「私も東大に行きたい」50歳主婦が息子と一緒に受験、母だけが合格!30年越しの夢を実現できたワケ、かつて2浪した経験を活かした“完璧な計画”とは

10代で東大を受験するも2度失敗、あきらめて早稲田大学に入学し卒業。その後、地元で結婚し、学習塾を開いていた安政真弓さんが、次男の大学受験の際に、「私ももう一度」と東大受験を思い立ち、見事一発合格しました! 50歳でのチャレンジ、何が安政さんを駆り立て、どうサクセスに導いたのでしょうか。ご本人から伺ってみました。

「あがり症」で本番に超弱い。A判定なのに試験中に頭が真っ白…

――安政さんは49歳のときに一念発起し、50歳になったときに東大文科三類を受験して、見事合格したのですよね。なぜ50歳になって受験を?

東大については、過去に苦い思い出がありましたそれを克服したかったんです。高校時代はかなり成績がよかったので、現役で京都大学と早稲田大学を受けたのですが、どちらも不合格。京都の駿台予備校に通い、浪人生として再度挑戦することになったときには、「どうせ浪人するなら東大を」と、志望校を変更して東大を受けました。でも、1浪目も2浪目も落ちてしまったんです。一生懸命に勉強しましたし、模試ではA判定だったんですよ。駿台予備校の模擬試験では成績優秀者として名前が載るくらいでした。

――そんなに優秀なのに、なぜ……?

本番であがってしまうタチなんです。頭が真っ白になって、いつもの自分ではなくなってしまう。現役のときも、東大に2回挑戦したときも同じ。もう何回受けても受からない、根本的に何かを変えないとダメ、と悟りました。

結局2浪して早稲田に行くことになったのですが、予備校で一緒だった男性にバッタリ会って、すごくビックリされました。「なぜあなたがここに? まさか早稲田で会うとは思わんかった。東大でしょう、どう考えても」って。でも、仕方がないです。2浪目の早稲田は平常心で受けられて受かったんです。早大模試では全国で2位でしたし、東大よりもプレッシャーは少なかったから、絶対に受かると自分自身を信じられていたんですね。

早稲田卒業後、故郷に帰り、結婚・出産。東大とは無縁に

――卒業されてからは。

故郷の姫路に帰って、学習塾に勤めました。2年後にお見合いで結婚、退職して2人の息子を授かって、10年ほど専業主婦をしていました。その頃には東大へのこだわりはぜんぜんなかったですね。ただ、子どもが幼稚園の頃にママ友との付き合い方で悩みまして。ちょっと距離を置いたほうがいいと思い、そのために何か没頭できることを探そうと思いました。それで、勉強を始めようと思い立ったんです。

プレッシャーに弱い自分を克服するため、まずはフランス語検定2級にリベンジ

実は、かつてフランス語検定の2級を受けて落ちた経験があるんです。これも、二次試験の面接がプレッシャーで、うまくいきませんでした。でも、今度は必死でがんばって合格。すごくうれしくて自信がつきました。このとき、「チャレンジしよう。成功はプラスになるけれど、失敗はマイナスにはならない。得られるものもあるし、これからも何かに挑戦していこう」と前向きになれたんです。その後、フランス語検定の1級にも合格しました。

自宅で少人数制で私塾を開業

生徒ひとりひとりをしっかりサポートする方針だそう。実際の生徒からの手紙

次男が中学に入ったときには、自宅で中学生向けの私塾も始めました。独身時代は学習塾に勤務していましたし、自分も受験で失敗しているので、親身になれるところがあって。そんなにたくさんの生徒さんをお預かりしたわけではないので、その子その子に合わせた指導で、のんびりやっていました。

次男が浪人し、東大をまた受験するときにあるきっかけが…

――そんな中で、なぜ東大受験を?

次男が現役のときに東大を受験して不合格、浪人してまた東大を受けることになったんです。ちょうど半年前に、自分が早稲田卒後25年の節目で、東京でホームカミングデーがあったんですね。かつてのサークル仲間に誘われて、久しぶりに上京し、ついでに東大の駒場や本郷のキャンパスも散歩して、「ああ、やっぱり東大っていいなぁ」という気持ちになっていたんです。

また、姫路に帰ってから当時習っていたNOVAお茶の間留学のイタリア人の先生に東大の話をしたら、「マユミも受ければいいじゃない」って、さらっと言うんですよ。日本人は「いい年をしていまさら大学受験なんて」と言いがちですが、欧米の人って「何歳だってやりたいことはやるべき」という考えの人が多いですよね。それで背中を押されてもいたのでした。

東大の駒場祭。一緒に挑戦した次男と(安政さんFacebookより)

そんなこんなで、次男が浪人に決まったとき、私も東大を受けてみようかな、と、ふと思い、東大の過去問を見てみたら、自分が受験した頃とあまり変わっていないんだな、と気づいたんです。「これが伝統的な東大のスタイルなんだな」「今自分が受けても受かるかも」と思えてきたんですね。文系は共通テストで理科が1科目に減っているとか、少しの違いはあったけれど、塾講師として勉強のやり方を人に教えていましたし、昔使っていた問題集なんかも見てみると、「これだったら大丈夫かな」と思えてきて。

息子も夫も挑戦を応援してくれた

ただ、息子にとって、母親が受験するのはいやなんじゃないか、自分が邪魔することになるんじゃないかと心配になって。6月に予備校の大学受験説明会が終わった後で担任に「もしも私が息子と同じ年に試験を受けるとしたらどうなんでしょう」と何気なさを装って相談したんですよ。そうしたら、「いいんじゃないですか、息子さんにとっても励みになると思いますよ」って言われまして。それなら受けてみようかと思って。久しぶりに挑戦の意欲がわいて、前向きになりました。3月に長男と次男に打診してみると、「がんばれば?」って言ってくれました。夫には9月に打ち明けたのですが、「どうせやるなら1年で合格しなよ」と応援してくれました。

塾講師と最小限の家事以外はすべて東大受験勉強の日々

――実際、どんなふうに勉強したのですか? 家事もあり、塾講師の仕事もあり、その上で勉強をするのはとても大変そうですが。受験予備校に行くとか……?

いや、そんなことはしません、独学です。ひたすら勉強すればイケるという感触もありました。勉強自体は好きなほうなので、受けると決めたらできるだけほかのことを縮小して勉強時間を確保しようと思いました。塾の仕事は夕方から夜にかけての3時間くらいなのでそれほど時間はとられませんし、家事はギュッと凝縮して。

安政さんの効率的な勉強法がぎゅっと詰まった著書

夫も息子たちももう大人ですから、そんなにきめ細かく家事をしなくてもなんとかなります。それで、仕事と最小限の家事以外の時間はほぼすべて勉強にあてました。受けるのは文科三類。私は法律や経済にあまり興味がないので、語学や文化を学べる文科三類がいいと思ったのです。

「勉強は計画が大事」手帳を使った勉強法で東大模試全国40位に

私の場合、「勉強は計画が大事」なので、計画は綿密に立てました。18歳のときからずっと同じ手帳を使っているんです。そこに細かく目標を立て、予定は鉛筆で書き、実際にやったことはボールペンで書いて鉛筆の下書きは消し、色鉛筆で教科ごとに下線を引く、といったような使い方をしていました。予定をこなしてきれいに清書していくのが気持ちよくて、モチベーションが上がるんですよ。

安政さんがずっと愛用し続けている手帳(直近8年分)

そんなふうに勉強したら、最初に受けた東大模試で全国40位くらいをとれました。私はコツコツ地道に勉強し、早い時期にいい点数をとってそれを維持しながら逃げ切る「先行逃げ切り型」タイプ。だから、とにかく最初からどんどん勉強して「逃げ切ろう」と思いました。

受験の決意を打ち明けたのは6人だけ。実家にも言わなかった

――独学を始めたばかりなのにスゴイです! ただ、そうとなれば若い頃と同じで、「あがり症」の対策が要になりますよね。

何歳になってもあがり症は相変わらずで、やっぱりプレッシャーには弱くて。まず、受験すること自体をできるだけ人に言わないようにしました。特に、実家の両親や、次男の高校で教師をしていた妹には、何か言われたらプレッシャーなので、絶対に言わない。で、結局、東大受験のことは、夫と息子2人、とても仲のいい女友達2人、そして当時背中を押してくれたイタリア人の先生にだけしか言いませんでした。

応援してくれたご家族(安政さんFacebookより)

また、模試を地元の姫路で受けると、次男の知り合いに会う可能性があるし、成績優秀者などで名前が出てしまったら、「安政」という名前はちょっと変わっているので、夫婦別姓の私は「あのヤスマサさんだ!」ってわかってしまう。だから、成績優秀者の名簿に名前が載らないよう事前に申し出ておき、会場も、岡山とか大阪とか京都とか家から離れた場所まで、泊まりで受けに行っていました。周囲の人が知らないところで受けたほうがプレッシャーがかかりません。そのへんは細心の注意を払いました。

あがらずに受験できて見事合格! しかし息子は……

――そして、受験後の感触は?

普段どおりにやれたんです。絶対に受かっていると思いました。自分の性格に合った勉強をやってきたし、ウワサを立てるような人に何かを言われてストレスになることもない。今回は自分なりに上手く「あがり症対策」ができていたのもポイントでした。

一緒に挑戦した息子は不合格、早稲田大学へ進学

――では、息子さんとダブル合格ですか?

いや、息子は残念ながら不合格で……、早稲田に行きました。実は、実家の父も東大を受けて落ちているんです。従兄も落ちて早稲田に行って、私も若い頃は2回落ち、弟も落ちて、次男も落ち、だれも東大に通っていなかったんです。私の一族は東大に呪われているのかも、なんて思っていました(笑)。でもようやくそのトラウマというか呪いを解くことができて、心が晴れ、父も息子も喜んでくれました。そして、「いくらがんばっても本番では実力が発揮できない」というジンクスも、ようやくチャラにできました!

――長年のトラウマを晴らして東京へ! 次回は東大入学後、そして今も人生を楽しみ、勉強も続けている安政さんの近況も伺います。

【後編】現在63歳。50歳で東大合格を成し遂げた安政真弓さんのその後とは?

【50歳で東大合格した主婦のその後】現在63歳にして再び大学に通い、クラブ活動も謳歌! 塾経営の傍ら、今後果たしたい究極の目標とは?
月1万円余の東大の寮で4年間暮らす。食事はほぼ学食 ――安政さんはかつて10代のときに2浪して東大を受けて不合格、その後主婦になり、...

お話を伺ったのは

安政真弓(やすまさまゆみ) 塾講師

1962年、兵庫県姫路市出身。2浪の末に挑んだ東大に落ち、早稲田大第一文学部へ進学。卒業後に地元で結婚、専業主婦となったが、次男の中学進学を機に学習塾「安政ゼミナール」を開業。2012年に東大へ進み、教養学部教養学科・地域文化研究分科イタリア地中海研究コース専攻。在学中には仏・ストラスブール大へ1年間留学も果たした。著書に「普通の主婦だった私が50歳で東大に合格した夢をかなえる勉強法」(朝日新聞出版刊)

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取材・文/三輪泉

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