って考えてみると、それまですべてが順調に進んでいたのに、正式団員となって初めてほかのダンサーたちと同じラインに立ったことで、周りとの比較を意識するようになったのかと思います。

初めてライバル意識や劣等感のようなことを感じるようにもなり、だんだんと自分が踊るバレエがわからなくなって、自信さえも失ってしまっていましたね。

結婚と妊娠を経て、本来の自分を取り戻した

ーーそのような時期をどのように乗り越えていかれましたか?

藤井先生28歳のときにバレエの世界とは全く関係のない現在の夫と出会ったんです。それまでひとりでずっとバレエのことしか考えてきてなかった人生だったのですが、バレエの世界や私の気持ちを客観的に見て話してくれる人と初めて出会って。

結婚して子どもができたことで、一番大切なことが「オペラ座」と「家族」の二つになったこと、子どもに対する責任感ができたことで、自分に対しても責任を持つことの大切さを思い出させてくれたんです。心にゆとりができるようになって、少しずつ歯車が合うようになり、本来の自分を取り戻すことができたんだと思います。

ママになっても現役バレリーナで活躍、引退に向けて新たな目標を決めた子育て期

ーー30代のときにご出産されていますが、オペラ座でママのバレリーナはどれぐらいいらっしゃいますか?

藤井先生昔は、女性は妊娠したらバレリーナのキャリアはおしまいといわれていた時代でしたが、私より少し上の世代から、妊娠・出産後も舞台に上がり活躍し続けている先輩が出てきて。フランスでは、産休・育児休暇など社会システムもしっかりしているので、私たちの世代は子育てしながらのダンサーが増えた時代でもありました。

私の場合は、妊娠を機に演目から外してもらうことを監督にお願いし、さらに産前産後合わせて約6か月の産休制度も利用してから舞台に復帰しました。

夫の協力で大変な子育て期も舞台に立ち続けられた

藤井先生とお子さん

ーー舞台公演をしながらの子育てはどのように両立されていましたか?

藤井先生朝は、私がオペラ座に行く前に子どもを保育園に連れていき、夫が保育園と小学校にお迎えに行って、それからご飯を作り、寝かしつけるまですべてやってもらっていました。夜の舞台公演が終わって私が帰宅する頃にはすでに子どもたちは寝ていることがほとんどで。

私が舞台に立っていた頃は、私より夫の方が子育てと仕事の両立が大変だったんじゃないかなって。夫には本当にとても感謝しています。

家族や友人の前で最高の自分を観てもらって引退できることを目標に決めた

ーー行き詰った期間を乗り越え周りの環境にも変化があった30代ですが、当時も目標をお持ちでしたか?

藤井先生パリ・オペラ座のバリーナは42歳が定年なのですが、17歳からずっと舞台で踊り続けるには肉体的にも精神的にも厳しく、途中で挫折してしまうダンサーも多いんです。そのようなこともあり、私は42歳まで舞台で踊って、輝き続けたいというのが大きな目標のひとつでした。両親も友人たちも全力でサポートしてくれてきていたので、最終公演では家族や友人の前で一番良い状態の自分で臨み、有終の美を飾ることを目指していました。

NYCBでの子役初舞台『真夏の夜の夢』

ーーパリ・オペラ座での引退公演はどのような感じでしたか。

藤井先生子役時代、NYで初めて立った舞台は『真夏の夜の夢』だったのですが、なんと引退公演も偶然同じ演目で! そのことがわかったときには鳥肌が立ちましたね。最終公演は膝のけがで不安を抱えていたのですが、目標にしてきたことがすべて果たせたことの喜びと達成感、みんなへの感謝の気持ちでいっぱいでした。大きな目標があるとやはり人間は強くなれるなって実感しました!

引退公演『真夏の夜の夢』でのレヴェランス(お辞儀)

今は指導者として後輩バレリーナたちに目標を持たせてあげたい

20代でさまよった自分がいるからこそ、後輩には目標を持ちたいと思えるように指導

ーー現在は、パリでフランス国家バレエ教師として指導をされているそうですが、指導するうえでどのような点を大切にされていますか。

藤井先生目標をつくれるような気分にさせてあげることです。私が自分を見失ってしまっていた20代の頃、何のために踊りたいのか、踊ってどう感じたいのか、どんな作品を踊りたいのかなど自分の意志を目標に向けることができていたらよかったなと今になって気づいたんです。

気分が落ち込んでしまうと目標さえ持つ気分になれず、はい上がるきっかけがなくさまよい続けてしまうんです。前向きな気持ちにもっていかれるようにサポートすることで、あれもやってみたい、これも手に入れたいといった願望や欲望が湧き出てくると思っています。

誰にでも輝く点が必ずある、そこを伸ばしてあげたい

ーー前向きな気持ちにしてあげる具体的な指導方法を教えてください!

藤井先生私の時代は、悪い点を指摘され、そこを正すように厳しく指導する方法が一般的でした。でもそのような指導方法だと、自信を見失ったときにどうしたらいいかわからなくなってしまうんです。

それぞれのダンサーの良い点は必ずあって、それぞれの人が違う輝くものを必ず持っています。その輝く部分を失わないようにしながら、弱点を改善していくことで、他人と比較されても自信を失わせず、自分の良い点や誰にも負けない部分をより伸ばしてあげられるのではないかと思っています。

ーーなんだか子育てにも共通していえそうなことですね。

藤井先生スポーツ界は特に比較される世界です。10位だから自分は良くないと受け取るのではなく、自分はほかの人に負けない良い点があるから絶対大丈夫、でもまだ伸びる部分があるからそこをもっとがんばろう! といったように周りではなく自分に焦点を当てて考えられるようになれます。各々のゆるぎない個性をもったまま、スキルを伸ばしてあげたいですね。

フランスメソッドのバレエを知ってほしい。毎年夏に東京でバレエ講習会を開催

今年の夏に東京でバレエ講習会を開催したときの様子

日本にはまだあまり浸透していないフランスバレエのメソッド。日本でもより多くの人に学んでほしいという思いから、毎年夏に藤井先生によるバレエ講習会が開かれています。今年の夏は、パリ・オペラ座バレエピアニスト辻德子さん伴奏による講習会が開催され、小学生から大人まで多くのバレリーナが参加。来年の夏も開催予定だそうで、詳しくは藤井先生のインスタグラムをチェックしてみてください。

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お話を伺ったのは

藤井美帆さん フランス国家バレエ教師、元パリ・オペラ座バレリーナ

家族構成:夫、長男(11歳)、次男(6歳)パリ在住 

3歳の時、バレエ『眠れる森の美女』を観劇したことに影響を受け、近所の集会所で開かれていたバレエ教室に通うように。7~9歳の時に過ごしたNYで、バレエ名門校であるスクール・オブ・アメリカン・バレエに通いながらニューヨークシティバレエ団(NYCB)の子役として数々の舞台に出演。14歳、15歳の時に2度フランスへバレエ短期留学した後、16歳でパリ・オペラ座へ留学生として入学。契約団員として実績を重ね、21歳の時にアジア人初のパリオペラ座正式団員となる。2022年に引退後、現在はパリを拠点にバレエ指導に従事する。フランス国家バレエ教師資格を所持。藤井美帆先生のインスタグラムはこちら

取材・文・構成/s. Frey

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