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「マンガで読む 学校に行きたくない君へ」に込めた想い
――著書「学校へ行けない僕と9人の先生」や「学校へ行けなかった僕と9人の友だち」では、ご自身の不登校の経験を描かれていますが、近著「マンガで読む 学校に行きたくない君へ」では、ほかの方々の経験をマンガにされていますね。特に印象に残っているお話はありますか?

棚園さん:それぞれ印象の残り方が違うんですけど、俳優の田口トモロヲさんは、何を頑張ろうとかじゃなくて、なんというか、流れるままに生きるというか…… “なれた自分が自分なんだ”といった感じのことをおっしゃっていて。すごく親近感を覚えました。
キンタロー。さんは、「そのままの自分でも、環境が変わっていくから、今の自分がずっと続くわけじゃない」とお話しされていて。それは大人になった今だからこそ、より実感できる言葉でした。大人になると、少しずつ楽になることが本当に増えていくんですよね。
不登校の理由は人それぞれ
棚園さん:不登校の理由やきっかけは人それぞれで、「こうすればいい」という正解や特効薬なんてありません。だからこそ、今、不登校で悩んだり、先が見えない日々を過ごしている人がいたら、いろんな人の話を読んだり、聞いたりする中で、何かひとつでも心に響く言葉を見つけてもらえたらと思います。
――このマンガは、子どもと親、どちらに読んでもらいたい気持ちが強いですか?
棚園さん:どちらにも、という気持ちはありますね。ただ、当時の自分だったら、きっとこのマンガは読んでいないと思います(笑)。「学校に行けない」とか「不登校」という言葉がついているものは、遠ざけていたように思うので。
だから親御さんが読んだ後に、そっと家のどこかに置いておいてくれて……それを見つけたお子さんがページを開いてくれたら、それがいちばんうれしいです。読んだ後に前よりも自分の未来を楽しみに思ってもらえたらうれしいです。
「学校に行かないこと」を恐れなくていい――親として思うこと
――棚園さんも今はお父さんになられたということで、ご自身が親になったことで、不登校や子どもの気持ちの見方に変化はありましたか?
棚園さん:まず、めちゃくちゃ子どものことが気になりますね。まだ1歳なんですけど、この前ちょっと怪我をしてしまったときなんか、もう絶望的な気分になって……。子どものこととなると、心の大部分を持っていかれるということを、実感しています。
自分の子どもが不登校になったらどうする?
棚園さん:講演会などで「もし自分のお子さんが不登校になったらどうされますか?」と聞かれることがよくあるんです。親になってようやくリアルに考えられるようになりましたが、たぶん学校に行かないことについては、何も思わない気がします。
私の周りには、学校に行っていなかった友人や知り合いがたくさんいて、その人たちがどうなっているかといえば、みんな普通に生きています。ちょっと不器用なおじさんとおばさんになっているだけ(笑)。

棚園さん:学校に行かなかったからといって、何かが欠けるわけではない。それよりも、自分の両親がそうしてくれたように、子どもとちゃんと向き合う時間を持つことのほうが、きっとずっと大変で、そして大事なんだと思います。
「学校に行きたくない」は限界のサイン
――長い休みのあとには、「学校に行きたくない」という子どもが特に増えると言われています。どんなふうに受け止めてあげるのがいいのでしょうか?
棚園さん:僕の場合で言えば、「行きたくない」と口にしたときは、もう限界のサインでした。でも、周りの大人たちは、“まだ言い始め”くらいに受け取って「もうちょっと頑張ってみよう」とか、「せめて学校の門まで行ってみよう」みたいな、そんな謎のミッションまで始めようとする(笑)。
でも本人としては、もう考え抜いた末の結論なんですよね。だから、「行きたくない」という言葉が出たときは、まずは一度休んでもいいんじゃないかと思います。

「休み癖」なんて存在しない
――すぐに休ませてしまうと、休み癖や諦め癖がつくのでは……と心配する親御さんも多いようです。
棚園さん:僕の個人的な考えですけど、休み癖なんて存在しないと思います。僕自身、学校を休んでいる間も「どうにか頑張らなきゃ」と常に思っていましたから。
諦め癖についても同じです。中学生のころ、自分の描いたマンガを「君には全然センスがない。諦めたほうがいいかもしれない」と言われたことがあって。それでも泣きながら描き続けてきました。本当に好きなことは、きっと何があっても頑張れます。
――自分の子どもをしっかり育てなきゃ、いろんな経験をさせてあげたい――そんな気持ちが強くなってしまう親も多いのかもしれませんね。
棚園さん:そうですよね。運動会や修学旅行、学校生活の一つひとつがかけがえのない経験だから、親としては楽しい思い出や何かを得てほしいと願う気持ち、よくわかります。
僕自身も、子どものころは「それを逃したら大人になれない」とまで思っていた時期がありました。修学旅行の朝なんかは、今でも鮮明に覚えています。行こうか、やめようかをずっと悩んでいて、「今出ればギリギリ間に合う」と時計を見ながら、でも結局家を出られなかった。その瞬間、人生で一度きりの大切なピースを失ってしまったような気がしたんです。
焦らなくていい、人生のピースはいつからでも埋められる
――ピースを失ってしまったような気持ちは、ずっと心に残っていたのでしょうか。
棚園さん:自分は何かが欠けた人間のように感じていました。でも20代になって同窓会に顔を出したとき、久しぶりに会った同級生たちは、誰もそんな昔のことを気にしていなくて。学校に行っていたかどうかなんて、みんなにとってはどうでもよくなっていたんです(笑)。
そこで初めて話した同級生と仲良くなって、仕事をもらったり、結婚式に来てくれたりもして。そのとき、「もう一度出会えたのだから、これからやっていけばいいんだ」と思えました。

――失ったピースは、大人になってからでも手に入れられるんですね。
棚園さん:結婚する前に、妻と東京湾のクルーズ船に乗ったことがあるんです。中学生のころ、修学旅行の写真で見た“船からフジテレビの社屋を眺める”場面にずっと憧れていて。その同じ景色を大人になって自分の目で見たとき、「あ、これが僕の修学旅行だったんだ」って、自然にそう思えたんです。
子どものころに埋まらなかったピースが、形を変えてちゃんとハマったような感覚でした。だから、焦らなくていい。今じゃなくても大丈夫。勉強も、出会いも、経験も、全部いつからだって取り戻せる。
今、学校に行けずに悩んでいる子どもたちにも、そしてその子を支える親御さんたちにも、そのことを声を大にして伝えたいと思います。
前編では不登校のきっかけ、鳥山明先生からもらった人生を変えた言葉などをお伺いしました
お話を伺ったのは
1982年、愛知県生まれ。義務教育期間の小〜中学校の9年間を不登校をして過ごす。
13歳の時に漫画家・鳥山明氏に出会い、漫画家を志す。
大学入学資格(現 高卒認定)を取得し、名古屋芸術大学に進学。
不登校だった自身の経験を描いた著書『学校へ行けない僕と9人の先生』『学校へ行けなかった僕と9人の友だち』(ともに双葉社)が話題に。
他には不登校経験者16名のエピソードをマンガで描いた『マンガで読む 学校に行きたくない君へ』(ポプラ社)。
山奥で集団生活するニートの若者たちの日々を描いた『マンガ「山奥ニート」やってます。』(原作・石井あらた/光文社)など。
テレビ・ラジオ・新聞をはじめメディア出演多数。
また、自身の経験をもとに、不登校に対する支援のあり方や、当時感じていた想いを語り、不登校当事者やその家族に寄り添った講演会を全国各地で行っている。
愛知県大府市にて長期欠席支援の啓発サポーター「虹の架け橋サポーター」に就任。
<<不登校経験についての講演会のご依頼はHPのお問い合わせフォームから。>>
HP:http://tanazono-shoichi.com/
Instagram:@shoichi_tanazono
X:@tanazono
取材・文/篠原亜由美