目次
きっかけは、逃げるように選んだ「フランス語研修」
私が初めてフランスを訪れたのは、大学3年生のときです。
当時はフランス語の授業についていけず、フランス人女性の先生には嫌われていました。クラスにもなじめず、出席はどんどん減っていくばかり。「このままでは卒業が危うい」と焦っていたときに、キャンパスの掲示板で「フランス語学研修」の案内を見つけたのです。

夏休みにフランス語を学べば、単位がもらえる――最後のチャンスだと思い、親を説得して、渡航を決めました。
到着したのは、南フランスの「薔薇の町」トゥールーズ。語学学校に通いながら、共働きのフランス人夫婦の家にホームステイするプログラムです。
もちろん私の語学力は壊滅的で、「ボンジュール」と「メルシー」しか言えず、数字もろくに数えられません。ホストファーザーには「今までたくさんの学生を受け入れてきたけど、君が一番しゃべれない」と言われる始末。
あのころは、この生活が人生の流れを変えるスイッチになるとは、思いもしませんでした。
トゥールーズで知った「人生は美しくて、楽しいもの」
そのフランス人夫婦は午後3時には帰宅し、2人でキッチンに立って夕食の準備を始めます。マルシェで買ったおいしいフルーツやみずみずしい野菜を使って、おしゃべりしながら、ていねいにご飯を調理していました。
17時くらいには庭に出て、スペイン人のルームメイトや大学生の子どもたち、彼らが連れてくる友だちと一緒に、みんなでテーブルを囲む。そんな毎日でした。
私は驚きました。なぜなら、自分の家庭とはまったく違っていたからです。

父は会社員で平日は帰宅が遅く、週末はゴルフ。夕食は、母と妹と私の3人で食べるのが日常でした。父と一緒に食卓を囲む機会は、年に数えるほどしかありません。
私はというと、幼いころから習い事、高校受験、大学受験、就職活動--ずっと何かに追われて過ごしてきて、「人生は忙しいのが普通」と思い込んでいました。
でも、トゥールーズで太陽の光を浴びながら、みんなで笑いながら食事をするという経験を通して、気づいたんです。「忙しい人生は普通じゃない。もっと美しくて、楽しいものだ」と。
「また、ここに戻ってきたい」
そう思ったのは、南仏の太陽のせいだけではなかった気がします。
3人のワンオペ育児で「いつも時間がない」
大学を卒業して、三菱UFJ銀行の総合職として就職しました。海外転勤ができそうだったからです。
けれども、パリ支店への異動はいつまでたっても決まらず、やがて結婚し、2歳差で3人を出産。フランスで暮らしたいという気持ちは、自然と棚の上にしまわれていきました。むしろ、忘れるようにしていたのかもしれません。
SNSでは、「フランスの育児は楽」という投稿をよく見かけましたが、私はそのたびにモヤモヤした気持ちになり、いくつかのアカウントはミュートしていました。
なぜなら、私にとって育児は、全然“楽”ではなかったから。
夫は研究職で夜勤や出張も多く、両家の実家も遠方でした。 週4日で2人のベビーシッター、週2日で家事代行をお願いしても手が足りません。

朝は「保育園に行きたくない」「小学校を休みたい」と泣く子どもたちをなだめてから会社へ。帰宅後は夕食・お風呂・寝かしつけ、そのあとに山のような洗濯物と食器が待っています。
保育園も小学校も、それぞれに良さはありました。けれど、ノートや筆記用具などの持ち物の準備、プリントの提出、遠足のお弁当……親への“お願い”は絶え間なく続きます。
運動会、土曜授業、保護者会などの行事も、子どもが3人いると、正直いって負担です。午前中に保育園の運動会に行き、途中で切り上げてダッシュで小学校の運動会を見に行ったこともありました。
いつも忙しくて、イライラして、時間がない私に戻っていました。
「場所が変われば、子育ても変わるかも」と思った日
ある日、フランスの駐在から帰国したママ友が、こんな話をしてくれました。
「実は夫の駐在は予定より早く終わって、私と子ども3人で半年間、フランスに残ったの」
「大変だったでしょ?」と聞くと、彼女は笑いながら「それが、全然大変じゃなかった! 日本だったら無理だったと思うけど、フランスだからできたのかも」と。
フランスの幼稚園と小学校、そして社会がどれほど親にやさしいか、彼女の説明を聞いていると、あの薔薇の町「トゥールーズ」の記憶が蘇りました。仕事は15時に終わり、家族と語らいながら、ゆったりと生を謳歌する日々を。
子育てが大変なのは夫婦の問題じゃない、構造の問題だと気がついた
あぁ、そうか--と、私は思いました。初めは私のコントロール不足とか、夫が家事育児に参加しないとか、「忙しい原因は私たち夫婦にある」と考えていました。
でも、きっとそうじゃない。「忙しくしないと、子どもを育てられない」という、構造上の問題なのかもしれない、と思い直すように。
だって、「ひとりで3人の子どもを育てている」という点では、彼女と私は同じです。違うのは、住んでいる国だけ。
場所が変われば子育ても、そして人生も変わるのかもしれない。そう思ったのです。
フリーランスになり、再び「フランスで暮らすこと」を考え始める
2024年の秋、私は会社を辞め、フリーランスとして独立しました。場所に縛られず働けるようになった今、「もう一度フランスで暮らしてみたい」という思いが、再び顔をだしてきました。
「ヨーロッパに5年以上住んでいれば、EUの永住権が取れる(※今は10年に変わっている国もあります)」と知り、オランダやスペインなど、ビザの取りやすそうな国を調べました。けれど、家探しや収入の面で、どこもうまくいきません。
友人には「とりあえず3カ月だけ行ってみたら?」とも言われましたが、私がしたかったのは「旅」でも「留学」でもなく、「暮らす」ことでした。

そんなとき、夫から思いがけない言葉がありました。
「フランスで研究することになった」
そうして、長い時間を経て、私は再びフランスにやってきたのです。
ここでも「ワンオペ」は変わらないけれど
フランスに来ても、ワンオペであることに変わりはありません。長期休暇や週末の予定に悩み、3児のきょうだい喧嘩を仲裁して、夜には「早く寝てくれないか」と願う日も多いです。
でも、違うところもたくさんあります。
ノートや鉛筆や筆箱などの文房具類はすべて学校から支給され、親が準備するものはありません。水曜日には朝食が提供されるので、朝ごはんを作らなくて済みます。

運動会、学芸会、入学式、授業参観といった親が参加する行事もなし。宿題は法律で禁止されていて、出されません。「勉強すら自由」という自己責任の文化に、親としてプレッシャーを感じることもあります。
“忙しい”からの脱却!
でも、親がやるべきことがうんと減り、少なくとも「忙しすぎて、消化試合のように思えていた日々」からは脱却できました。私にとって、これが一番大きかったように思います。
もちろん「人生は美しいものだ」と思えないときもあるし、まだ「暮らしている」と胸を張れるほど、なじめたわけではありません。けれど、比べてみることで見えてくることが、たしかにあります。
これから少しずつ、そんなことを書いていけたらと思っています。
こちらの記事もおすすめ
写真・文/綾部まと