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公式ホームページが案内してくれた、完璧な「馬小屋」

ある日、フランスの役所で個人事業主の手続きをしようとしたときのことです。
公的機関のホームページを開くと、私の住んでいる県で手続きができる事務所として、 二つ表示されていました。自宅から近い(とはいっても片道30分はかかるけど)方を選び、向かいます。
でも、最寄り駅のホームに降り立った瞬間、嫌な予感がしました。公的なインフラがある場所にしては、やけに田舎すぎるのです。しかも、ツンと鼻をつく動物の糞のにおいが漂ってきます。
でも、Googleマップでは、ホームページと同じ住所にしっかりピンが立っています。それを頼りに歩き続け、ようやく目的地にたどり着いた。そのはずでした。
そこにはなんと、広大な「馬小屋」がぽつんと立っていたのです。
においの正体は、これだったのか……。そう思いつつ、ホームページに載っていた番号に電話をかけてみたけど、一向につながりません。フランスでは電話がつながらないことはよくあることなので、この事務所がすでに廃業したからつながらないのか、それともオフィスはあるけれど誰も出ないのか、謎のままです。
近くにいる人に状況を聞こうにも、誰もいませんでした。ちなみに私はパリの郊外に住んでいるので、よく見る風景というわけでもありません。よりによって、なんでこんなときに。
あきらめて、もうひとつの事務所へのアクセスを調べ始めました。そこは、ここからさらに電車とバスを乗り継いで1時間ほどかかる場所でした。
40度の猛暑と、1年前から止まっていた「真実」

その日はフランスでは歴史的な猛暑で、昼前ですでに40度を超えています。暑さに慣れていない国なので、公共交通機関に冷房はありません。あきらめてタクシーを使うことにしました。
到着した先では、それなりにビルが建っていたので、「よかった、今度こそたどり着ける」と胸をなでおろしました。
ところが、看板や表記を探しても、それらしき公的機関の名前はどこにも見当たりません。タクシーで降ろしてもらった場所は、確かにそのはずなのですが……。
周囲にはそこそこ人が歩いていて、たずねると「あぁ、ホームページの住所は違ってるよ。今では公園になってるから。この建物の裏だね」とのこと。でも、そこでも見つかりません。
最終的に近くのメトロの駅まで歩き、そこから出てきた人に尋ね続けました。すると、ひとりの男性がこう言ったのです。
「ああ、そこなら今は改装中だから、うちの管轄では何もできないよ。だからみんな、隣の県の事務所まで行ってるね」
ホームページに二つの住所が書かれていた旨を伝えると、最初の馬小屋はかなり前からそうなっていて、こちらの改装は1年前から始まっているとのことでした。
どうやら昨日今日、急に状況が変わったから書く時間がなかった、というわけではないようです。1年もの間、誰も「これをこのままにしておいたら、誰かが困るだろうな」と考えず、ただ古い情報がそのまま放置されていたのでした。
ふと時計を見ると、時刻は午前11時。フランスの役所はだいたい12時から14時まで、お昼休みに入ります。私はそこから猛ダッシュで、別の県の事務所へ向かうことにしました。

ちなみに、パリの事務所は除外しました。パリの役所はとにかく混んでいて、事前の約束(ランデブー)がないと、門前払いで追い返されることがほとんどだからです。
そして、その約束を取るための電話すら、まずつながりません。約束を取るため「だけ」に、一度わざわざ窓口へ足を運ばなくてはいけないのです。その約束も、前日に「猛暑のために来庁は不可になりました」といった連絡が来たりするのですが……。
メガバンクと高校の幹事会で感じた「気遣い」
日本では、どうでしょうか。
公的な機関が移転中だったり、改装中だったりしたときには、ホームページにその旨が書かれているはずです。街の小さなレストランに行ってみたら潰れていた、ということはあっても、行政で「1年前から情報が更新されていない」なんてことは、まずないでしょう。
私は、かつてメガバンクで働いていました。取引先の会社の大小に関係なく、嫌な思いをさせないように、ものすごく丁寧な対応が求められていました。「なんで、相手のためにここまでしなくちゃいけないんだろう」と、その息苦しさに窒息しそうになったこともあります。
でも、40度を超える猛暑の中で馬小屋と公園をさまよったあとでは、あの過剰なまでのきっちりとした世界が、使う側の「圧倒的な安心」として機能していたことを痛感しました。
これを書かなかったら、誰か一人でも困る人がいるかもしれない。嫌な気持ちになる人がいるかもしれない。そうやって、まだ見ぬ誰かのために先回りして不快の芽を摘み取る。それは、日本人の「芸術」といっていいほどの気遣いなのです。
これで思い出したのは、母校の同窓会の幹事会に出席したときのことでした。

そこで、まず議論されたのは「一浪や二浪をして、今まさに受験を控えている人にも同窓会の案内を出すべきかどうか」ということです。案内を受け取ったときに、彼らが嫌な気持ちにならないか。それならいっそ、大学に入学したタイミングで出すべきではないか……。
また、「今は年齢(期)ごとにテーブルを設けているけれど、もっと交流を深めるために年齢をバラバラにした方がいいのではないか」という提案が出たときも、「でも、そうなると初対面同士で会話が弾まなかったときに、気まずくて嫌な思いをする人がいるよね」という話になりました。
「そこまで考えてあげなくてもいいんじゃない?」と思いつつも、この何も言わなくても、誰かが自分のために世界を優しく整えてくれている。そんな日本の「先回りの気遣い」のありがたみを、私は身に沁みて思い出すことになったのです。
日本にいた頃は分からなかった「やさしさ」

どちらのやり方が正しい、間違っているということではありません。
ただ、もしフランスの誰かが「ここに古い情報を載せたままにしたら、誰かが困るかも」と想像力を働かせていたら、あの猛暑の日に右往左往することはなかったでしょう。
私は日本にいた頃、先回りのやさしさに、どれだけ救われていたんだろう。住んでいた頃に自覚できたら、もっと幸せに生きられていたのかもしれない。
そんなことを、フランスの馬小屋と、日本の一浪を憂う幹事会の間で、思うのでした。
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この記事を書いたのは
三菱UFJ銀行の法人営業、ユーザベースのセールス&マーケティングを経て独立。ビジネスやマネーの取材記事から、恋愛小説まで幅広く執筆。2025年よりフランスに拠点を移し、フランス企業の日本進出支援(ローカライズ)やフィクションの翻訳にも携わる。3児の母。
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