満州事変をわかりやすく説明
1931年に起きた「満州事変」。「戦(いくさ=193)一発(=1)」「戦(いくさ=193)の始め(=1)」などの語呂合わせで、覚えている方もいるでしょう。
満州事変は、日本軍が満州で南満州鉄道の線路を爆破し、満州を占領した出来事です。これは事実上の満州の植民地化であり、満州国の建国や、さらに日中戦争へつながっていきます。そんな満州事変の背景やきっかけなど、中身について詳しく迫ってみましょう。
そもそも満州とはどこ?
日本で満州と呼ばれる地域は、現在の中国東北部にある遼寧省・吉林省・黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部を指します。このあたりが満州国建国の地域で、「満州」というとこの地域全体を指すことが多いでしょう。ちなみに中国では満州国の存在は認めていないため、地域名称としての満州の使用は避けられています。
満州事変の背景
まず満州事変が起きた当時がどんな時代だったのか、その背景についてご紹介しましょう。
世界恐慌
1931年の満州事変の背景に起きた出来事として、世界恐慌が挙げられます。1929年に、世界経済の中心となっていたアメリカで株価が暴落し、銀行や工場などが倒産するなど、混乱が世界中に広がっていきました。この影響で、南満州鉄道は大豆輸送などが減少し、経営が危機的状況に陥ると予想されていました。
日本の不景気
また世界恐慌の影響は日本にも及び、1930年~1931年に日本経済が打撃を受けました。これは「昭和恐慌」と呼ばれ、倒産する企業や失業者が多くなるなど、不景気に見舞われたのです。日本では1923年に関東大震災が発生したばかり。日本の金融業界は、支払い不能となった「震災手形」が不良債権となり、経営に苦心していた最中のことでした。
そのような社会不安が膨らむ中、日本軍では「大陸進出で侵略を行えば、不景気から脱却できる」という考えが生まれていったのです。
中華民国内の混乱
満州事変が起きた当時は、中華民国内の政治が混乱期にありました。1012年~1928年まで北京に存在していた中華民国政府「北京政府」に対して、中国国民党による国軍である国民革命軍が対立。この内戦で人々が混乱する中にあったことも、満州事変勃発に拍車をかけたといわれています。
満州事変のきっかけ、原因
1930年前後の時代背景をおさらいしたところで、次になぜ満州事変が勃発したのか、そのきっかけと原因について見てみましょう。満州事変のきっかけとなったのが、張作霖爆殺事件と柳条湖事件です。
張作霖爆殺事件
張作霖(ちょうさくりん)は、政治家であり奉天派とよばれる軍閥「奉天軍閥」の指導者であった人物です。当時、日本の関東軍(※1)は、満州で力を持つ張作霖を支援する形で利用して、満州を支配を強めようとしていました。しかし、張作霖は日本に対して協力的ではありませんでした。
この張作霖が1928年、国民党の北伐(※2)に敗れます。力を失った張作霖に利用価値がないと判断した関東軍の参謀、河本大作らは、張作霖が満州に戻る際、現在の瀋陽にある奉天駅近くで張作霖が乗った列車を爆破、張作霖を暗殺しました。
当時は、国民党の工作隊の仕業と見せかける偽装工作を行っていたのですが、後に関東軍によるものと明らかとなりました。
(※1)関東軍:ロシア帝国から譲渡された南満州鉄道事業の保護や、中華民国からの租借地である遼東半島先端の関東州の守備を目的に設置された大日本帝国の軍隊
(※2)国民党の北伐:国民革命軍が北京政府を倒し、中国国民党による全国の統一を目指した戦争
柳条湖事件
柳条湖(りゅうじょうこ)事件は、1931年に南満州鉄道の線路が爆破された事件です。これは9月18日に起きたため、「9.18事件」とも呼ばれています。日本の関東軍が 柳条湖と呼ばれる場所付近に爆薬を仕掛けて爆発させ、これを中国軍が行ったものとして、近くの中国軍営を攻撃したのです。
関東軍による自作自演の爆発だったのですが、このことや 張作霖爆殺事件がきっかけとなり、満州事変に発展していきました。
傀儡国家、満州国の建国
張作霖爆殺事件と柳条湖事件によって、突入した満州事変。ここから関東軍が暴走し、満州国が建国されるようになるわけですが、そこまでの流れを追ってみましょう。
関東軍の暴走
関東軍が張作霖爆殺事件や柳条湖事件を起こしたのは、中国軍と戦って満州を占領したかったから。しかしただ占領するためだけに軍事行動をおこせば、侵略行為となってしまいます。そこで戦う理由を作るために、張作霖爆殺事件や柳条湖事件を起こし、これらが中国軍によるものと主張し、軍事行動を起こしたのです。
しかし、日本政府は平和的に解決しようと努めていたといわれています。結果として、関東軍の自作自演によって満州を占領した事実が明るみとなり、日本の内閣は総辞職するまで追い込まれました。
石原莞爾と板垣征四郎
満州事変を決行したのが、関東軍作戦参謀の石原莞爾と板垣征四郎。そして満州国創設の首謀者となったのです。彼らは満州事変を起こし、満州を日本の領土とすることを目的としていました。
しかし世界からの激しい反対が起こり、形式的には独立しているが実際は他国によって操られる傀儡政権(かいらいせいけん)の「満州国」建国に乗り出しました。そして清王朝最後の皇帝・溥儀を満州国の元首にさせ、1932年9月15日、日本は満州国政府との間で日満議定書に調印し、満州国を正式に承認したのです。
五・一五事件
1932年5月15日、武装した海軍将校たちが総理大臣官邸に乱入し、犬養毅内閣総理大臣を殺害しました。これが「五・一五事件」です。
もともと関東軍は満州国の承認を日本政府に迫っていたのに対し、犬養首相は満州国の承認に反対の姿勢を示していました。首相は「満州国の形式的領有権は中国にあるとしつつ、実質的には日本の経済的支配下に満州を置く」などの外交交渉で解決しようと考えていたようです。そのため、それに反発した海軍将校が暗殺計画を立てたのです。
満州国を承認したのは、犬養内閣の次の斉藤内閣となります。
日中戦争への流れ
満州事変をきっかけに満州国が建国され、その後の日中戦争へとつながっていきます。
国際連盟の脱退
中華民国は、「満州事変は日本の侵略行為であり、満州国の設立を認めることはできない」と、国際連盟に訴えました。そこで、満州事変がどのような状況で発生したのか調べるため、ヴィクター・ブルワー=リットン卿を団長とする「リットン調査団」が、日本・満州・中国に派遣され、聞き取り調査が行われました。
その結果、自衛目的で満州を侵略したという日本の主張は妥当ではなく、満州国を認められないと報告。これに反発した日本は、1933年3月27日に国際連盟を脱退し、国際社会で孤立していったのです。
二・二六事件
「 二・二六事件」は、1936年2月26日に陸軍将校たち約1,500名が大規模クーデターを引き起こした事件です。首相官邸や政府要人の邸宅が次々と攻撃され、多数の死傷者が出る事態となりました。
この事件の首謀者である陸軍将校たちは、天皇親政を唱える派閥「皇道派」。このクーデターを起こして、日本に経済危機をもたらした財政界の要人を排除し、天皇中心の新政府樹立を目指したのです。しかし当時の岡田啓介首相は生存し、結果として失敗に終わったとされています。
二・二六事件をきっかけに、国内では国際協調などの発言は弱まっていき、軍部が政治を司る態勢が出来上がっていきました。
盧溝橋事件
日中戦争のきっかけとなったのが、1937年7月の「盧溝橋(ろこうきょう)事件」です。満州国事変が勃発して以来、協定によって戦闘行為は停止されていましたが、日本による満州占領を認めない中華民国と、日本の間は緊張状態にあったのです。そして北京の盧溝橋近くで、日本軍と中国軍が衝突し、宣戦布告は行わないまま日中戦争の始まりとなりました。
満州事変を知るおすすめの本
満州事変は、第一次世界大戦後から日中戦争が始まるまでの日本の歴史にとって、大きな出来事のひとつです。満州事変の流れや歴史を理解するために、子どもでもわかるおすすめの本をご紹介しましょう。
「小学館版 学習まんが はじめての日本の歴史 13 絶えない戦争」
全15巻ある「新・日本史学習まんがシリーズ」の13弾。満州事変でなぜ日中戦争は起こってしまったのか?日本が太平洋戦争に突入してしまった原因は何なのか?第一次大戦後から太平洋戦争までの歴史をマンガで解説しています。
全15巻の新・日本史学習まんがシリーズ。今回発売の13巻では、日露戦争後に世界の大国の仲間入りを果たした日本が、第一次世界大戦を経て、複雑な国際情勢の中、太平洋戦争に突入していくまでの様子を描いていきます。
「小学館版 学習まんが・少年少女日本の歴史〔改訂・増補版〕 日本の歴史 アジアと太平洋の戦い」
累計発行数が2000万部になる大ベストセラーシリーズです。満州事変・日中戦争・そして太平洋戦争まで、1930年代以降の歴史をマンガで学べます。
35年以上にわたるベストセラーです。2018年現在、累計発行数は2000万部。あの「ビリギャル」もこのシリーズで日本史を学びました。全24巻をセットで読んでも、興味のある巻だけ読んでもしっかり楽しく学べます
「Jr.日本の歴史 6 大日本帝国の時代 明治時代から1945年」
中学生を対象に、日本の歴史をわかりやすく学ぶために作られた本です。明治時代からアジア太平洋戦争が終了した1945年までを描いているのは、第6巻です。
第6巻では、明治時代からアジア太平洋戦争が終了した1945年までを中心にえがきます。日本がどのようにして近代社会を作り上げていったのか。また、どうして戦争への道を進んでいってしまったのか、探っていきます。
日本が大きく変わった満州事変
満州事変をきかっけに、日本と中国、さらに国際社会における日本の立場は大きく変化しました。さらに日中戦争は、1945年のポツダム宣言まで長く続く戦争になっていきます。満州事変について学ぶと、日本の歴史の流れを理解することにつながっていきます。日本の近代史について、親子であらためて学ぶ機会をもってみてはいかがでしょうか。
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文・構成/HugKum編集部